第20話 少女
ラフィットは気を抜けば意識を失うほどの緊張を感じていた。
目の前には、紅い毛並みの一見すると猫科の肉食獣を思わせるような生物。
ただ特徴的なのは、
背中に生えた一対の翼と、
その圧倒的な魔力の質だ。
彼は今、火龍カグラ=ロギアと対峙していた。
「<ギガライトニングボルト>」
雷の上級魔法。
ラフィットの掌から幾本もの雷が放たれる。
「グギャアアアアアア!!!!!!」
火龍カグラ=ロギアはその身に雷撃をくらいながらも、
轟音のような雄たけびを上げた。
それだけで、大地が割れ、空気が震える。
その咆哮には火龍の怒りが顕著に表れていた。
火龍カグラ=ロギアが攻撃に転じようと魔力を集束した瞬間、
ラフィットは自らに魔法を掛けた。
<雷装>
途端に、ラフィットの身体がバチバチと音を立て輝き始める。
<雷装>はラフィットのオリジナル魔法。
自分自身を雷に変え、
身体能力と反応速度を超人レベルまで引き上げる魔法だ。
彼の<雷帝>という二つ名の由来でもある。
そして<雷装>状態のまま、
ラフィットは火龍カグラ=ロギアとは別方向に飛び出した。
そしてそのまま脇目も振らずに山岳地帯の岩々を利用し姿を隠す。
やがて炎龍の気配は遠くなる。
どうやら上手く撒けたようだ。
遠距離以上からの魔法攻撃。
そして自身の魔法を利用し、戦闘から離脱。
徹底的にリスクを排除したヒット&アウェー戦法だ。
ラフィットは既に10日以上も火龍を攻撃し続けていた。
昼夜問わずの、嫌がらせにも近い攻撃方法。
だが古龍種という敵を相手にするには、
これくらい慎重でないと歯が立たないのだ。
山岳地帯は、
炎と雷の衝突により既に変わり果てた姿になりつつあった。
魔導士ギルドとの約束で、
この期間は山岳地帯への依頼は受注できないようにして貰っている。
元々、人の寄り付かない土地でもあるし今は思う存分戦うことが出来る。
「もう少しだ・・・」
ラフィットは呟く。
最強生物古龍の唯一無二の弱点は、
逆鱗と言われる一枚の鱗だ。
逆鱗は普段は分厚い毛並みに隠されており、
体表に出ることは無い。
体力、もしくは魔力の著しい低下によって
逆鱗は体表に現れる。
ラフィットはその準備を着々と進めていた。
正攻法で言えばAクラス以上の魔導士を集め、
交代制で幾晩も攻撃をし続けることでようやく実現する撃退法だが、
ラフィットはその行程をすべて一人で行っていた。
Aクラスとはいえ実力も知らない魔導士と共同作戦を実施するよりは、
己一人ですべてを行ったほうが成功確率が高いことをラフィットは確信していた。
過信ではなく自信。
それを可能にするのは彼の恐るべき魔力量と、集中力、体力。
これがSクラス魔導士<雷帝>の実力であった。
問題は起きないはずであった。
だがそう思い<雷装>を解いた瞬間、
ラフィットの耳に、火龍の咆哮と人間の悲鳴が聞こえた。
・・・
・・
・
昨晩は最悪だった。
今も状況は変わっていないが。
あの後俺は
宿に戻り、ヒナタにランクアップした件と
新たな<二つ名>を得たことを報告した。
<ゴブリン殺戮者>
<ゴブリン殺し>より一段階ヤバさが上がってしまった。
ティムさんもこんな<二つ名>は見たことが無いと言って
なんとも言えない表情をしていた。
ヒナタはその話を聞いた瞬間、爆笑していた。
どうも俺の二つ名ネタは彼女のツボの様だ。
その後もヒナタに散々とイジられた。
だが不幸中の幸いと言ったところか、
少しはヒナタの機嫌も直った様子だ。
俺は今日も魔導士ギルドに向かった。
ギルドは何故か慌ただしく、
ギルド職員たちが何かを準備している様で右往左往していた。
その中に見知った顔を見つける。
ティムさんだ。
「何事ですか?」
俺はティムさんに声を掛けた。
「ぐ、グレイ君!いつも朝早いね。だけど今日は一般の依頼は受注できないんだ!」
ティムさんは早口で言った。
「依頼を?それってどういう・・・」
俺が質問を重ねようとすると、
ティムさんは他のギルド職員に呼ばれた。
「ご、ごめん。もう行かないと。詳しくはあとでギルドで説明会をするから君も来て欲しい」
ティムさんはそう言ってギルドの奥へと戻っていった。
俺は一人その場に取り残された。
俺は他のギルド職員にも話を聞いて、
今日は緊急事態につき依頼が受注できない事、
ボルドーニュ内に居るCクラス以上の魔導士に緊急の招集依頼があることを知った。
なんとも不穏な感じがするが、
とりあえず情報がなくては何も始まらない。
俺はギルドの図書室で時間を潰すことにした。
図書室に入り、驚く。
フォレスのギルドのようなこじんまりとした書架を想像していた俺は、
目の前に広がる書物の山に圧倒された。
ボルドーニュ魔導士ギルド図書館。
恐らく世界中を探してもここより本の所蔵量が多い場所は少ないだろう。
唯一思いつくのは、東の大陸にあるかの有名なダンジョン『図書館迷宮』だが、
一般人が入れるレベルでは最大とも言えるかもしれない。
俺は夢のような光景に、心を躍らせる。
魔導士になって良かったとそう思えた。
俺は図書館の中で、なるべく奥の方の人が来ない席を探した。
その方が本に集中できるからだ。
うろうろと館内を行き来すると、
一つ他とは異なるデザインの椅子を見つけた。
豪華で王族が座るような椅子。
座ってみると敷かれたクッションが恐ろしくフカフカで
上等な一品だと分かった。
うん、最高だ。
ここにしよう。
俺は満足し、本を読み始めた。
魔導学院発行『初級魔導学教本』
第6章「七つの禁忌」
第1章からは魔力の構成要素、第3章以降は魔法の分類について言及してきたが、
本章では魔法では実現出来ない事について学んでいく。
それらは「七つの禁忌」と呼ばれ、魔導士が万能と言うわけでは無いという事を暗に示している。
七つの禁忌は以下の通り。
時間、時計の針は前にしか進まない。
生命、すべての生物は死の運命からは逃れられない。
感情、喜怒哀楽、そして愛情を魔力で動かすことは出来ない。
重力、人間は大地から離れることは出来ない。
空間、距離はすべての存在にとって均一である。
記憶、それは過去の軌跡。すでに起きたことは変えられない。
因果律、魔力の神はサイコロを振らない。
まず時間についてだが我々はいつでも一定の時間の流れの中を――――
俺はそこまで読んで考えた。
俺の身に宿ったゼメウスの時間魔法。
それはこの世界で禁忌とされている領域を犯した魔法だ。
なぜ彼がこのような魔法を作り出したのか、
俺はずっと気になっていた。
確かに彼は魔力の権化とも言われた好奇心の塊のような男だ。
今になってゼメウスに色々聞いておけば良かったと後悔する。
そして更に気になるのは、
この世に存在すると言われる「ゼメウスの箱」と、
「七つの禁忌」の数が一致するという事だ。
七と言う数字は区切りも良いし、ありふれた数字だ。
それだけでは箱と禁忌の間に共通点を見出すことは決して出来ない。
だが、俺は七つのうちの一つが「時間」と言うキーワードで繋がる事を知っている。
だからこそ思い至る。
もしや、「ゼメウスの箱」に隠された魔法と言うのは――――
そこまで思考を進めた時に、不意に後ろから声を掛けられた。
「・・・なんじゃ、先客か」
俺は驚いて振り向く。
そこには一人の少女が本を抱えて立っていた。
黒いローブを身にまとい、
いかにも魔導士然とした出で立ちだった。
「・・・なんじゃお主、呆けた顔をしおって。間の抜けた顔が殊更腑抜けているぞ。」
少女が言葉を続ける。
恐ろしく口の悪い少女だ。
だが俺は怒らない。
こんな小さい子を相手に本気で怒る方がどうかしている。
きっと都会の少女はこれくらいませているものなんだ。
俺は勝手にそう納得した。
「えっと、席は自由だから先着順だよ?それに人にそんな事を言っちゃいけない。お友達に嫌われちゃうよ?」
俺は優しく少女を諭す。
よく見ると可愛いな。
『僕』にもし孫が居たらこんな感じだったのかな、と思う。
「・・・無礼者。今、私を子ども扱いしおったな?」
俺は少女の言葉に思わず笑ってしまう。
「子ども扱いって・・・子供じゃないか」
俺の言葉に少女は顔を赤くする。
「・・・若造。私は大人だから素直に謝罪して、私の席を空け大人しくここから立ち去れば許してやる。そうでなければ命の保証はせんぞ?」
少女が凄む。
だがどうあっても恐怖は感じない。
彼女からは一切の魔力を感じないからだ。
そんな年下の子に脅されて席を渡しては、
この子の教育のためにもよくないだろう。
『僕』はそんな老婆心から少女に言った。
「コラ!いい加減にしなさい。子供だからってなんでも許されると思ったら大間違いだぞ。君の方こそ、座りたいならちゃんとお願いをしなさい。そしたらちゃんと席は渡してあげるから」
俺の言葉に少女は、顔を伏せる。
マズい、言い過ぎたか?
俯いたままフルフルと震える彼女を心配そうに覗く。
だが、その顔は笑っていた。
「フ、フフフ少女少女と何度も子ども扱いしおって・・・実に面白い。ここまでコケにされたのは久しぶりじゃ」
少女は貼りつけた様な笑顔で顔を上げた。
「おい、貴様に提案じゃ。『私とゲームをしよう』、貴様の言う少女の力を見せてやろう」
少女はそんな事を言い始めた。
「何を言ってるんだ、別に『遊ぶのは構わない』けど、それより先に言うことが――――」
その瞬間、少女の雰囲気が変わった。
「フフ『承諾』したな?契約成立じゃ」
恐ろしく冷たい何かが俺の首元を撫でる。
そこで俺は初めて気が付いた。
――――この少女からは一切の魔力を感じない。
あれ?
そんな人間、今までに出会ったことあったか?
そう思った次の瞬間、俺の視界が暗転した。
そして同時に今まで立っていた地面の感覚が消失する。
俺は暗闇の中、どこまでもどこまでも落ちていった。




