第61話 聖女
聖魔騎士団一等書記官エディオット・ロングベル著
『失われた魔導学院』
現代における最高学府と言えば、言わずと知れた帝国立魔導学院である。
だが歴史上最も偉大な教育機関は、『エシュゾ魔導学院』を置いて他にはないだろう。
エシュゾ魔導学院は東の大陸エシュゾ地方の山間に存在し、
かつては学院を中心に街が広がる学園都市でもあった。
栄華を極めたエシュゾ魔導学院は多くの優秀な魔導士を輩出し、
最も偉大な魔導士である大魔導ゼメウスをはじめ、
のちにゼメウスの弟子となる「青のラッシェ」、「赤のロマネ」、
「緑のペトリス」ら、『三原色』もこの学院の出身である。
だがエシュゾ魔導学院は、前時代末期に古龍の強襲により滅びたと記録されている。
古龍がエシュゾ魔導学院を襲った理由は不明ではあるが、
人知れず古龍の怒りに触れるような研究を行っていた、
と言うのが最も有力な説である。
現在のエシュゾ地方には当時の学院の面影はなく、
学舎の一部が遺跡のように山間に残されているだけである。
俺はそこまで読んで本を閉じた。
魔導士になってからのゼメウスは、
東西南北すべての大陸で冒険を繰り広げた。
だが東の大陸で、もっともゼメウスと関係が深いのはやはりここであろう。
エシュゾ魔導学院。
ゼメウスが少年期を過ごした学校。
当たり前だが、
これまで多くの魔導士が箱を探すために
エシュゾ魔導学院跡地を探索している。
すでに探しつくされた場所と言っても過言ではないだろう。
しかし俺にはなぜか、
ゼメウスならそこに箱を隠すのではないかと思えて仕方無かった。
ゼメウスの悪戯心に満ちた笑顔が頭によぎる、
手掛かりの無い今、
まずはエシュゾ魔導学院に向かってみても良いかも知れない。
俺はそう思った。
「お待たせしました。こちらが今回の換金額です」
シスターからお金の入った袋を受け取る。
ざっと50,000ゴールド。
渡した素材の量からは少ない様に思えた。
「すみません、今はゴブリンの魔石が値下がりしてまして・・・」
俺の表情から何かを察したのか、シスターは事情を説明してくれた。
東の大陸各地では、ゴブリンの大量発生が起きている。
それに伴いゴブリンの魔石の流出量が増大し、
買取金額も落ちているのだと言う。
「ホントは価格維持しないとゴブリンを狩ってくれる人が減ってしまうからよくないんですけどね・・・、ギルドも市場経済には勝てなくて」
シスターが言う。
「仕方ないですよ。ありがとうございます。」
俺はシスターに礼を言ってギルドを出ようとする。
「あ、あの!また来てください!あの渋めのおじ様も一緒に!」
俺の背中にシスターが声を掛ける。
俺は振り向かなかった。
・・・
・・
・
アリシアは大聖堂の待合室に案内されていた。
鏡を見て、髪を整える。
「・・・もう少し綺麗な服を買ったほうが良かったかしら」
アリシアは自らの服を見て呟く。
この旅に持ってきた服の中でも、
一番きれい目の服を着てきたが、
大聖堂の荘厳な雰囲気からすると、
まだまだカジュアルだ。
「・・・聖女なんて大物に会う事が分かってさえいれば用意したのに」
アリシアは悔しそうに言った。
「お待たせしました、<紅の風>様。準備が出来ました」
若いシスターが、アリシアを呼びに来る。
アリシアと同じ年くらいだろうか。
黒髪の美しい少女だ。
「ありがとうございます」
シスターに促され、アリシアは部屋から出た。
そしてシスターの後に続いて廊下を進む。
長くて、美しい廊下。
そう言えばブルゴーには以前に来たことがあるが、
大聖堂に入ったのはこれが初めてだ
アリシアはキョロキョロと周囲を観察しながら歩く。
「・・・珍しいですか?」
アリシアを先導していたシスターが、アリシアに声を掛ける。
「え、やだ。すみません、私ったらジロジロと」
狼狽するアリシアに、
シスターが微笑む。
「いえ、構いません。私も最初ここに来たときは同じでした。美術はお好きですか?ここの壁や柱は装飾が細かくて一日中見ていても飽きないですよ」
「素敵ですね、こんなところに住んでみたい」
アリシアの言葉にシスターは苦笑した。
「あら、それでは住んでみますか?穏やかで素敵なところですよ」
「フフ、魔導士なんてやっていなければ本当にそうしたいところです」
アリシアが言う。
二人は大聖堂についてあれこれ話しながら歩き続けた。
やがてシスターがひとつの扉の前で足を止める。
「お待たせいたしました。こちらでございます」
アリシアは息を飲む。
Sクラス魔導士として、
余所行きの表情を作り、
意を決して扉を開ける。
扉の先の光景に、アリシアは驚くことになる。
「誰も、居ない?」
ベッドと、テーブルと椅子が置かれた簡素な部屋。
とても綺麗に整頓されている。
だがそこに居るはずの聖女の姿がなかった。
後から来るのだろうか。
アリシアは戸惑い、同行のシスターに目を向ける。
「どうしました?<紅の風>様。遠慮なさらずにお入りください」
シスターはそう言うと部屋の中に入り、
アリシアを招き入れた。
そしてアリシアの為に椅子を引き、
棚などを触りながら準備を始める。
まるで、自分の部屋の様に堂々と――――
そこで、アリシアもようやく気が付く。
「ま、まさか・・・?」
「はい、そうです。私が7代目聖女のロロと申します。驚きました?」
そう言うと聖女ロロはいたずらっぽい笑顔で笑った。
アリシアは自らの頬が引き攣るのを感じた。
・・・
・・
・
「改めまして、今代聖女のロロと申します」
聖女はそう言ってアリシアに頭を下げた。
その所作にアリシアは慌てて挨拶を返す。
本来的には先に名乗るのは自分の方なのだ。
「Sクラス魔導士<紅の風>アリシア・キルフェルドです。お初にお目にかかります。先ほどは大変失礼いたしました・・・」
アリシアはそう言って謝罪のため頭を下げる。
知らなかったとはいえ、聖女に馴れ馴れしく話しかけてしまった。
不敬と取られても仕方のない態度であった。
「やめてください。悪戯をしたのは私ですし、あの<紅の風>様に頭を下げさせてはバチが当たりますわ」
聖女は答えた。
アリシアはその言葉に安堵する。
ひとまずは機嫌を損ねてはいなさそうだ。
そう思うと、ようやく落ち着いて色々と考えることが出来た。
アリシアは目の前の少女をよく観察した。
聖女ロロ。
美しい黒髪の少女で、アリシアの目から見てもかなりの美少女だ。
たしか彼女が聖女になったのは昨年かそれくらいだったと記憶する。
若いとは聞いていたが、まさか自分と同じ年の頃だとは思ってもいなかった。
アリシアにとって、信仰と政治の世界とは魑魅魍魎が跋扈する未踏の世界。
その中心にいる聖女と言えば、さぞかし老獪な人物であろうと勝手に決めつけていた。
だからこそアリシアは彼女が部屋に呼びに来た際に、
まさか目の前のいたいけな少女が聖女だとは思い至らなかったのである。
いや、もしかしたら可憐なのは見た目だけで、
中身はアリシアが想像したままの策略家なのかも知れない。
現に先ほどの些細な悪戯のせいで、この場の主導権は取られている。
どちらにしても、用心しないと。
アリシアはそう思った。
「今回は直々のご依頼をいただきありがとうございます」
まずはアリシアが口火を切る。
「こちらこそ、はるばる来ていただいて嬉しいです。西の大陸からいらしたんですって?大変だったでしょう」
ロロが答える。
「えぇ、でも船旅は順調でした。途中で大魚シンに出会ったので、その加護があったのかも知れません」
アリシアが言う。
「まぁ!あの大海の守り神のお姿を見たのですか?なんて羨ましい・・・」
ロロが頬を染め、ため息をつく。
「えぇ。私も初めて見ました。興味がおありですか?」
アリシアが尋ねる。
「勿論です!!!」
ロロのあまりに強い返事に、アリシアは言葉を失う。
そんなアリシアの様子に気が付いたロロは、
我に返り頬を紅く染めた。
「も、申し訳ございません・・・」
小さな声でロロが言う。
アリシアは苦笑して、話を進めた。
「すでにご報告があったかも知れませんが、東の大陸に到着後、居合わせた聖魔騎士団からの依頼によりゴブリン退治をしていました。
お約束の日に遅れましたことをお詫びいたします」
アリシアは再び頭を下げる。
「そんな!謝ることはありません。聖魔騎士団にお力添えいただき、南方のゴブリンを壊滅させていただいたと伺っております。南方の街道が封鎖され多くの民が困っていたのです。皆に代わりお礼を申し上げます」
ロロも頭を下げる。
「魔導士として困った方々を助けるのは、当然ですわ」
アリシアは胸を張って言う。
「流石は<紅の風>アリシア様です。わざわざ来ていただいた甲斐がありますわ。」
ロロが尊敬の眼差しでアリシアを見た。
アリシアも聖女にここまで言われて、とても誇らしい気持ちになった。
「早速ですが、私をお呼びいただいた依頼と言うのはどういうものでしょうか」
アリシアが尋ねる。
その言葉にロロの表情が少し固くなる。
「・・・もうお分かりかと思います。<紅の風>様に調査いただきたいのは、まさにそのゴブリン異常発生の原因究明なのです」
アリシアはやはりか、と思う。
聞いたところによると、
ゴブリンの異常発生は大陸レベルで発生している。
これは通常では考えられないような事態だ。
いくら異常発生と言っても、度が過ぎている。
それに気になるのはもう一つ。
アリシアが倒した、デビルゴブリンだ。
グレイには言わなかったが、
あのゴブリンは明らかに普通のゴブリンでは至らないような進化を遂げていた。
再生、腕の伸縮、魔力耐性、熱光線。
どれもゴブリンが手に入れるにはありえないような能力だ。
誰かが意図的に何かをした、と捉えるのが自然である。
「・・・既にお分かりいただけていたようですね。東の大陸は今、危機を迎えています」
ロロが言う。
アリシアも同意の意味で頷いた。
「承知しました。東の大陸のゴブリン異常発生の調査、<紅の風>アリシア・キルフェルドがお受けいたします」
アリシアが答える。
ロロはその答えに今までで一番の笑顔をアリシアに向けるのであった。
南方のゴブリンは成り行きで討伐したが、
原因究明となれば情報が必要だ。
シオンの到着まではあと数日はあるはずだ。
彼の諜報能力で色々と探って貰うことになるだろう。
アリシアが今後の活動方法について考えていると、
目の前の聖女ロロの態度がおかしいことに気が付く。
「どうされました?」
アリシアは首を傾げた。
「あ、いえ・・・あの<紅の風>様?、ちょっとお伺いしたいのですが・・・」
ロロが何やら顔を赤らめ、もじもじとし始めた。
その仕草からは、さきほどまでの凛とした雰囲気は消えていた。
今は、ただの同い年の少女の様にしか見えない。
「何でしょうか?」
アリシアが尋ねる。
ロロは意を決したようにアリシアに言った。
「き、今日は<ゴブリン殺戮者>様はご一緒ではないのでしょうか?私、その、どうしてもそのお方にお会いしてみたくて・・・」
ロロは頬を紅く染めて言う。
「・・・は?」
アリシアの口から顔に似合わぬ低い声が漏れた。




