第25話 開戦
俺とヒナタには遠距離攻撃の手段がない。
俺の魔法の最大射程も10メートルほど。
近距離戦闘特化のチームと言っていいほどだ。
今までの依頼やダンジョンでもヒナタが前衛、俺が後衛を務めていたが、
その距離感はだいたい10メートル以内。
炎龍ならばほぼ一瞬で焼き尽くすことの出来る範囲だ。
ヒナタはこの距離のギリギリ外を保ち、囮役を務める。
俺は更にその外側。
炎龍に気が付かれず、かつ時間停止の制限内に接敵出来る距離を取る。
時間魔法発動のタイミングは逆鱗の所在を確認し、
炎龍の意識が完全にヒナタに向いた後。
遠すぎてもダメ、
近すぎてもダメ。
タイミング、距離感。
ともにかなりのシビアさを求められるだろう。
「転んでも助けない。その時は諦めて焼け死んで。それから私が囮をしている時は岩陰から出てこないで」
ヒナタはそんな言葉で俺を鼓舞した。
鼓舞、したんだよな。
俺たちは息を殺しながら、
再び岩山を登り始めた。
二回戦のスタートだ。
・・・
・・
・
「・・・気配がない」
しばらく歩き回ったあと、
ヒナタが静かに呟く。
俺も同じことを考えていた。
先ほど炎龍と接敵した場所に戻り、
その周囲を歩き回ったが、
魔力の気配すらない。
あれだけ濃密な魔力、
近付けばすぐに気が付くはずなのに。
「逃げたかな?」
俺は静かに尋ねる。
ヒナタは首を振る。
「炎龍が逃げる相手など、この世に存在しない」
俺はその通りだと思った。
最強種古龍は絶対的な存在なのだ。
「あれ?」
俺は岩に煌めく何かを見つける。
赤く輝く、宝石のようなもの。
俺は近づいて、それを手に取った。
「熱っ!」
思わず叫んでしまう。
手に取ったそれは異常なほどの高温であった。
「それ・・・」
ヒナタが地面に落ちたそれを見つめる。
「炎龍の鱗。すごく高価で売れる」
古龍の素材は非常に貴重なものだ。
市場では伝説級。
全身の素材が目の飛び出るような値段で取引される。
「もし倒せたら、ボルドーニュの一等地に豪邸が立つよ」
俺はティムさんのそんな言葉を思い出していた。
だがこんなに高温では持ち帰ることもままならない。
俺たちは泣く泣く回収を諦め、探索を再開する。
ヒナタはしばらく回収の仕方に頭を悩ませていた。
・・・
・・
・
「・・・いた」
ヒナタが俺の進行を手で制する。
目を凝らし、
ヒナタの視線を見ると岩肌の間に赤い何かが見える。
先ほどよりも遠い距離からの発見。
よく発見できたな、と俺は感心する。
いよいよかと俺は更に緊張を高める。
「作戦通りに」
ヒナタはそう言って、歩き出す。
ここから10メートルヒナタが先行。
俺はその後を気配を殺しながら歩く。
俺はヒナタに声を掛けた。
「ヒナタ」
こちらを振り向くヒナタ。
俺はヒナタに親指をあげた。
ヒナタはそれには答えず、
ただ口の端を釣り上げた。
それは笑顔か?
俺たちは静かに進みだした。
野生の肉食獣などは生まれながらのハンターで、
生来気配を消すような能力を有している。
だが人間に取って気配を消すことは非常に難しい。
足音、呼吸、心臓の鼓動、体臭。
それらは人間の身体では、
コントロール出来ない仕組みになっているのだ。
そんな前提の中、
ヒナタの隠密性能は非常に優秀だったと言える。
足音を立てず、呼吸も少なく。
ゆっくりと、だが確実に炎龍との距離を詰めていく。
一流の暗殺者のような振る舞いに俺は驚いていた。
ヒナタ、お前は本当に何者なんだ、と俺改めては思う。
そして、いよいよ。
炎龍との距離が詰まる。
およそ15メートル。
もはや炎龍の息遣いがすぐそこに感じられる距離だ。
猫の様に身体を丸め、
瞼を閉じている。
炎龍は眠っているようだった。
もしかしてこのまま逆鱗を攻撃出来るんじゃないか、
安易にそんな事を考えた時。
「ギャー!ギャー!!」
運悪く俺たちの真上で鳥が鳴いた。
なんの変哲もないただの鳥の鳴き声。
だが、警戒心が高まっている炎龍の浅い眠りを覚ますには
十分なものであった。
炎龍の瞼が開き、宝石のような眼が露わになる。
そしてその瞳は、
俺の10メートルほど先に居るヒナタを捉えた。
「グオオオオオオオォォォォォ!!!!!」
炎龍は立ち上がり、雄たけびを上げる。
間近で聞くとさらに凄い。
身体を痺れさせるような大轟音だ。
ヒナタは剣を抜き、
戦闘態勢となった。
俺はヒナタの指示通り、
炎龍に気が付かれぬよう岩陰に身を隠した。
気を付けろよ、ヒナタ。
「グギャアアアン!!!」
炎龍はヒナタに対し、爪を振るう。
触れればヒナタの小さな体など容易に引き裂かれるだろう。
ヒナタはそれを後方に飛び回避する。
ヒナタはそのまま着地と同時に身を捩り、
一瞬で間を詰めると炎龍に剣を振るった。
遠心力と大剣の重量が十分に乗った剣撃。
ゴブリンやオークなら一刀両断に出来るほどの一撃だ。
ガキンとまるで金属同士がぶつかったような音がする。
ヒナタの全力の振り下ろしは、
炎龍の体表を一切切り裂くことも出来ずに弾かれた。
炎龍を守るのは鋼鉄の体毛。
ヒナタの両手に痺れが走る。
「・・っ!!」
思わずヒナタは距離を取る。
だがヒナタが距離を空けたその瞬間。
炎龍は口から炎を吐いた。
濃縮された魔力がヒナタに飛来する。
ヒナタは再びそれを避ける。
炎弾は着弾と同時に爆発し、
周囲の岩石を破壊する。
俺の<フレイムボム>の数倍はあろうかと言う威力だ。
炎龍はさらに連続して炎弾を吐き続ける。
魔力を集束する隙なんて殆どない。
息をするように自然と魔法が放たれていく。
何度も何度も。
魔力量など気にしないかのような、無尽蔵な攻撃が続く。
炎弾による爆発の連鎖に晒されながらも、
ヒナタは体勢を崩しながらなんとかそれを回避する。
はた目にはなんとか戦えているように見える。
だがそれは違う。
これはもはや攻撃は一切考えず、回避だけに徹している結果だ。
先ほどの僅かな反撃だけで、ヒナタは自らの剣が炎龍には届かないことを確信した。
ヒナタはただひたすらに待っているのだ。
俺の魔法を。
俺は必死で炎龍の身体を注視した。
時間を止める前に、まずは鱗を見つけないといけない。
古龍の唯一無二の弱点、
逆鱗は個体ごとに位置が違う。
胸、頭部、腹部、腕、全身のどこにあるかを見つけないと攻撃が出来ない。
俺はその巨体からは信じられないような速度で動く炎龍を必死で見つめた。
そしてついに、炎龍の右脚の付け根の内側。
他とは違う赤く輝く部位を見つける。
あれが逆鱗か。
俺は全身の毛が逆立つのを感じた。
だがその瞬間、
これまで順調に回避を続けてきたヒナタに異変が起きてしまう。
「・・・グハッ!」
突如咳き込み、真っ赤な血を吐くヒナタ。
回避を続けていた足も止まってしまう。
炎龍はその隙を見逃さず、
ヒナタに向けて炎弾を放つ。
ヒナタの足元に炎弾が着弾し、
爆発が起きる。
ヒナタの小さな身体は吹き飛ばされ、
鈍い大きな音と共に岩山に叩き付けられた。
「ヒナタ!」
俺は思わず、岩陰から身を乗り出してしまう。
その途端、体表を焼くような熱波を感じる。
そこで俺は初めて気が付いた。
ヒナタが俺に岩陰に隠れている様に指示した意図を。
炎龍はその存在自体が巨大な炎のようなものだ。
ただそこに居るだけで、大気を燃やす。
同時に、炎龍が放ち続けた炎弾により周囲は火の海になりつつある。
これでは火炎の中で戦っているようなものだ。
今、俺がいる位置ですらこれだけの熱を感じるのだ。
接近することにより回避率を高めていたヒナタはその何倍もの熱に晒されていたに違いない。
高温の大気は呼吸と共に体内に入り、彼女の身体を焼き続けていたのだ。
全ては俺に逆鱗を攻撃させるため。
俺はヒナタの決意と、それに気が付かなかった自分の愚かさに苛立ちを覚えた。
「グギャアアアン!!!!」
炎龍が吠える。
岩に叩き付けられ未だに体勢を起こせないヒナタに、
追撃を仕掛けようとしている。
マズい。
俺は魔力を集束した。
炎龍の口が赤く輝き、
その口から先ほどよりも濃厚な魔力がヒナタに向け放たれる。
ヒナタに確実に止めを刺さんとする、強力な魔法だ。
ヒナタの回避は間に合わない。
彼女はまだ立ち上がれても居ない。
「<時よ>」
俺はその瞬間、躊躇することなく時間魔法を発動させた
炎龍、ヒナタ。
炎の揺らめき、燃え上がる大気、崩れる周囲の岩石。
そして炎龍が放った炎弾。
それらすべての動きが停止した。
それと同時に俺は駆けだす。
近付くほどに高温の大気が皮膚を焼く。
俺は既に息苦しさを感じていた。
これは予想以上に酸素の消費が激しい。
<エアボム>
俺は風魔法をヒナタに向けて放つ。
小規模な暴風の魔法で吹き飛ばす。
これでヒナタは炎弾を回避出来るはずだ。
よし、これで後は逆鱗を―――――
そう思い、炎龍の方を振り向いた瞬間。
俺は見てしまった。
時間の止まった世界で、
炎龍の眼が確かに意思を持って俺を捉えているのを。
時の流れが停止した世界で、身体は止まっている。
しかし炎龍の精神は、確かにそこにあった。
吠えることも唸ることもせずに、
ただ俺を恨めしそうな瞳で見ていた。
その瞳には明確な怒りが感じ取れた。
俺はその圧倒的な威圧感に、飲まれてしまう。
最強種古龍の眼力は、
ただそれだけで俺の心臓の鼓動を大きく早めさせた。
そして―――――
この緊迫した薄氷を踏むかのような作戦下では、
その一瞬が命取りとなった。
まずい、酸素が
そう思った時にはもう遅かった。
一瞬、意識がブラックアウトし俺の魔力が霧散する。
―――――バキン。
耳元でガラスが割れたような大きな音が響く。
同時に時間が流れ出す。
俺の意識が薄れゆくのと同時に、炎は再び揺らめきを取り戻した。
・・・
・・
・
「っ!!」
身体に衝撃を感じ、吹き飛ばされる。
すると次の瞬間にヒナタが倒れていた場所に炎龍の魔法が着弾する。
起きる大爆発。
あれを喰らっていたら自分は確実に死んでいた。
ヒナタは自らの死を明確に想像し、
背筋に冷たいものが走るのを感じた。
生命の危機を感じた恐怖心が先立ち、
状況把握のための思考が一瞬だけ停止する。
だがヒナタはすぐに冷静さを取り戻す。
倒れていた自分がなぜ突然吹き飛んだのか。
なぜ炎龍の攻撃を回避できたのか。
答えは一つ。
グレイが時間魔法を発動させたのだ。
おそらく自分を助けるために。
ヒナタは顔を上げる。
すると炎龍はすでにヒナタから視線を外し
目の前にいる一人の人間を見つめていた。
彼は膝をつき、肩で呼吸をしている。
とても苦しそうだ。
「グギャアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
怒りに満ちた咆哮。
これほどに炎龍が明確に感情を示ことがあっただろうか。
そして炎龍は赤い魔力を全身にみなぎらせると、
それを一気に開放した。
グレイの全身が超高熱の炎に包まれるのを、
ヒナタは何もできず、茫然と見ていた。




