第195話
「ここが?」
俺は尋ねる。
目の前には教会のような建物が立っている。
「そう、お祖母様の立てた孤児院よ」
アリシアは答えた。
「・・・教会みたいだな」
「そうよ、潰れた教会を買い取って孤児院にしたみたいだから」
「なるほどな」
アリシアは頷くと、
教会の中へと足を踏み入れる。
敷地内はきれいに整備されており、
家屋部分の前には割と大きめの広場が広がっていた。
「あ!アリシア姉ちゃん!」
そう言って駆け寄ってきたのは、
小さな男の子だ。
その子の声を聞いて、
子どもたちが次々とこちらに駆けてくる。
「アリシア姉ちゃんおかえりなさーい!」
「いつ帰ってきたの!」
「わーい、アリシア姉ちゃんだ!!」
アリシアを取り囲み、
歓声をあげる子どもたち。
アリシアは優しい笑顔で、それに答えている。
「久しぶりね、みんな。ちゃんと良い子にしていたかしら?」
「もちろんしてたよ!」
「私も!」
「あ、でもレオが魔法の練習サボってばかりでシスターに怒られてたよ!」
「バカ、それは言うなって言っただろ?」
「アリシア姉ちゃんには嘘は吐けないよ!すぐバレちゃう!」
「レオ、あんた後で魔法の特訓だからね」
「げー、勘弁してくれよアリシア姉ちゃん〜」
そう言って笑うアリシアと子どもたち、
俺はなんだか微笑ましくて、
アリシアの姿を見ていた。
やがて子どもたちの一人が、
俺の存在に気が付く。
「えっと、誰?」
子どもたちの中で一番背の高い少年が尋ねた。
「あ、俺は―――」
答えようとした声をかき消すように、
他の子どもたちが騒ぎ出す。
「知らない人だー」
「アリシア姉ちゃんが男を連れてきたぞ」
「彼氏かな??」
「まさか!アリシア姉ちゃんだぞ!」
「でも結構かっこいいよ?」
「まさかアリシア姉ちゃん、ついに恋人出来たのか!」
「すごい!信じられないけど、すごい!」
アリシアだけでなく、
俺も子どもたちに取り囲まれる。
「ちょ、ちょっとあんたらね・・・」
アリシアが怒ったような表情を浮かべる。
その時、背後から俺たちに近づく気配があった。
「あらあら、もしかして――――」
俺はその声を聞いて、
心臓が跳ね上がる。
俺はその声の主の方に、
ゆっくりと振り返った。
「アリシアちゃんじゃないの。帰ってきたのね」
そこには微笑みを浮かべた一人の女性がいた。
白くなった髪から年齢は推し量ることが出来るが、
背筋もまっすぐで、凛とした雰囲気を纏う人だった。
目元や顔の造形など、
アリシアに本当にそっくりだ。
俺の記憶の中の姿とは大きく異なるが、
俺にはそれが彼女なのだと直感的に理解出来た。
「テレ、シア・・・」
俺は自分にだけ聞こえるようなか細い声で、
彼女の名を呼んだ。
「ただいま、お祖母様」
そう言ってアリシアがテレシアを抱きしめる、
背はアリシアの方が少し大きいようだ。
「帰ってくるなら連絡くらいして頂戴、びっくりしちゃうじゃない」
テレシアはアリシアの背中を優しく撫でている。
「ふふふ、驚かせようとしたのよ」
アリシアが答えた。
その表情はあどけない少女のようで、
いつもの毅然としたアリシアとはまた別の表情だった。
「・・・あら?そちらの方は?」
やがてテレシアの視線が俺を捉える。
彼女と目が合うと、俺の心臓の鼓動はさらに早くなった。
「・・・あ、えっと・・・その・・・」
しどろもどろになる、俺。
だがそんな俺を見て、アリシアは何も言わない。
「あらあら、落ち着いてくださいな。こんなお婆ちゃん相手に緊張なんてしないで」
そう言ってテレシアはニコニコと笑う。
「あ・・・すみません・・・僕・・・俺はグレイです。」
俺は名乗った。
「グレイさん・・・?」
「ええ、家名はない。ただのグレイです」
俺はテレシアと視線を合わさずに答えた。
「ふふふ、初めましてグレイさん」
テレシアにとっては当然の挨拶だが、
俺の心はその言葉に少しだけざわついたような気がした。
だが彼女は俺の心の機微になど気が付かず、
今度はアリシアの方を見た。
その表情には些かからかうかのようないたずら心が見え隠れする。
「でもアリシアちゃんが彼氏を連れてくるなんて、初めてかしら?ふふふ、お婆ちゃん嬉しいわ」
そう言って笑うテレシア。
「ちょっとお祖母様!か、彼氏なんかじゃ・・・」
「良いのよ、照れないで。貴女、小さい頃は魔導士じゃなくてお嫁さんになりたいっていつも言っていたものね〜」
「いつの話よ!」
「あー、アリシア姉ちゃん顔真っ赤だ!」
「やっぱ彼氏なんだー!」
「うるさいっ!」
アリシアと子どもたちのそんな掛け合いを、
テレシアは微笑みながらみていた。
その柔らかな横顔に、
俺はハッとする。
それは僕の記憶の中の彼女の姿とも一致するような、
慈しみに溢れた笑顔だった。
それを見て、
一瞬のうちに忘れていたはずの村の記憶が蘇る。
そして同時に思い出す。
そうだった、僕は彼女のこの優しい表情が――――――
「あ・・・」
たまらなく懐かしい気持ちになり、
思わず彼女に声をかけてしまいそうになる。
だがそれがすぐに正気に戻り、
自分の感情を押し殺す。
「〜〜っ!」
俺は自分の顔をはたき、
顔を上げた。
そして俺は心の中で彼女に囁く。
久しぶり、テレシア。
・・・
・・
・
俺とアリシアは用意された部屋へと荷物を運ぶ。
教会の中はかなり改築されていて、
子どもたちの部屋の他、
客室なども用意されていた。
「随分子供が多いんだな?」
俺はアリシアに尋ねた。
孤児院の内部は広く、
そこにはたくさんの子供がいた。
それこそ見ただけでも、
数十人以上はいるだろうか。
いくらエスタの街が大きくても、
一つも街にこれほどの孤児がいるだろうか。
「あぁ、それは他の街からも孤児を引き取ってるからよ」
アリシアが俺の質問に答えた。
「他の街からも?」
「そう、この街だけじゃなくてそれこそボルドーニュからもね」
「すごいな。それでよく運営が成り立っているもんだ」
孤児院というのは基本的に寄付により成立している。
子供を引き取りたくても資金難で上手く行かないような孤児院も少なくはない。
にも関わらずここには多くの子供がいて、
加えて衣食住もわりと充実しているように見えた。
「・・・この孤児院は特別よ。お祖母様の資産と、私の実家の援助で成り立っているわけ」
アリシアが答えた。
「実家の援助って、もしかしてアリシアの実家って・・・」
「ええ、大きくはないけど領地を持ってるわ。一応、貴族ってことになるのかしら。何代か前までは没落してたみたいだけど、お祖母様の功績によりかつての栄光を取り戻した程度の家よ」
そう言ってアリシアはため息を吐いた。
「知らなかったな、お嬢様だったのかアリシア」
俺の言葉にアリシアは険しい顔をする。
「そうよ、だから私が魔導士になるなんて、最初親は大反対だったわ」
「だろうな」
良家の娘さんが、
魔導士なんて先の見えない危険な仕事をするなんて、
反対されて当然だろう。
「ま、それでも家を飛び出して魔導士になったけどね。Sクラス魔導士になってからはお父様の態度もだいぶ軟化したけど、今でも良くは思ってないみたい」
「アリシアのお父さんってことは・・・」
「そう、つまりお婆ちゃんの息子よ。詳しくは知らないけど色々あったみたい」
アリシアは答えた。
「そうなのか・・・」
「気にしないで、家の話なんかして悪かったわ。さぁ、そろそろ食事の時間ね」
そう言うとアリシアは立ち上がり部屋を出ていこうとする。
俺も慌ててその後に従った。
・・・
・・
・
「―――でね、もう少しのところで逃げられちゃったってわけ」
アリシアが言う。
「あらあら、そうなのね。でもアリシアちゃんが無事で良かったわ」
テレシアが答える。
ここは教会の中にある、テレシアの居室。
俺たちは夕食の後、テレシアに招かれ彼女の部屋で談笑をしていた。
「そうなの、悔しいったらありゃしないわ。次会ったら、絶対に捕まえてやるんだから」
「ふふふ、アリシアちゃんは小さい頃から負けず嫌いだものね。でもお婆ちゃん、心配だわ。そんな怖い人とアリシアちゃんが戦うなんて・・・ねぇグレイさん?」
テレシアが俺に質問をする。
「そうですね・・・でもアリシアは優秀な魔導士です。きっと白蝶にも負けないと思います」
俺は答えた。
「あらあら、そうなのね。グレイさんが言うならきっとそうなのね。優秀だなんていったい誰に似たのかしら?」
テレシアが言う。
「それはテレシアさんでしょう、彼女の魔導士の才能は貴女譲りでは?」
俺は軽い気持ちで、
言葉を返した。
Sクラス魔導士<紅の風>、
その血統がアリシアにも引き継がれているのは疑いようのない事実なのだ。
だが、その瞬間――――
テレシアは狐につままれたような表情を浮かべ、
アリシアはしまったとでも言うような顔をする。
「?」
俺は二人の変化の意味が分からず、
首をかしげる。
やがてテレシアが困ったような顔をして口を開いた。
「やぁね、グレイさん。私に魔導士の才能なんてあるわけないわ。よして頂戴」
「・・・?」
「あ、グレイ・・・あの・・・」
アリシアが慌てて言葉をかけようとするが、
テレシアは止まらない。
「本当のこと言うと魔導士なんて危険なお仕事、お婆ちゃんは今でも反対なんだから。お婆ちゃんとお爺ちゃんみたいに、素敵な人と出会って結婚して、穏やかに暮らして欲しいのよ」
そう言ってテレシアは困ったような表情をする。
そこで俺は東の大陸への移動中に、
アリシアが説明した内容を思い出した。
―――覚えていないのよ。お祖母様は自分が魔導士だったこと、それに昔のことも何も。
あまりに自然に会話が出来るから失念していた。
だが彼女は本当に記憶を失っていたのだ。
自分が超一流の魔導士であったこと、
その功績と、かつて奮った力のすべてを。
「・・・どうしたの?グレイさん」
呆ける俺に、テレシアが心配そうに声をかける。
「え、あ・・・いえ」
「急に黙って、どうしちゃったのかと思ったわ」
そう言ってテレシアは笑う。
「そろそろ解散しましょうか、お祖母様?夜も遅いし、お身体に障るわ」
アリシアが言う。
「あら?そうする?お婆ちゃんもう少しお話したいわ・・・」
テレシアは残念そうに言う。
「大丈夫。私達はしばらくはこの街に滞在するから。お話はまた明日しましょう?」
アリシアが答えた。
「まぁそうなのね。良かったわ。アリシアちゃんとも、グレイさんとももっと色々お話したいから」
そう言ってテレシアは俺にも笑顔を向ける。
「そうしましょう。ね、グレイもいいわよね?」
アリシアは俺に言う。
俺はそれに頷いた。




