第5話 灰色の箱
「キャッ!!」
抱きしめていたはずの老人の身体が突如炎に包まれる。
熱さを感じ、<紅の風>アリシアは思わず飛びのいた。
一瞬の躊躇。
だが彼女はそれにも構わず、再度老人を助けようとする。
それを止めたのは、同行の魔導士の青年であった。
彼は<紅の風>の身体を羽交い締めにし、老人から無理やり引きはがす。
「アリシア様!危険です!」
「でも!!助けないと!・・・なぜこんなことを!!」
青年魔導士は諭すように言う
「あの老人の想いを汲んでください!彼はあなたを助けようとしたのです」
「・・・っ!」
後ろ髪を引かれながらも、老人の身体から離れ走り出す<紅の風>。
そうして、二人は水竜の追撃から逃れるように洞窟から出ていった。
二人を逃がした水竜は恨めしそうに何度も咆哮を上げ、
八つ当たりするように魔法を撃ち続けた。
そこで水竜は横たわる、
黒焦げになった老人の身体を目にする。
苛立ちをぶつけるように、
老人の身体を尾で払うと、その身体は木っ端の様に吹き飛び地底湖の中へと沈んでいった。
水竜はそこで老人には興味を無くし、
もう一度地底湖の入り口の方を一瞥する。
やがて水竜は自らの住まいである地底湖の底へと戻っていった。
・・・
・・
・
―――――――僕は死んだのだろうか。
暗い意識の果てで、そんな事を思う。
思考が出来ると言うことは生きていると言うことなのか、
それともこれが「死」と言うものなのか。
僕には判断することが出来なかった。
目を開けることも出来ず、
音も、熱さも寒さも何も感じない。
あるのは浮遊感。
ただゆったりと、何かに漂っているような感覚。
なんだかとても心地よくて、
僕はいつまでもその中を漂っていた。
一瞬だったのか、それとも長い時間が経ったのか。
僕が意識を取り戻したのは、固い地面の上であった。
今度はしっかりと感じる、
身体を濡らす冷たい水の感覚。
僕は地底湖の
どこかの湖岸に打ち上げられていた。
―――――身体が動く。
僕はゆっくりと自分の身体を水から引き揚げた。
「僕は・・・いったい・・・」
記憶がひどく曖昧で、
なぜ自分がここに居るのか思い出すのに時間がかかった。
僕が最後に覚えていたのは、
水竜の咆哮と、
身体を焼き尽くす炎。
それから彼女の泣き顔であった。
そこまで思い出して、
ふと僕は自分の身体に火傷の跡が無いことに気が付く。
それだけではない、
水竜の魔法に貫かれた傷もまるで無かったように
綺麗になっている。
まったく理解が出来ぬまま、
僕は自分が一命を取り留めたことを知った。
振り返り、自分が浸っていた地底湖を見つめる。
―――――回復薬の泉
そんな言葉を不意に思い出す。
おとぎ話程度にしか考えていなかった言葉ではあるが、
まさか本当に、実在していたというのか。
しかしそうでなくては僕がまだ存命している理由に
説明がつかなかった。
僕は半信半疑ながら、湖の水を手にすくい眺める。
僕の目にはそれは澄んだ地下水にしか見えなかった。
意識がはっきりとしてきた僕は、
改めて周囲を見渡す。
湖岸の入り江のようだが、
周囲は厚い岩盤に囲まれている。
僕らが入った入り口とは別の場所の様だ。
ふと、視界の端に通路のようなものを見つける。
暗く口を開けた通路は、灯りなしでは恐ろしいものであった。
だが他に進むべき道もなく、かといって冷たい地底湖を泳いで探索する気にも
なれなかった僕は一人その暗闇の通路を進むのであった。
長い通路を進むと、不意に視界が開ける。
そこはこれまでの洞窟とはまるで異なる人工的な部屋で、
綺麗な正方形をした部屋であった。
白く輝く壁は、恐ろしく純度の高い輝石が使われている証拠だ。
あまりの明るさに目が痛くなる。
そしてその中央には台座が置かれており、
そこには一つの正方形の物体が宙に浮かんでいた。
・・・
・・
・
『ゼメウスの箱』に関する研究文書や資料は多い。
中でも、「緑の箱」、「黒の箱」と言った発見済みの箱に関しては
その詳細が事細かに書かれているものもある。
テラ=コード著、「新緑の秘宝」には「緑の箱」発見時の状況が書かれている。
緑の箱はエルフたちの秘奥のダンジョン『最果ての楽園』にて発見された。
大きさは20センチ四方の小さな箱で、一瞥するとただの容器のように見える。
だが「それ」がただの箱と違うとことは一目で感じ取ることが出来たと言う。
「緑の箱」は『最果ての楽園』の最も深い木立の中に浮かんでいたからだ。
原理は不明だが、周囲を巨木に囲まれまるでそれらをゆりかごの様に漂う「箱」は、
この世の物とは思えないほど神秘的な気配を纏っていたという。
また、「黒の箱」に関する記述もある。
こちらについては帝国が厳格な情報統制を行っているため表に出てくる
文書はグッと少ない。
帝国第一新聞の発見当時の記事に次のような研究チームのインタビューが掲載されていた。
「黒の箱」は人智を越えた力の結晶であり、解明が進めば帝国への経済的、技術的な
貢献は計り知れないものになるだろう。特に「黒の箱」自体が秘めていると思われる
破壊不能、魔力超伝導または絶縁、および浮遊に関する能力はこの世界の常識を塗り替え
るものであり、我らが第13代帝国王様の栄華をさらなる段階へと―――――――
僕はそこに浮かんでいる正方形の物体を見てそんな事を思い出していた。
ふわふわと緩やかに上下に浮遊するそれは、「箱」と言われればそう見えなくもない。
僕は自分の心臓の鼓動がどんどん早くなっていることに気が付いた。
僕はゆっくりと台座に近づく。
そして目の前で「箱」をじっくりと見つめ、
それが完全に浮遊しているのだと確認する。
――――――どうしよう。
僕はそこまで考え、躊躇する。
もしもこれが本当に、
本当の『ゼメウスの箱』だとしたら一体どうなってしまうのか。
僕は恐怖を感じた。
それから長い時間、僕は台座の周りをうろうろしていた。
箱を手に取るべきか取らざるべきか。
僕にはもう判断できなかった。
不意に、箱が鈍く光ったような気がした。
僕は箱が呼んでいるような気がして食いに箱を眺める。
「あれ?」
明るすぎる部屋に目が慣れてきたからだろうか。
僕はそこに浮かぶ箱が、周囲の真白い壁と異なる色だと言うことに気が付く。
明るすぎる壁の中に、浮かぶそれはすこし濁った白色で、
それを端的に言い表せば・・・
「灰色?」
そう思った次の瞬間、僕はその手に「灰色の箱」を握りしめていた。
・・・
・・
・
気が付くと僕は草原にいた。
どこまでも続く緑の大地。緩やかな丘。
吹き抜ける風は、恐怖を感じるほど優しい。
先ほどまで居た暗い地底湖とは似ても似つかぬ場所。
状況が分からず、僕はドッと冷や汗をかく。
ここはどこだ。
「むぅ・・・まさか君のような人間が来るとはの。人生は予想通りにいかんものじゃ、ハッハッハ」
不意に声が聞こえ、僕は振り向く。
そこにいたのは、灰色のローブに身を包んだ
いかにも魔導士と言う出で立ちの老人であった。
「失礼な。誰が老人じゃ、君だって老人じゃろうに」
そう言ってにツッコミを入れる老魔導士。
あれ、僕は今言葉を口に出していただろうか。
そう思うと同時に、老魔導士が笑う。
「ハッハッハ。ここは先ほどまで居た空間とは勝手が違うぞ。ワシの様によっぽど上手くプロテクトせんと、頭で思った事がそのまま相手に伝わるぞ」
僕はそこで初めて口を開く。
「思ったことが・・・?あなたは、どなたですか?そしてここは一体・・・」
僕は老魔導士に疑問をぶつける。
「ふむ。まだ気が付いてない様子じゃな。いや、それとも頭では分かっておるのにそれを認めていないだけか・・・」
老魔導士は僕を値踏みするような眼で見つめる。
その視線に僕は身構えた。
「待て待て、値踏みなんて人聞きの悪い。ただ君に興味があるだけじゃよ、箱をようやく見つけてくれた君にな」
そう言って老魔導士はカラカラと笑う。
老魔導士に言われて僕は思い出す。
「箱・・・そうだ、僕はあの箱を見つけて、それで・・・」
ようやくこの状況が頭で理解出来始めた。
そして目の前の老魔導士の姿を見て、
ある答えにたどり着いた。
「・・・そうそう、それで正解じゃ。ようやく素直に理解してれたようじゃの」
僕は自分の考えが恐ろしくなる。
それはありえないような考えだったから。
「まさか、そんな・・・だって・・・」
目の前の人物は本来はすでに故人。
また歴史上の偉人で、
そして全ての魔導士に夢を与えた人物であった。
「ふむ、ワシをよく知ってくれている様で光栄じゃ。ワシはゼメウス。家名はない、ただのゼメウスじゃ。人は大魔導ゼメウスとワシを呼んでくれるがの」
老魔導士は誇らしそうに名乗った。
目の前に突如現れた、伝説の大魔導。
僕の情報処理能力はそこで限界を超えた。
・・・
・・
・
「そろそろ、落ち着いたかの。大丈夫かね?」
草の上に座り込む僕に、ゼメウスが尋ねる。
「・・・えぇ、急に失礼しました」
目の前の存在をゼメウスだと認識した時、
思わず立ち眩み、蹲ってしまった。
地底湖で目覚めて以来の目まぐるしい出来事は、
年寄りには情報過多だったようだ。
目の前にあのゼメウスが現れ、会話している。
嘘か真か、それともただの幻想か。
はたまたここはあの世で、
本当は僕は水竜の一撃で絶命していたのか。
次から次へと頭に湧き出る疑問。
僕は何から彼に尋ねるべきかを思案していた。
「ほほ。そんなに畏まらんでも大丈夫じゃ。それに幻想でも君の妄想でもない。もちろん死んでもおらん。ワシも君も所詮、ただの老人。気軽にやろう」
「・・・ありがとう、ございます。」
いまだに戸惑っている僕を優しく見つめ、
ゼメウスは話し出した。
「しかし、『灰の箱』を見つけるのが君のような者だとは正直思わんかったよ。箱を作った時にはこう、もっと若くてキラキラした者が見つけると期待してたんじゃがの」
そう言われて、僕は途端に申し訳ない気持ちになる。
「やや、これは失敬した。別に謝る必要はないぞ。むしろ逆じゃ、感謝じゃ。ワシらは君をずっと待っておったのじゃよ、ワシとこの箱を見つけてくれる人間をな」
ゼメウスは笑顔でありがとう、と頭を下げた。
その気軽さに僕は逆に恐縮してしまう。
偉大なる大魔道士ゼメウス。
そのイメージとはかけ離れて、
彼はとても柔和な人物であった。
僕は少しだけリラックスすることが出来、
あらためてゼメウスに言った
「いえ、僕が見つけたのは偶然に過ぎませんよ。」
ゼメウスはニコニコとしながら答える。
「そうか?そうでもないぞ?。君で無くては見つけられなかったし君で無ければ開けることは出来なかった」
「僕で、なければ?」
「分らんかの。ここに来るまでかなりのヒントがあったと思うのじゃが・・・」
そう言われて僕は考え始める。
ゼメウスの言葉の意味を。
「・・・そうそう、思考はワシら老人の武器じゃ。若者に勝てる瞬発力は無いが、その分深く深く思考が出来るからの・・・ゆっくり考えてくれ。時間をかけて」
そう言ってゼメウスは僕が考え終わるのを待っていた。
僕の事をニコニコ見つめたり、
雲を眺めたり草原の草をちぎったり。
ゼメウスのおかげで、ゆっくりと思考の整理が出来た。
そして僕はある事に気が付く。
「・・・色?」
「まず一つ、正解じゃ。さすがじゃの」
ゼメウスはにこりと笑う。
まるで教師と生徒のようだ。
「これはあくまで推測ですが・・・灰色の箱。それを見つけるのに必要なのは『灰色』であること、ですね?黒の箱はよく分からないけど、緑の箱を見つけたのはたしかエルフ。エルフの適性は『緑』であることが多いと聞きます・・・。そうか、箱の色は魔導士の能力適正と関連してるんだ・・・」
「むむ、その通り!まさかそこまでたどり着くとは君は本当に優秀じゃの」
ゼメウスは答える。
「年の功ですよ」
あの大魔導ゼメウスに褒められ、僕はとても誇らしい気持ちになる。
「さきほどまで君がいた部屋にもそうじゃが、箱を隠したダンジョンには魔力適性を感知する仕組みを山ほど入れてあるのじゃよ。『灰色』の君が居なくては箱まで到達することの出来ないようにな。だから箱を見つけたのは偶然であって偶然ではないのじゃ」
そこまで聞いて、僕は乾いた笑いを漏らす。
「・・・灰色にそんな箱を用意するなんて、ゼメウス様は物好きですね」
「ん?何を言って―――――む、なるほどそう言うことか」
ゼメウスは僕の顔を見て、何かに気が付くと
僕の瞳をジッと見つめた。
ゼメウスの瞳に、魔力が揺らめいたかと思うと
僕は僕のすべてが彼に見透かされているようなそんな気持ちになった。
瞳の揺らめきが消え、
ゼメウスはそのまま深く思案する。
今度は僕が、彼を待つ番になった。
「どうされたんですか?」
頃合いを見計らって、
僕は尋ねる。
「ふむ。すまんが君の記憶を少しだけ覗かせて貰ったよ。どうやらワシの死後、時代の流れと共に魔法体系も大きく変わったようじゃの。灰色の才能を持つものには、なかなか生き辛い世界になってしまったようじゃ」
僕はゼメウスの言葉が理解できなかった。
―――――灰色の才能?
「どういう意味ですか?」
「・・・ふむ。よかろう、君にも関係のある話じゃ。まず本来、灰色の適性は決して魔法が使えないと言うわけではない」
僕はゼメウスの言葉に衝撃を受ける。
ガツンと殴られたような感覚だ。
「ただ他の色よりも魔法を発現するのに時間がかかる。正しい努力と、正しい知識が必要となるのだ」
大魔導ゼメウスは、
これまでの常識を覆すような話をしてくれている。
だがあまりの事実に、僕の処理能力は再び限界を迎える。
「ただその分。能力を発現した『灰色』の力は他の魔導士を凌駕する。灰色は無能の色などではない。黒と白が混じり合った、混沌を体現する色だからの」
僕は湧き上がる感情を必死に抑えて、
ゼメウスに尋ねた。
「・・・灰色は、魔力の神に見捨てられた色ではなかったのですね」
僕はこれまでの人生を振り返る。
僕に適性を言い渡した神官に、
仕事で同行した魔導士たちに、
宿屋の女将、店の店員、
ゼメウスは優しい顔で答える。
「ハッハッハ。魔力の神は慈愛に溢れた優しいお方じゃ。そんなお方が、『灰色』だけ見捨てる訳がないじゃろ?その証拠に―――――」
ゼメウスは再びカッカッカと大笑いした。
「―――――ワシもまた『灰色』の適性を授かりし人間じゃ。どうじゃ少しは自信が持てたか?」
魔力の権化と呼ばれた男の言葉だ。
疑う余地もない。
―――――ああ、もう限界だ。
僕は震える自分の身体を抑えることが出来なかった。
気が付くと僕は、伝説の魔導士の前で大粒の涙を流していた。
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