第190話
「―――――僕が知っているのはそこまでです」
カナデが呟いた。
「うむ、ありがとう・・・。この歳になって驚くことなどもう無いと思っていたのだがな。いや本当に分からないものだ」
答えたのはエルフの王、<大賢者>ヨイヤミだ。
大きなため息を吐き、自身の白いヒゲを撫でる。
その瞳は何かを憂いているようにも見えた。
「しかも白蝶は行方知れず・・・せっかくご依頼いただいたのに誠に申し訳ありません」
そう言って頭を下げたのは、
カナデの傍らにいたアリシアである。
アリシアはエルフの里から依頼を受け、
白蝶捕縛のためにこの街に来ていた。
「・・・<紅の風>殿。頭を下げる必要はない。そなたとそなたの友のお陰でどれだけの民が救われたか。・・・それにやつの足取りはつかめておる」
ヨイヤミが答えた。
「・・・本当、ですか?」
アリシアが顔を上げた
「うむ、精霊が騒いでおったからからの。すでに奴はこの大陸から脱出してしまったようじゃ、追い払ったと言うべきか、逃げられたと言うべきか・・・」
ヨイヤミが険しい顔をする。
「そう・・・ですか」
アリシアは答えた。
すでにあの戦闘からは3日が経っていた。
教皇と聖魔の騎士たちはエルフにより捕縛。
街への被害も最小限で食い止められた。
ヨイヤミは後処理を部下に任せ、
アリシアとカナデを早急に呼び出した。
意図したのは事態の把握。
エルフの里に起きた出来事を正確に把握しようと努めた。
アリシア、カナデは事前に相談の元、
ヨイヤミには全ての真実を伝えることに決めた。
教皇と白蝶。
最後の楽園での出来事。
緑の箱と、その他の箱のこと。
そしてゼメウスの残した禁忌魔法の話を。
それは偉大なる魔導士にして指導者でもあるヨイヤミを、
信頼に足る人物だと判断したからだ。
ヨイヤミはアリシアとカナデの申し出の通り人払いをし、
更には強力な精霊魔法により情報が漏れることの無いように、
とり計らってくれた。
斯くして三人は王の居室に集まり、
ことの顛末について話し合ったのであった。
「――――ところで彼の様子はどうだね?」
ヨイヤミが尋ねる。
アリシアもカナデもそれが誰を指しているかを理解していが、
答えに窮し推し黙ってしまう。
エルフの里を救った立役者は、
心身ともに大きな傷を負い、
臥せっていたからである。
・・・
・・
・
薄暗い部屋。
俺はベッドに横たわっていた。
部屋をノックする音が聞こえる。
「グレイさん、入っていいですか?」
「・・・」
ロロの声がする。
だが俺はそれに答えなかった。
ガチャと部屋が開く音がして、
ロロが顔を出す。
「勝手に入りました、ごめんなさい」
「・・・あぁ」
「またご飯、食べてないんですね」
「・・・あぁ、すまない」
俺はぼんやりとロロの方に視線を向ける。
「グレイさん、あの・・・」
「・・・ん・・・どうした、ロロ?」
俺は視線を動かさずに、ロロに尋ねた。
「・・・いえ・・・」
ロロは何かを言いかけて止め、
それから俺の側までゆっくりと近づいてきた。
「・・・今はゆっくりと休んでください・・・まだ傷も治りきっていないので」
そう言うとロロは俺の額に手を当て、
その手に魔力を集束する。
あたたかい白魔法の熱が伝わってくる。
「・・・」
これはロロの睡眠の魔法。
俺はそれに抵抗することもなく、
魔力に身を任せる。
そしてゆっくりと意識を手放した。
・・・
・・
・
何度も同じ夢を見る。
初めに分かるのは自分が緑色の光に包まれていること。
そしてその光に照らされ浮かびあがる、ヒナタの姿。
グレイ、助けて。
そう叫ぶヒナタに手を伸ばすが、
俺の手が彼女に届くことはない。
俺の身体は重力に負け、
ヒナタから離れていく。
どんなに叫んでも、藻掻いても、
それが変わることはない。
その度に俺は汗だくになり、
飛び起きるのだ。
目が覚めて胸に広がる喪失感と、
ヒナタを救えなかった事実に、
俺の心は押しつぶされそうになる。
「・・・ヒナタ・・・」
俺は消えてしまった、
仲間の名を呟いた。
・・・
・・
・
ここはアリシアの借りた宿の一室。
グレイは隣の部屋で寝ている。
そこにはアリシアとロロと、カナデが集まっていた。
3人は合流後、
お互いの情報を交換し、
今後に向けての方針を話し合っていた。
「グレイさんは、大丈夫でしょうか」
ロロが言う。
「分からないわ。身体の方は治ってきたけど。心の方がね。ヒナタちゃんはあいつにとって初めての仲間だから・・・」
アリシアが答える。
「うん、よく眠れていないようだね。たまに苦しんでいる声が聞こえるよ。精霊に頼んでリラックス出来るようにしているけど、それでも···」
そう言ったのはカナデだ。
カナデの重力魔法の暴発によりグレイもまた大きな傷を負っていた。
だがそれよりも身体よりも精神的なダメージが大きいようだった。
事実、グレイの身体はロロの治療によりほとんど回復している。
「で、ですが・・・」
ロロが口を開く。
「わ、私はグレイさんなら立ち直るって信じています。もちろんそれまではどんな事をしても支えてみせますが・・・」
ロロの言葉にアリシアとカナデが頷く。
「そんなのこっちも微塵も疑ってないわよ」
「うん、その通り。彼は強いから」
そう言って三人は互いに視線を合わせ強く頷く。
それぞれ形は違うが、
グレイに対して最上級の信頼を置いている点は共通していた。
「あの・・・アリシアさんは、これからどうするんですか?」
ロロが尋ねた。
「うーん、未定ね。白蝶も逃しちゃったし、次の仕事って気分でもないわ。ちょっと家の方から連絡も来てるしね」
そう言ってアリシアは何かを考える素振りを見せる。
「そうですか。あの、カナデさん・・・は?」
「そうだね、ヨイヤミ様への報告も終わったし、僕はまた旅立つつもりだよ」
カナデが答えた。
「旅、ですか?」
「うん。僕は元々吟遊詩人だし、街から街へ歌い歩くのが自然なのさ。まぁ、今はもうそれだけが目的じゃないけど」
カナデはそう言って困ったような表情を浮かべる。
「・・・それだけじゃないって?」
アリシアが尋ねた。
「うん。僕は緑の箱を開けて、ゼメウスの魔法を使えるようになった。だけどまだまだこの力のことを理解していないような気がするんだ」
「・・・理解、ですか?」
「ああ。それこそ精霊魔法は、エルフにとっては呼吸するのと同じくらい自然なものなんだ。でもこの魔法は、なんて言うか・・・僕にとってとても不自然なんだ。上手く説明できないけど」
カナデは禁忌の魔法を不自然と表現した。
「魔法が身体に馴染んでないってこと?そんなことあるのかしら?」
アリシアが尋ねる。
「うん・・・難しいな。今はまだ説明できる言葉が見つからない。だから僕は一度ゆっくりとこの魔法に向き合ってみようと思うんだ」
「・・・向き合って」
「この強大な魔法には、意味がある。それも大きな意味が。そして僕は受け取るべくしてそれを受け取った、そう思うんだ」
カナデの言葉にロロが無言で頷く。
「・・・分かったわ、貴方がいると色々助かるんだけど。グレイもあんな状態だし」
アリシアが言う。
「うん、ごめん。でも約束するよ、助けが必要な時、僕は必ずそこにいる。だからグレイの事は一旦、アリシアとロロに任せることにする」
そう言ってカナデは柔らかく笑った。
それは優しく、慈しみにあふれる笑顔だった。
「あ、それから――――」
カナデの言葉にアリシアとロロが顔を上げる。
「グレイに伝えて欲しい。離れていても僕の心は君のものだと」
頬を染めてはにかむカナデの言葉に、
アリシアとロロが凍りつく。
「・・・カナデ・・・あなた・・・」
「ん?どうしたんだい?」
「もしかしてとは思っていましたが・・・、カナデさんも・・・グレイさんのことが・・・?」
「あんた、まだ出会ったばかりじゃない!」
「ふふ、時間なんて関係ないだろ?大事なのはどれだけ濃厚な時間を過ごしたか、だ」
そう言ってカナデはやけに色気のある微笑みを浮かべた。
「カナデさん、なんですかその反応・・・」
「あんた、グレイに何かしたの?」
アリシアはそう言って、己の魔眼をに魔力を集束する。
「ふふふ、どうだろうね。探ろうしても無駄だよ?教えてあげない」
そこから部屋にはしばらく、
三人の騒がしい声が響いた。




