第66話 胸中
聖女ロロは朝から落ち着かなかった。
「あらあら、ロロ様。まるで誕生当日の子供の様な顔をされてますわ」
聖女お付きの侍女にそんなことを言われる。
「え、あ・・・そうでしょうか」
思いがけずそんなことを言われ、
ロロは赤面する。
「あぁ、なるほど。今日はお帰りの日ですものね。合点が行きました」
そう言って侍女はにやにやと笑う。
「・・・そ、そういう訳ではないですが」
ロロは呟くように否定する。
だがその声は侍女には届かず、
楽しんで、と声を掛けて彼女は部屋から出て行った。
彼女はどうやら勘違いをしているようだ。
ここ最近は聖地ブルゴーでの活動を余儀なくされ、
奉仕活動で地方に赴くことも減ってきた。
本当はもっと直接、
色々な人とやりとりがしたい。
ロロはそう思っていた。
「窮屈・・・です」
ロロは独り言のように呟く。
籠の中の鳥。
今の自分を表すに、それ以上適切な言葉は無いだろう。
教皇の庇護下におかれ、彼女は自由を失っている。
これならば聖女になる前の方が、
数倍も人の役に立っていたと感じる。
ロロは深いため息をついた。
その時、大聖堂の外から歓声が聞こえる。
ロロは起き上がり、
窓から外を見る。
どうやら待望の人物が帰ってきたようだ。
見ればそこには、
鎧に身を包んだ騎士たちが列を成し、
大聖堂に向かって歩いてきていた。
ロロは慌てて身支度をし、
彼らを迎えるべく自室を飛び出した。
「教皇様、聖女様。南方の討伐隊長キリカ、ただいま戻りました」
キリカは跪き、頭を垂れる。
「お疲れさまでした。先に活躍は聞いてますよ。なんでもデビルゴブリン、と言う危険な魔物を倒したとか」
教皇がニコニコした笑顔で言う。
相変わらず能面の様な笑顔だ。
「ありがとうございます。はい。今までになく凶悪な敵でした。ですが止めを刺したのは我々ではなく、居合わせたSクラス魔導士<紅の風>様です」
そう言ってキリカはチラリとロロを見て目配せをした。
<紅の風>を呼んだのは他でもないロロなのだ。
その言葉に教皇の目元がぴくぴくと動く。
「そうですか。ですがやはり、この件の最大の功労者はあなた方だと私は思います。外から来た魔導士などではなく、あなた方の日々の祈りと努力がこのブルゴーの地を守ったのです」
笑顔を崩さず、教皇は言った。
「いや、しかし・・・」
「よろしいですね?」
キリカの意志は、教皇の言葉により阻まれる。
「・・・承知いたしました」
キリカは不承不承と言った感じで答える。
それでも教皇は満足そうに頷いた。
「南の街道の交通が妨げられると多くの人に被害が出るところでした。民も喜んでいることでしょう」
嘘だ。
本当に困るのは物流が滞る商人たちだ。
ロロは内心で考える。
「キリカさん達には相応の報酬と、休暇を。ゆっくり傷を癒してください」
教皇は言う。
「そ、それは・・・」
キリカは思いがけない言葉に思わず立ち上がる。
休暇など必要ない。
今この瞬間にもゴブリンは各地で生まれ続けている。
報告のためにブルゴーに戻ってきたが、
本当はすぐにでも討伐に戻りたいのだ。
だが教皇の無言の圧力に負け、
キリカは何も言い返すことが出来なかった。
目の前の男は、
聖魔騎士団が仕えるべき男なのだ。
「承知、いたしました・・・」
「ではまた任務がありましたらお知らせします。ごゆっくり」
そう言って教皇は部屋を出て行った。
ロロとキリカは部屋に残される。
「キリカ・・・」
ロロはキリカに声を掛ける。
「はは、こんなことになるとは。悔しいですね」
キリカは寂し気に笑う。
ロロにはキリカの気持ちが痛いほどによくわかった。
教皇は<紅の風>の活躍をよく思っていない。
腹いせにキリカ達に嫌がらせをしたのだ。
「・・・どうか、気に病まないでください。あなたのせいではありません」
ロロはそう声を掛ける。
「ロロ様はお強いですね・・・」
「私は・・・」
強いわけでは無い。
自分はただ諦めているだけだ。
ロロは内心でそう思ったが、
それをキリカには伝えはしなかった。
・・・
・・
・
「グレイが戻らないの」
アリシアがシルバに言う。
「・・・何かあったのでしょうか、陽が落ちるまでには戻ると仰っていましたが・・・」
シルバが答える。
たしかに辺りは既に薄暗くなっていた。
この暗さでは遺跡の探索は難しいだろう。
「ゴブリンに、襲われていないといいのだけど」
アリシアが心配そうに呟く。
「その可能性は否定できません。エシュゾ魔導学院には多くのゴブリンが出現していると聞きます」
「私、探してくるわ」
アリシアがそう言って歩き出そうとする。
「それはお止めになったほうが良いです。この時間では二次災害になるだけと貴女も理解しているでしょう」
シルバの制止に、アリシアの動きが止まる。
「・・・明日の朝、戻らなければ探しに行くわ。私一人でもね」
「・・・いえ、もちろん私もお供いたします」
その言葉にアリシアは頷いた。
「・・・グレイの馬鹿。心配かけるんじゃないわよ」
アリシアは宿代わりの民家に戻り、一人呟く。
こんな事なら自分も一緒に行くべきだったと後悔する。
これまで自分が前衛を任せられる魔導士など殆ど居なかった。
だがグレイは黒魔法と白魔法が使え、
体術も人一倍。
おまけに正体不明の不思議な魔法を使う。
Sクラスの自分から見ても彼は強い。
グレイより上位クラスの魔導士と比べても、
戦闘で後れを取ることは殆どないだろう。
グレイが自分に何かを隠していることは明らかであった。
気になるのは彼の正体と、正体不明の魔法。
だがグレイはアリシアに未だにそれを話してくれていなかった。
もちろん『真実の瞳』を使い問い詰めることも出来たが、
自分はそれをしなかった。
彼はどこか他人に踏み込ませないような雰囲気を持っていたし、
そんな事をしてグレイの秘密を暴くのが嫌だった。
グレイとの人間関係は、
もはや仕事上の付き合いだけではないのだ。
だからアリシアはいつか話すと言ったグレイの約束を、
健気に待ち続けていた。
アリシアの中には、
どこか頼りなく子供っぽいグレイを放って置けなくなっている自分が居た。
それはアリシアにとって驚くべき心境の変化だ。
「・・・なんであいつはあんなに自然体なのかしら」
アリシアは不思議に思う。
Sクラス魔導士になってからのアリシアは、
<紅の風>として周囲の羨望の的となった。
一緒にパーティを組む年上の魔導士ですら、
「様」付けでアリシアを呼び、恐縮する。
正直、そんな環境には辟易としていた。
だがグレイだけは自分をそうは扱わず、
あまつさえアリシアをポンコツ扱いをしてくる始末。
それはアリシアにとって驚きで、
なぜか心からは不快には感じない、
初めての距離感であった。
アリシアは自らの幼少時代を思い出す。
祖母の影響で抱いた、
魔導士と言う職業への強い憧れ。
夢を追い、
努力を重ね、
気が付けばSクラス魔導士と呼ばれるようになっていた。
だが今の自分は祖母がかつて通った道を追っているだけに過ぎない。
七光り。
アリシアの実力と努力を知らない人々からは、
そう揶揄されたこともある。
それを払しょくするため、
自分の実力を証明するため、
アリシアはSクラス魔導士になってからも、
必死で自分を追い込み続けた。
危険な任務。
過酷な修業。
気が付かぬ間に、
自分にも他人にも厳しくなっていた。
人に認められようと努力するたびに、
周囲から人は離れていく。
自分に憧れ、近付いて来てくれる人はいるが、
本当に自分を理解してくれる人は居なかった。
それがアリシアの抱く孤独であった。
短い間ではあるが、
アリシアはグレイとの旅を楽しいと感じ始めていた。
気の置けないやりとり。
ただアリシアと名前で呼ばれる関係。
そんな「普通」が、アリシアにとっては、
なによりも得難いものであった。
アリシアは未だに気が付いて居なかった。
自分の中でグレイの存在が日々大きくなっていくのを。
そしてそれが自分が初めて抱く、
「恋心」と言う感情だと言う事を。
 




