第206話
「それで?フェンリルはどうなったの?」
アリシアが尋ねる。
「当然だがグリオールたちが倒せなかったって話はすぐにギルドに広まった。だからギルドも慎重に対応する方針のようだ。しばらくは様子見ってことだな」
俺は答えた。
「そう?大丈夫かしら。人が襲われたりしないと良いけど」
「うん、幸いにもやつがいるのは街道からも遠く離れた荒野だ。ギルドも注意するようにお触れを出しているし、被害が出る可能性は少ないと思う」
「それなら良いけど・・・もしかしたら私に依頼が回ってくる可能性もあるわね」
アリシアが言った。
「そうはさせないさ」
俺はアリシアにそう答え席を立つ。
乗りかかった船。
アリシアに依頼が回る前に俺がなんとかするのが筋だろう。
俺は自室に戻るとベッドに腰掛ける。
そして枕元に置いた手帳を手に取ると、
ペラとページをめくった。
俺は昨夜気が付いた、
新たなページで手を止める。
そこには先日までは無かった、
新たな文章が現れていた。
・・・
・・
・
灰色の魔導士リシュブールは、
ゼメウスやその高弟たちのように、
多くの魔法を使うことは無かった。
だが時間魔法とそれを軸に組み立てられた戦闘は、
たしかにゼメウスの弟子と呼ばれるに相応しいものであった。
彼は時間魔法を駆使し、
まるで風のように戦場を駆け抜けた。
黒騎士たちの甲冑も、
帝国魔導兵器も、
彼の時間の前に全てが塵と化した。
彼の力を称して、
時間魔法こそが無敵の力だ、と誰かが言った。
しかし彼がそれを肯定することは一度もなかった。
・・・
・・
・
「グレイさん?」
声を掛けられて俺はハッとする。
扉から顔を出したのはテレシアだった。
「テレシア・・・さん?どうしました?」
俺は答える。
「ええ。ほら、今日は買い物に付き合っていただけるってお話だったじゃないですか」
テレシアが言った。
「そう、でしたね・・・すみません。すぐに準備します」
すっかり忘れていた。
俺はそれを取り繕うように答えた。
「それは?」
テレシアが俺の手元の手帳を見て尋ねた。
「これは・・・いえなんでもありません」
俺は答えた。
「そう・・・。では私は下で待っていますね」
そう言ってテレシアは俺の部屋から出ていった。
・・・
・・
・
「荷物持ちしていただいて助かるわ。急な入用で私一人でどうしようかと思ってたの」
買い物を終えた帰り道、
テレシアが言う。
「アリシアや、他の方に任せても良かったのでは?さすがにこの量は・・・」
俺は両手に抱えた、塩や香辛料を見た。
かなり鍛えている俺でも重さを感じる量なので、
テレシア一人では到底持てなかっただろう。
だがテレシアから返ってきたのは、
意外な言葉だった。
「あら?そんなことないのよ?」
そう言うとテレシアは俺から、
買い物袋を受け取り、
それを軽々と持ち上げてみせた。
「テレシアさん?」
俺が驚いて声を上げると、
テレシアが茶目っ気のある笑顔で笑う。
「記憶はなくても、身体は覚えているみたい」
そう言ったテレシアの全身は、
とても洗練された魔力が纏っていた。
いつの間に魔法を発動させたのだろう。
まるで気が付かなかった。
俺は再び彼女から荷物を受け取る。
そこから俺たちは再び家に向け歩き始めた。
しばらく行くと公園があり、
テレシアが少し休みましょうと言った。
俺はそこまで疲れては居なかったが、
せっかくなので彼女と一緒に石垣に腰掛けた。
そのままテレシアと他愛のない話をする。
平和な日だな、と俺は思った。
「それでグレイさんは、アリシアちゃんのことをどう思っているのかしら?」
テレシアの突然の言葉に俺は咳き込む。
「ゲホッ!ゲホッ!・・・どうって、何がですか?」
俺は尋ねた。
「あら?そんなに鈍感そうには見えないけど・・・?もちろんアリシアちゃんを異性としてどう見てるのかってことよ?」
テレシアが尋ねた。
「それは・・・」
「あの子は貴方のことが気になっているみたい。あんなに感情豊かなあの子を見たのは久し振りね」
「そう、ですか・・・」
俺は答えた。
「人の気持ちだもの、無理にとは言わないけど。もし貴方が私の孫の旦那になるなら、私はとても嬉しいわよ?」
そう言ってテレシアはケラケラと笑った。
こういう表情の変化はアリシアにそっくりだ。
「テレシアさんは・・・」
「なぁに?」
「いえ、その・・・旦那さんを愛していましたか?」
俺は尋ねた。
なぜそんなことを聞いたのか、
自分でもよく分からなかった。
テレシアは驚いたような顔をしてこちらを見た。
「そうね・・・。結婚して、息子を・・・アリシアちゃんの父親を生んで・・・それからすぐに亡くなってしまったから、そんなこと考えたのも久し振りだわ」
「・・・すみません」
俺は彼女に謝った。
当然だ、何を聞いてるんだ俺は。
「ううん、構わないわ。それよりも・・・愛してたか、か。うん、そうね。私は彼を愛していたのだと思うわ」
テレシアが答えた。
「・・・思う、と言うのは?」
俺の質問に、
テレシアは少し考えるような素振りを見せた。
やがてテレシアは大きく息を吐いて、
まるで罪を懺悔するかのようにポツリと呟いた。
「・・・私にはずっと好きな人がいたの。だからあの人にそれでも良いから結婚してくれーって言って貰えなかったら、私はずっと独り身だったわ」
テレシアの言葉に俺の心がざわつく。
「そう、なんですね・・・、それは・・・どんな方だったんです?その好きな人というのは」
俺は恐る恐る尋ねた。
「それは・・・」
テレシアが俺の方を見る。
「・・・魔導士、だったわ。本当の名前も何も教えてくれなかったけど・・・だけど強くて、カッコよくて。当時、まだ生意気だった私は彼に夢中になっていた・・・」
テレシアが答えた。
「そう、ですか」
俺は落胆した声でそう答えた。
その瞬間、俺は自分で自分の事が信じられない気持ちになった。
おい、俺は、僕は今何を期待していた?
もしかしてテレシアが自分の事を想ってくれているとでも思ったのか?
村から逃げ出した僕のことを、
ただの負け犬の僕を、
テレシアが長年想ってくれていたとでも期待したのか?
ふざけるな。
そんなの彼女にどれだけ失礼なんだ。
僕は、一瞬前の自分をぶん殴りたい騒動に駆られた。
「グレイさん?」
テレシアに声をかけられて、俺はハッとする。
「あ、いえ・・・」
「ごめんなさいね、こんなお婆ちゃんの恋愛話なんて、グレイさんには退屈よね?」
そう言ってテレシアは笑った。
「・・・そういうわけでは」
「ふふふ、優しいのねグレイさんは。さぁ、そろそろ帰りましょうか」
そう言ってテレシアは立ち上がる。
たしかに気が付いてみれば日が暮れかけていて、
エスタの街は夕陽に照らされていた。
「見て、綺麗でしょう?」
そう言ってテレシアが見上げた先には、
赤く染まる風車があった。
俺はその言葉に首だけで頷き、彼女に答えた。
・・・
・・
・
僕とテレシアは、
家が近所にあったせいか本物の兄妹のように育った。
テレシアの家は由緒ある家系らしかったが、
まともに残っているのは血統だけで、
小さな畑と僅かな家畜を有するだけの農家だった。
テレシアのお父さんがどんな人だったかはよく覚えていない。
いつも出稼ぎに行っているのだとテレシアから聞かされたことがあったが、
街に行ったままほとんど戻ってこないような人だった。
テレシアのお母さんは綺麗だが身体の弱い人で、
テレシアは小さい頃から家の手伝いをよくこなしていた。
「ねぇ、テレシア?君は将来何になりたいの?」
僕は尋ねた。
「まだ考えてないわ。でもお母さんの側にいてあげたいの」
テレシアは答えた。
僕がその理由を訪ねると、
彼女は母親が毎晩泣いているから、
自分が付いていないといけないのだと言う。
僕はそれが何故かなんて考えることもなく、
テレシアのお母さんは大人なのに泣き虫なんだな、
くらいにしか思っていなかった。
だがテレシアは違う。
彼女は母親の悲しみと自分の役割を、
しっかりと理解していたのだと今になって思う。
「それならさ、僕が強い魔導士になって、アリシアを迎えにくるよ」
僕は言った。
「迎えに?」
テレシアは尋ねた。
「そうさ、魔導士は困っている人を助けるのが仕事なんだ。だからテレシアが困っていたら僕が助けるよ」
僕は言った。
それは昨夜、読んだ伝記の受け売りに過ぎなかった。
妹みたいに思っていたテレシアに、
ちょっとかっこいい所を見せたくて、
そんな言葉を口に出してみた。
「ほんとに?」
テレシアが言う。
その目には期待と不安が宿っていたが、
僕はそんな事には一切気が付かなかった。
「もちろんさ!」
僕は得意げにそう答えて、
それからいつもの魔導士の話をテレシアにした。
もう何回目になるか分からない話を、
テレシアは微笑みながら聞いてくれた。
こちらで年内ラストの更新となります。
今年も「灰色の魔導士」を読んでいただいてありがとうございました。
相変わらずランキングとは無縁の本作ですが、
この作品を見つけていただいた、なろうフリークの方々のお陰で頑張って更新する事が出来ています。
来年も皆様のために頑張って更新しますので、
良ければお年玉代わりにポイントでも入れてやってください(切実)
皆様、良いお年をお過ごしください。
来年も宜しくお願いいたします。




