第196話
アリシアによれば、
テレシアの記憶喪失は、
年齢によるものらしい。
「あまりに突然だったから、最初は魔法的な何かを疑ったのよ」
アリシアは言った。
Sクラス魔導士と言えば名誉と引き換えに恨みを買うことも多い。
命を狙われるのも日常茶飯事なんだとか。
「そうなのか・・・」
「うん。でも魔導士に見せても医者に見せても言うことは変わらなかったわ。覚えていないのは昔の魔導士としての記憶だけで、家族や、この孤児院の事は覚えているみたいなの。まぁでもこういうのは進行性らしいからいつ他のことも忘れてしまうかわからないけどね」
アリシアが言う。
「魔導士としての記憶を、か・・・」
「そうね。グレイにとっては残念だけど、多分小さい頃のことも覚えてないと思うわ」
アリシアが言う。
「いや、逆に良かったよ」
俺はベッドから立ち上がり、答える。
「良かった?」
アリシアが尋ねた。
「うん、そもそも魔法で若返るなんて荒唐無稽な話どう説明すれば良いかもわからないし。今更合わせる顔もないしな・・・」
俺はそう言って窓の外を見た。
「ねぇ・・・アンタとお祖母様の間には何があったの?幼馴染だったんでしょ?」
アリシアが尋ねた。
「・・・うん、情けない話さ。俺、僕は逃げたんだ。灰色と分かったあの日に、村から、そしてテレシアからも」
「それって・・・」
「だからいいんだ、このままで。俺はアリシアの友人のグレイ、それで十分だ」
俺はアリシアに向き合って言う。
「・・・でも・・・」
アリシアが何かを言う前に、
俺は部屋の扉へと向かう。
「どこ行くの?」
「ちょっと中庭で身体動かしてくる。実はまだ本調子じゃないんだ」
俺はアリシアから逃げるようにして、
部屋の扉を閉じた。
・・・
・・
・
それから俺達は、
孤児院の手伝いをしながら、
エスタの街の魔導士ギルドで依頼を受ける日々を過ごした。
決して刺激的な仕事内容ではなかったが、
エルフの里で負った傷を癒やし、
身体の感覚を取り戻すにはちょうど良いものであった。
俺も予告どおりアリシアの友達として、
テレシアに認識されていた。
テレシアと、
それから孤児院の子どもたちにも受け入れられ、
一週間、十日と、
穏やかな日々は流れていった。
・・・
・・
・
「ふぅ・・・・」
俺は毎晩の日課として、
教会の中庭で魔法の修行をしていた。
魔力の収束も、魔法の行使も、
ようやく自分の意識と身体が一致してきたように思える。
俺は目を閉じ、
深く魔力を集束する。
集中、集中。
俺は時間魔法を操り、
周囲の時間を加速させる。
俺が立つ周囲の芝生が猛烈な勢いで成長し、
枯れていく。
次に俺は時間魔法の魔力と、
己の炎の魔力を融合させる。
俺の身体を包むように燃える黒い炎。
それは時間すらも飲み込む呪いの炎。
俺が魔力の供給を止めない限り、
この炎が消えることはない。
そうして俺は自分の魔法を順繰りに、
そして今までよりも深く深く魔力を錬成していく。
黒炎の温度が上がり続け、
俺は顔が灼けるような感覚を覚えた。
「・・・ふぅ」
どれくらいの間、集中していただろう。
魔力の限界を感じ、
俺はその場に座り込んだ。
そのまま夜空に眼を向けると、
満点の星空が見えた。
かつてゼメウスとの修行の地で見た星空には及ばないけど、
それもまた美しい夜空であった。
「俺がもっと強ければ」
ふと考える。
ヒナタを救えなかったのは俺の力不足によるものだ。
もしも俺がヒナタを抑え込めるくらい強ければ、
ヒナタは消えずに済んだ。
絶望からは脱却したが、
やるべきことはさらに明確になった。
俺はもっともっと強くならねばならない。
俺がそんな事を考えながら中庭で休んでいると、
背後に気配を感じた。
「あらあら、こんな夜遅くまで大変ね」
そこにいたのはテレシアだった。
「テレシア、さん」
「そんなに頑張って、お腹空いたでしょう?グレイさんに差し入れよ?」
そう言ってテレシアは俺にスープの入った器を差し出した。
「ありがとうございます」
そう言って俺は彼女からそれを受け取る。
「お隣、良いかしら」
テレシアはスープを啜る俺の隣に座った。
「綺麗でしょう?この街は」
「ええ、本当に」
俺は答えた。
「グレイさんは、どちらの生まれなの?」
テレシアが尋ねる。
「東の大陸の、北部の小さな村です」
俺は答えた。
「あら、偶然ね。私も北部なのよ」
テレシアが答えた。
「ご両親はご健在?」
「いえ、俺は家を出てしまって。それ以来帰っていませんので」
「あらあら、それはいけないわ。きっとご両親寂しがってるわ」
「ですかね。ちょっとよくわからないです」
俺は答えた。
「間違いないわ。残される側はとっても辛いものよ」
テレシアが言う。
その言葉に俺の心がチクリと痛む。
「・・・何か、そのようなご経験が?」
俺は勇気を出して、
テレシアに質問する。
「ええ、そうなの。あら?でも何だったかしら、私ったら忘れちゃったみたい」
テレシアが答える。
「そうですか、で思い出したら教えてくださいね」
俺は内心でホッとして、
彼女に言った。
続きが聞きたいような、でも聞くのは怖いような。
不思議な感情だった。
だが俺の思いに反して、彼女は困ったような顔をして俺を見る。
「・・・ふふふ、でも私が思い出すことなんて無いと思うわ。貴方も知ってるとおりよ」
テレシアの言葉に俺はドキリとする。
「・・・分かっていたんですか?」
俺は尋ねる。
「当然よ、自分のことだもの。頭の中に靄が掛かったみたいに色々思い出せなくなるの。そしてその靄は段々と大きくなってくる。歳は取りたくないわね」
テレシアが言う。
だがその表情は悲観にくれたものではなく、
本当になんでも無いことかのようにさっぱりとしたものだった。
「貴女は、本当に優秀な魔導士でした」
俺は言った。
「うーん、とても信じられないわ。私が魔導士なんて。小さい頃から魔導士なんて興味なかったから」
テレシアが言う。
「そう、だったんですか・・・」
僕は答えた。
記憶の中のテレシアは、確かに魔導士になりたいなんて言う剛毅な少女ではなかった。
「本当はね、結婚して子供を生んで、幸せに暮らす。それだけで良かったのよ」
「実際は違ったと?」
「うん。そうね、私の息子、つまりアリシアのお父さんだけど・・・とても寂しい思いをさせてしまったわ」
テレシアは悲しそうに言った。
だがそれは仕方の無いことだと思う。
Sクラス魔導士と言えば、国や王族からの依頼を受け、
世界中を飛び回ることになる。
断れないような依頼も多かっただろう。
そしてそんな危険な依頼に子供を同行させるわけにもいかないのだ。
「だから今でも息子は私に会いに来てくれないわ。アリシアは優しいからこうして会いに来てくれるけど」
「そうですか・・・それは・・・」
俺は言葉に詰まる。
「ね、だからグレイさんも。会いたい人がいるなら、会える内に会ってあげてちょうだい。きっとそれはとても素敵な事になるから」
そう言って笑うテレシア。
俺はテレシアの顔をじっと見つめた。
「・・・ありがとう、ございます。あのこれ、美味しかったです」
俺はテレシアに礼を言って、
立上がる。
「お粗末様、あまり無理はなさらないようにね」
テレシアが立ち上がるのに手を貸し、
俺たちは中庭を後にした。




