第49話 弱点
「いや、完敗です。貴方を侮った自分が恥ずかしい」
戦いを終えた後、キリカが俺に言う。
「いや、キリカさんも本気じゃなかったですよね。後半の魔力、あれは凄かったです」
俺は先ほどの立ち合いを思い出す。
彼女が全身に魔力を纏った瞬間、雰囲気が変わった。
あれは魔法なのだろうか。
「あぁ、あれですか。あれは聖魔騎士団得意の身体強化魔法です。私は白魔法の適性なので」
キリカが言う。
曰く、聖魔騎士団は白魔法に適性がある者が多く、
主に身体強化と剣技で戦うらしい。
だがあれは、ただの身体魔法とは思えないようなプレッシャーだった。
何か秘密があるのだろうか。
「鍛錬が足りませんね、キリカ」
横からシルバが言う。
その言葉に、キリカはポリポリと頭をかいた。
「最近、ゴブリンとの戦いが多かったもので、つい」
シルバはため息をついた。
「しかし、グレイさんの実力には驚かされました。黒魔導士とばかり思っていたので、あれほど接近戦がお強い黒魔導士はそうは居ませんうよ。それでBクラス魔導士とは・・・」
シルバが言う。
「そうですか?自分ではよく分かりませんが・・・、確かに体術はある人にひたすら鍛えられました。あ、クラスの件は簡単です。自分が魔導士になったのはごく最近なので」
俺は答えた。
「そうなのですか。むしろそれでBクラスと言う事に驚きです。このキリカは、東の大陸でもそれなりの遣い手なのですよ」
シルバが言う。
「負けてしまいましたがね」
キリカがハハハと笑う。
思ったよりおおらかな人だな。
厳しい人だと思ったけど、印象が変わってきた。
「あなたも鍛錬が必要と言う事です。機会があれば、また立ち合いをするといいでしょう」
シルバが言う。
「それは素晴らしい!グレイ殿、お願いいたします」
俺はその提案を快諾する。
良い訓練になるし、こちらからもお願いしたいくらいだ。
横見ると、アリシアが黙って何かを考えているような顔をしていた。
結局すぐに出発することになったため声を掛けそびれてしまったが、
不安そうな表情であった。
・・・
・・
・
「キリカの話では、この辺りからゴブリンの目撃情報が増えるそうです。注意したほうが良いでしょう」
馬車を操りながら、シルバが言う。
「分かりました。少し天気が悪いですね」
俺はシルバに答えた。
「山では急に天気が変わりますからね。雨が降れば、少しやっかいなことになりますな」
シルバが空を見ながら呟いた。
たしかに雨の中では視界の確保が難しくなる。
ゴブリンたちに対して後手を取れば、めんどくさいことになりそうだ。
俺は馬車の中に戻った。
「そろそろだってさ」
俺はアリシアに声を掛ける。
「・・・うん」
アリシアは気の無い返事をする。
さきほどの休憩以降、ずっと様子がおかしい。
「どうした?」
俺は尋ねる。
「え、う、うん。なんでもない・・・」
アリシアは答えをはぐらかした。
どこか余所余所しく、
それどころか俺と目を合わそうとしない。
「・・・なんかあったのか?」
俺はアリシアの目の前に座り、
ほぼ無理やりに彼女の視線の中に入った。
「あ、いや・・・その」
アリシアは何かを躊躇している。
やがてパクパクと口を動かした後、
意を決したように口を開いた。
「あのね・・・さっきキリカとグレイが戦ったでしょ?その時に、なんて言うかすごく不思議な感覚があったの」
「感覚?」
俺は尋ねる。
「うん、一瞬だけ。・・・ホントによく覚えていないんだけど、急に身体が動かなくなって、意識もぼんやりとして、世界も急に色を失って・・・恐ろしい寒さを感じたの。ただ・・・」
「ただ?」
アリシアはぎゅっと目を瞑る。
「・・・ただその世界で、あなたの形をした影だけが恐ろしい顔をして動き回っていたような気がしたの」
俺はぎくりとする。
「ごめんなさい。それで私、急に怖くなっちゃって・・・」
気が付くとアリシアは少しだけ震えていた。
彼女は時折、Sクラス魔導士とは思えないような弱々しさを見せる。
俺は彼女の手を取る。
「あ・・・」
「・・・大丈夫だ、アリシア。ただの幻覚さ。疲れてたんだよ」
俺は少しリラックス出来るように、
アリシアに弱い回復魔法を掛ける。
彼女は気持ち良さそうに目を閉じた。
「ありがとう」
アリシアはホッとため息をついた。
表情が幾分か和らいだように見えた。
俺はアリシアに微笑みながら考えていた。
炎龍、リエル、それからあの白づくめの女。
今まで俺の時間魔法の中で、相手からなんらかの意識を感じたのは、
いずれも強大な魔力を有した存在だった。
アリシアもまた、不完全ながらもそれを同じような何かを感じ取ったのだろう。
考えてみれば、アリシアはSクラス魔導士<紅の風>だ。
強大な魔力、と言う意味では申し分ない。
だがそれは同時に無敵だと思っていた俺の、いや、
ゼメウスの時間魔法に呼吸以外の弱点がある事を示唆している。
そしてそれは呼吸の事なんかよりも、遥かに致命的な弱点と思われた。
つまりそれは、『相手の魔力の多寡によって、時間魔法そのものが無効化されるのではないか』と言うこと。
炎龍や、<深き紅の淵>リエルを超えるような存在が居るのかは疑問だが、
理論上、そんな可能性があるのであれば、俺にとって脅威となり得る。
そんな時、かつてリエルに言われた言葉が脳裏に蘇る。
「時間魔法を使いこなす、か」
リエルからは時間魔法に関する指南は得られなかったが、
それは自分で考えるものだとも言われた。
近いうち、それも真剣に考えないといけないな。
俺はアリシアを落ち着かせると、
彼女の顔を見た。
俺に言われたことを信じ、
少し安堵したような顔をする。
その表情を見て、俺は胸にちくりと罪悪感を感じる。
俺は彼女に対して真実を隠していることに、
限界を感じ始めていた。
彼女に対する姿勢も考えないといけない。
俺はぐしゃぐしゃになった頭の中を整理するため、
窓の景色に目を向けた。
山間から覗く空には、
すでにどす黒い雲がかかっていた。
・・・
・・
・
やがて降り出した雨は一気に豪雨となり、
俺たちと騎士団の一行を包んだ。
「これはひどい」
雨具を装着して馬車を操るシルバ。
雨により、前方もほとんど見えない。
「この先に洞窟がある。そこで雨宿りしましょう」
キリカが叫んだ。
俺たちもそれに従った。
洞窟はそこから間もなくのところにあり、
俺たちと騎士団は洞窟へと駆けこんだ。
「馬車が入れる高さがあり助かりました」
シルバさんが馬たちを落ち着かせながら言う。
たしかに洞窟は高さがあり、
馬車を雨風から守ることが出来そうだ。
「この雨では、小柄なゴブリンを見つけるのは難しいですね。やつらも行動を抑えるでしょうし・・」
キリカが言う。
「ここまでゴブリンの気配が無いのが気になるわ」
アリシアが言う。
うん、どうやらいつもの調子を取り戻したようだ。
声に力が戻っている。
「確かにそうです。目撃情報によれば、街道から溢れ返るほどのゴブリンがいたとの情報があったのですが・・・」
溢れるほどのゴブリン。
想像するだけでおぞましいな。
その後、
この豪雨の中進軍するのは危険だとキリカが判断した。
俺たちは洞窟で夜を明かすことで合意する。
入り口から雨水が流れ込まぬよう、簡単な濠を作り、
俺たちは身を温めるため火を起こした。
簡単な夕食を終えるとアリシアが近付いてきて、
俺の隣に座った。
俺たちは焚火を前に、話し始めた。
「落ち着いたみたいだな?」
俺は尋ねる。
「うん、もう大丈夫よ。その、さっきは変なこと言ってごめんね」
そう言ってアリシアが謝る。
俺はそれを微笑むことで濁した。
「ねぇ、グレイはさ。この東の大陸に来たのってお師匠さんからのお遣い事なのよね?それってどんな用事なの?」
俺は少し考えて答えた。
「・・・『ゼメウスの箱』」
その言葉にアリシアはピクリと反応する。
「『ゼメウスの箱』がどうかしたの?」
「それを見つけるのが師匠からのお遣いなんだ。言ってなかったけど」
「え、でもそれって・・・・」
アリシアは言葉を失う。
「・・・アリシア、今度ゆっくり話したい話がある。聞いてくれるか?」
俺は尋ねる。
「話したい事?」
彼女は尋ねた。
「船の中できちんと答えなかった話があるだろ?それをアリシアに伝えたい」
「・・・それって私たちがいつどこで出会ったのかって話?」
「そうだ」
俺は頷いた。
「そう。分かったわ。でもどうして急に話してくれる気になったの・・・?」
アリシアは不思議そうに尋ねる。
「それはアリシアが教えてくれたんじゃないか」
「私が?」
「そう。相手がどんな言葉を聞きたいかよりも、まず自分が何を伝えたいかを考えるべきって」
「それは・・・」
「俺はもうヒナタの時みたいに後悔したくないんだ。俺の話を聞いて君がどう思うか正直心配だけど、俺はアリシアには本当の事を話したいと思った」
アリシアは沈黙し、
何かを考えていた。
俺も彼女の事を見つめる。
一瞬、
彼女の瞳に炎の揺らめきが見えたような気がしたが、
すぐに消え、彼女の瞳が揺らめくことはなかった。
「うん、わかったわ。聞かせて欲しい」
アリシアが笑顔で答える。
俺も釣られて笑みを浮かべた。
一体どこから話せばいいのだろう。
長い話になるだろうな。
俺はそう思った。
その時――――――
「敵襲!ゴブリンです!」
見張りに立っていた騎士の叫び声が聞こえる。
俺とアリシアは同時に腰を上げた。




