第187話
俺は突然の事に状況が理解出来ず、
カナデのなすがままに身体を固くしていた。
混乱した頭の中で、
口元に感じるカナデの唇が、
やけに柔らかいなどと考えていた。
ハッと、我に返る俺。
身体を離し、カナデの口づけから逃れる。
放たれる深緑の魔力により、
カナデは幻想的な光を放っていた。
「な、にを・・・」
突然の口づけに俺は狼狽える。
だがカナデの方はいたって冷静で、
オタオタしてる俺を面白そうに見ていた。
「・・・フフフ、驚いた?そう言えば起きてる時にするのはこれが初めてだ」
そう言ってニコリと笑うカナデ。
「起きてる時にって・・・」
これが初めてではないと言う事か。
一体いつの間にそんな真似を。
俺は考えて、気恥ずかしくなった。
「さぁ、じゃあ行こう。時間がもったいない」
そんな俺を気にも留めず、
カナデは俺に手を差し伸べる。
その目に映るのは自信。
少なくも禁忌魔法に対する恐れや不安は、
無い様に思われた。
「・・・いいんだな?」
俺は再び彼女に問うた。
だがカナデは自信にあふれた笑顔を崩すようなことはせず、
ただ俺が手を伸ばすのを待っていた。
俺はゆっくりとカナデの手を握る。
柔らかい彼女の手の感触に、
さきほどの唇付けを思い出し、
俺は再び赤面した。
カナデはそんな俺に何も言わず、
ふぅっと一つ深呼吸をした。
そしてカナデは、
意識を集中し魔力を集束する。
カナデが普段使う<精霊魔法>とは異なる、
彼女自身の魔力だ。
「不思議だね。箱から授けられたはずなのに・・・まるで初めから自分の力だったみたいだ」
カナデが呟く。
そしてその魔力は、
次第に深緑色へと変化していった。
俺にとってはよく知る魔力の性質。
それは間違いなく、ゼメウスの残した魔法だった。
せめて代償が軽微なものであるように、
俺は願わざるを得なかった。
やがて――――――
カナデがゆっくりと口を開く。
それは詠唱ではなく命令。
まるで詩の一部を諳んじるかのように、
優雅で美しい声色。
<星よ>
その瞬間、深緑の魔力はカナデの身体を包む。
カナデの身体を深緑の魔力が包み込む。
重力魔法。
その禁忌の魔法でカナデはどうしようと言うのだろう。
俺はその一部始終を食い入るように見つめた。
するとどうだろう。
カナデの身体がふわりと地面から浮き、
やがて完全に中空に浮く形になった。
重力と言う星の戒めから解放されたかのように、
カナデの身体はふわふわとその場に浮遊し始める。
それはまるで漂う雲のように優雅で、穏やかであった。
「カナデ・・・」
俺は目の前の光景に思わず声を漏らした。
魔法を利用して空中に浮く術と言うのは多々あれど、
純粋な飛行魔法と言う物は存在していない。
広大な大空への憧憬は、
魔導士、いやすべての人間が抱くものであった。
ゼメウスの残したこの『重力魔法』は、
それすらも可能にした。
俺は改めて大魔導士ゼメウスに尊敬の念を抱く。
俺たちは手をつないだまま、
片方は宙に、そしてもう片方は地面に立つと言う、
なんともちぐはぐな姿となった。
まるで風船が大空に飛んでいかない様に、
紐をしっかりと握りしめる子供の様にも見える。
やがて集中していたカナデが目を開く。
「うん、大丈夫みたいだ。すごいね、これは。・・・グレイ、準備はいいかい?」
そう言ってカナデが笑う。
俺もその言葉に頷いた。
すると繋いだ手を這う様に、
深緑の魔力が俺の身体をも包み始めた。
手から腕へ。
腕から肩を通り、全身へ。
なんとも温かく、懐かしい感触が身体を包む。
そう思った次の瞬間、
俺の身体もまたふわりと地面から離れた。
途端に体のバランスを崩す。
「わわっ」
俺は初めての感覚に、
思わず声を出してしまう。
そんな俺をカナデが握る片手で支える。
「大丈夫、安心して。落ち着いて体のバランスを取れば難しくない。体術に秀でたグレイなら、対応できるよ」
子供をあやすように優しく言うカナデ。
なんだか恥ずかしい気持ちになった。
俺はカナデの言う通りに、ゆっくりとバランスを取る。
やがて俺の身体は立っている時と変わらない体勢をキープできるようになった。
俺とカナデの身体は今や完全に宙に浮いている。
「・・・ここからどうするんだ?」
俺はカナデに尋ねる。
今はふよふよと二人で宙に彷徨っている状態。
このままでは移動もままならない。
「・・・見てて?」
カナデが呟き、
再び魔力を集中した。
今度は見覚えのある魔力。
これは精霊魔法だ。
<シルフィ>
カナデの詠唱と共に、
一陣の風が吹く。
最初は優しく、
次第に強く。
無重力となった俺たちの身体を、
精霊の風が包む。
同時に俺たちの身体が風に乗り、
徐々にその高度を増していく。
「・・・さぁ。出発だ。緊張するね」
カナデの言葉と共に、
再び強い風が吹いた。
俺とカナデはその風に乗り、
大空へと舞い上がった。
・・・
・・
・
魔導士になったらどんなことをしたい?
子供の頃に散々やった魔導士ごっこで、よくそんな話をした。
僕は魔導士になって『ゼメウスの箱』を発見するのだと張り切っていた。
テレシアは、たしか精霊と友達になりたいとかそんな事を言っていたか。
そんな中、僕たちと一緒に遊んでいた木こりの息子トレインは、
その話になるたびに空が飛びたいと言っていた。
「・・・だって俺たち木こりはさ、森の中から良い木を見つけるのが何より大事なんだ。空を飛んで上から見れば、良い木なんて一目瞭然だろ?そしたら父さんの仕事の助けになると思うんだ」
そう言って笑うトレイン。
村を出てしまった僕はその後の事を知らないが、
父親想いのトレインは立派な木こりになった事だろう。
俺は空を飛びながらそんな事を思い、
なんとも懐かしい気持ちになった。
「―――うしたんですか?」
カナデが叫ぶ。
風切り音が耳元で轟いて、
あまりよく聞こえなかった。
「なんでもない!!!!」」」
俺も出来るだけ大きく口を動かして、
シンプルな言葉を口にする。
俺たちは今、大空を飛行している。
無重力状態にカナデの風魔法を推進力にして、
風の様に飛んでいく。
森で一番高いに木もぶつからないよう、
その倍は高度を保っていた。
カナデはコントロールに慣れて来たのか、
どんどんスピードを上げていく。
徒歩の何倍ものスピードで俺たちはミヤコの街に向け、
飛び続けていた。
東の空が徐々に明るくなり、
眼下に広がる森を陽の光が照らし始める。
生まれる朝靄に太陽の光が反射し、
キラキラと輝いて見える。
それはまるで森全体が輝いているかのように美しい光景だった。
「・・・綺麗ですね」
カナデが呟く。
独り言の様な小さな声。
だが何故か俺の耳にその言葉は届いた。
俺の手を握るカナデの力が、少し強くなったような気がした。
飛行を始めて1時間ほど経っただろうか。
俺たちは森の彼方に、
大きな影を見つける。
森の中から一本突き出る様にせり出すそれは、
王樹のシルエットであった。
「見えたぞ、カナデ!」
俺はカナデに叫ぶ。
「うん、帰ってきた。・・・グレイ、あれ!」
カナデの言葉に俺は再び目を凝らす。
見れば王樹の周辺から何本か煙が上がっているのが見えた。
街が燃えているのだ。
「どうやらアカツキ様の知らせは本当だったようだな」
「うん、残念だけど。思い過ごしじゃなかったらしい。どうする?このまま街に着陸する?」
カナデが俺に尋ねた。
「・・・いや王樹だ!アカツキ様の安否が気になる」
俺はカナデに答えた。
「わかった!」
そうしてカナデは更にスピードを上げる。
目に見える王樹が見る見る大きくなっていく。
その時、俺は王樹の上層部に特殊な魔術を感じる。
この魔力はもしかして。
「・・・カナデ」
俺は呟く。
「うん、僕も感じた」
カナデが答える。
「あれはゼメウスの魔力だ」
俺は王樹の上層部を指差す。
「行こう」
そして俺たちは、王樹の一角。
一際大きな幹が密集する部分に飛び込んだ。




