第67話 谷底のダンジョン
俺はデビルゴブリンを道連れに、
谷底へと落ちた。
底も見えないほどの奈落の底。
覚えているのは、
意識が遠のくほど長い落下時間と、
何かに叩き付けられたような感触。
不思議と痛みは感じなかった。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
いつの間にか意識を失っていた俺は、
頬に触れる固い感触で
目を覚ました。
「ここは・・・」
身体を起こし、周囲を見渡す。
真っ暗で何も見えないが、
どうやら谷底の岩場らしい。
俺は右手をかざし、
魔力を集束する。
そして光源を確保するために、
魔法を唱える。
<ファイア>
だが不思議なことに、
炎は生まれなかった。
「あれ?おかしいな。<ファイア> 」
再度魔法を放とうと魔力を集束する。
だがやはり魔法は発動せず、
小さな火花一つ生みだせなかった。
いや、そもそもその前段階で、
魔力が集束する感覚すらなかった。
「どういうことだ・・・」
いつからか呼吸をするように自然に操れるようになった魔力。
だが今はうんともすんとも言わない。
それはかつて、
灰色であった時の自分に戻ってしまったかのような、
恐ろしい感覚であった。
そんな事はあり得ないと思いながらも、
かつての『僕』がフラッシュバックする。
落ち着け。
大丈夫だ。
そんなことはありえない。
俺は自分にそう言い聞かす。
だが俺の意志とは裏腹に、
心臓の鼓動が早まる。
俺は深呼吸をし、
頭に浮かぶ邪念を払った。
落ち着いて、
改めて自分の状況を考える。
どうやらいつの間にか魔力が空になっていた、
と考えるのが妥当だろう。
魔法が仕えないとなると、
光源の確保は難しいか。
仕方なく俺は手探りで歩き始める。
前方に伸ばした手がすぐに何かに当たった。
手先の感触が鈍くよく分からないが、
どうやら岩壁の様だ。
俺はそのまま壁沿いを歩き続けた。
周囲には生き物の気配はない。
ゴブリンやデビルゴブリンも一緒に落ちたはずだが、
やつらは地面に叩き付けられて死んだのだろうか。
暗闇から突然現れる、
なんてやめてくれよ。
俺は心の中でそう願った。
そこからは、進めども進めども暗闇。
暗黒に目が慣れることもなく、
また手先の感覚も鈍いままだった。
依然、魔力が回復する様子もない。
やはり俺は谷底に落ちた影響で、
どこかおかしくなっているのだろうか。
俺はそのまま何時間も暗闇の中を彷徨い続けた。
やがて――――――――
「あれは・・・?」
遠くに浮かび上がるように何かが見える。
ここで目を覚ましてから初めて見る光だ。
俺はそれを目指し、歩き続けた。
暗闇を歩き続けたからか、
距離感が消失しており、
それが近いのか遠いのかもよく分からない。
だが必死で歩く度に、
徐々に光との距離が近くなっていく。
やがてそれがはっきりと見えるところまで近付いた。
「これは・・・」
目に入る光景に俺は驚く。
暗闇に浮かび上がっていたのは一対の扉であった。
初めて見たはずの扉であったが、
俺はそれが何かすぐに理解することが出来た。
「・・・これってダンジョンの扉、だよな。どうしてこんな所に」
ダンジョンの入り口に必ず存在する扉。
目の間で光を放っているのはまさにそのものだった。
俺は引き寄せられるように扉に近付く。
光に照らされ、
俺はようやく自分の身体を視認することが出来た。
うん、どうやら怪我はないようだ。
だが安心した反面、
あれだけ高所から落ちたと言うのに一体どうしてだろう、
と疑問を感じる。
俺は歩いてきた道を振り返る。
扉の光に照らされた部分以外は漆黒の闇が広がっている。
あまりにも深い闇に、
まるで吸い込まれるような錯覚を感じる。
どうやら後に戻ることは不可能だ。
俺は再度右手をかざし、魔力を集束する。
魔力が動く感覚が復活していた。
どうやら少しは回復したらしい。
良かった。
「・・・行くしか、なさそうだな」
俺はダンジョンの扉に触れ、
魔力を流し込んだ。
その魔力に反応するように、
扉がゆっくりと開いていく。
俺は扉をくぐり、
謎のダンジョンの中へと踏み入った。
・・・
・・
・
俺の決意とは裏腹に、
扉の先には予想外のものが待ち受けていた。
「なんだ・・・これ」
俺は驚き、
周囲を見回す。
扉を出て目の前にあったのは、
また扉であった。
俺は周囲を見回す。
俺が降り立った場所から左右に長く伸びた通路。
そこには対になるように幾つもの扉が付いていた。
俺が出てきたのは、数多ある扉の一つだった。
「どういうことだ・・・」
俺は通路に降り立つと、
ゆっくりとその通路を歩き出した。
「これは、ダンジョン・・・なのか?」
歩けども歩けども同じ風景。
俺は歩きながら考えた。
続くのは暗い洞窟でも、鉱山でもない。
ただの通路と扉だ。
どこまで歩いても変化がない。
前に進んでいる感覚が失われていく。
「この扉、入れるのか・・・?」
俺は不意にそんなことを思い、
扉の一つに手を伸ばした。
扉は木造りのシンプルな扉。
濃紺に塗られ、ドアノブは銀色だ。
俺はたまたま目の前に会った扉のドアノブを回す。
だが扉は開かなかった。
「たまたまか?」
試しに隣のドアも試す。
そこも開かない。
その隣は?
同じく開かない。
それからいくつもドアノブを回したが、
結果は同じであった。
「どういうことだ・・・」
俺はそこで初めて自分の置かれた状況に気が付く。
この意味不明の空間で一人きり。
扉は開かない。
進むことも、
戻ること出来ない。
心臓の鼓動が早まる。
これはまずい。
俺は背中にじっとりと汗を感じる。
その時。
「無駄だよ」
後ろから声が聞こえ、
俺は驚き振り向く。
「君、どうやってここに入ったんだい?」
少し偉そうな物言い。
だがそこに居たのは俺よりも小さな背丈の少年だった。
青いローブを着た、
黒髪の少年だ。
「君は・・・誰だ?」
俺は少年に尋ねる。
少年は俺の質問には答えず。
少年は不思議そうにこちらを見ている。
「・・・もしかして、君・・・」
そう言うと、少年は何かを考え込むように顎に手を当てた。
急に俺を放って考え事を始めた様子だ。
「・・・なぁ、すまん。俺の質問にも答えてくれないか?君は誰だ?ここはどこなんだ?」
俺はしびれを切らし少年に言った。
少年は俺の言葉にハッとなった様子だ。
「・・・ごめん、あまりに驚いて。ここは『時の回廊』さ。僕はここの管理人、みたいなものかな」
少年は答えた。
「管理人?」
俺は尋ねる。
「そうさ。ちょうどいい、少し話をしないか?」
少年はそう言って、通路を歩き出した。
俺は慌ててその後を追う。
・・・
・・
・
「少しは落ち着いた?」
少年が尋ねる。
「あぁ、ありがとう。すまないな気を遣わせて」
「いいんだ。ここに来れば皆そうなる」
そう言って少年は笑う。
その優しい笑顔に俺は不思議な感覚を感じる。
なんだろうこれは。
俺たちが向き合っているのは、
書斎の様な部屋。
少年が数多の扉のうちの一つを開け、
俺を招き入れたのだ。
俺がいくら試してもうんともすんとも言わなかった扉を、
少年はいとも簡単に開いた。
管理人と言う彼の言葉もあながち嘘じゃないのかも知れない。
「・・・『時の回廊』と言ったな?ここは何なんだ?ダンジョンじゃないのか?」
俺は少年に尋ねる。
「うん、違うよ。表現が難しいけど・・・ここは時間が集う場所、とでも言おうかな」
「時間?」
「うん。過去、現在、未来。選択されていないものも含め、色々な可能性がここには集まってきているんだ。世界線とも言うね」
少年は言う。
「世界線?」
俺には少年の言っていることが理解出来なかった。
「うん、そうだよ。と言っても今はまともに機能していないんだけどね。それよりも君の話の方が興味あるよ。どうやってここに入ったの?」
少年は興味津々と言った様子だ。
「どうって・・・エシュゾ魔導学院を探索していたんだが、谷底に落ちた。それで、そのまま暗闇を彷徨っていたらダンジョンの扉を見つけたんだ」
「エシュゾ魔導学院の谷底に・・・?それってもしかしてあの深い谷かい?」
「あぁ、そうだ。ゴブリンに足を掴まれてな。真っ逆さまだ」
俺は答える。
少年は俺の事をじっと見ていた。
何かを推し量っているような、そんな視線だ。
「どうした?」
俺は堪らず尋ねる。
「・・・ううん、何でもない。ここは本来、ある方法じゃ無いと入れない場所なんだ。だから中々見つからない。でもお兄さん、どうやらそういうの全部すっ飛ばしてここに来たみたいだね。驚いたなぁ、こんな方法があるとは思わなかった」
少年はそう言って笑う。
だが彼が何に笑っているのか俺には分からなかった。
「・・・君は、こんなところで何をやっているんだ?本当に管理人だと言うのか?」
俺は尋ねた。
少年は少し考えて答える。
「それは・・・うん。僕はここで人を待っているんだよ」
少年が答える。
「人を?」
「そうさ。僕はずっと人を待ってる。以前は僕を見つけてくれる人。でも今は僕を助けてくれる人を待っているんだ」
「・・・よく分からないな。そもそも、こんなところに人が来るのかも怪しいぞ」
俺が言うと少年は苦笑いした。
「そうなんだ。ずっと待ち続けてるけど正直、滅多に人は来ない。最近は特にね」
そう言って少年は寂しそうに笑った。
どう声を掛けるべきか。
俺は一瞬躊躇する。
「その、俺でよければ――――」
「でも」
少年は顔を上げた。
「・・・それも今日で終わりみたいだ」
「・・・どういうことだ?」
俺は尋ねる。
少年は俺を指差した。
「あん?」
俺はその意味がよく分からずに間抜けな声を出す。
「見つけたから」
「見つけた?」
俺は尋ねる。
「そう、ようやく見つけた。君なんだよ、僕が待っていたのは」
少年はそう言って笑った。
「どういうことだ?」
俺は尋ねる。
「僕も驚いたよ。どうやら君の中にある、時間魔法が鍵になってこの『時の回廊』に入ることが出来たみたいだね。本当に魔法の世界は奥が深い、まさかこんな方法でここに入る者が居るとは思ってもいなかったよ」
少年が自嘲するように言う。
俺はその言葉を聞いて、
心臓の鼓動が大きく鼓動するのを感じた。
今、少年に口にした言葉が、
俺はよく理解出来なかった。
「えっと、戸惑ってるみたいだけど・・・まだ気が付いてなかった?意外とにぶいんだなぁ。大魔導ゼメウスから時間魔法を受け取った癖にさ」
少年はそう言って笑う。
俺はその笑顔に、
再び強烈な違和感を感じる。
だが今度はその感覚が何か、
はっきりと理解できた。
これは既視感だ。
俺はこの少年の笑顔を見たことがある。
「君は・・・誰だ?」
俺は早まる鼓動を押さえつけ、
ようやくその言葉を絞り出す。
少年はニヤリと笑う。
「・・・初めまして、になるのかな。よく来てくれた。僕はゼメウスだよ」




