第185話
王樹の中心部、
木造りの宮殿は光源のない不思議な灯りに照らされ輝いている。
「・・・侵入者の模様です」
跪き報告をあげる若いエルフ。
その視線の先にはエルフには珍しい髭を蓄えた老エルフがいた。
「この王樹に侵入者とは珍しい事だな。百年前のオーク達との決戦以来だろうか。いやしかしあの時も内部までは・・・」
老エルフは呟くように答える。
重厚な雰囲気。
その只住まいからは高貴な香りが醸し出されている。
やがてゆっくりと顔を上げ、
報告を上げる若いエルフに尋ねた。
「・・・して、捕縛は完了したのか?」
老エルフの質問に、若いエルフは首を振る。
「やつら霞のごとく王樹内に雲隠れております。どうやらやつらのうちにそのような魔法の遣い手がいるかと」
「・・・精霊たちにも見つからぬとは、危険だな」
「面目ありません。王樹内の総力を挙げ、侵入者を探しております」
そう言うと老エルフは何か納得したように頷いた。
「被害は?」
「すでに避難を始めておりますゆえ、大きな被害は。しかし・・・」
「しかし?」
「アカツキ様の姿が見えません」
「なんと・・・討たれか?」
老エルフが初めて動揺した表情を見せる。
「いえ、まだなんとも。しかしアカツキ様であれば賊に討たれるようなことには至らないかと」
「ふむ。確かにそうか。あれはあれで中々に老練だ。ではアカツキについては精霊たちに頼んでおくとしようか」
「申し訳ありません」
報告しているエルフが再び頭を垂れる。
その時、老エルフは何かに気が付いたように呟く。
「・・・む」
「なにか?」
若いエルフが老エルフに尋ねる。
「・・・なんでもない。報告が以上であれば、下がれ」
「ハッ」
短く返事をすると、若いエルフは部屋を後にした。
やがて一人になると、
老エルフはため息を吐いた。
「私も老いたな」
<大賢者>の異名を持つほどの魔導士である老エルフも、
時間の流れには逆らえない。
王樹内への侵入を許すなど、
かつての自分からすれば考えられないような失態であった。
老エルフは周囲を見回し、
何かを探るような素振りを見せる。
そして再び息を吐くと、
老エルフは虚空に向け言葉を放つ。
「・・・さて、人は払ったぞ・・・そろそろ出てくるがいい・・・」
それに答える声はない。
だが、部屋の隅にわずかな魔力が発生したかと思うと、
そこから数人の人影が現れた。
先頭は聖職者の格好をした男。
その後ろには数人の騎士。
そして最後尾にはうつろな目をした少女と、
およそ人間とは思えぬような気配の白づくめの女。
「・・・さすがは<大賢者>だな」
先頭にいる男の冷たく、低い声。
そこにいたのはかつて国賓として招いたこともある、
教皇オーパスであった。
「教皇・・・か・・・」
隣の大陸の重鎮。
しかも行方不明中の教皇の出現に、
本来であれば驚く場面。
しかし老エルフはいたって冷静に、
オーパスを見つめていた。
「驚かないな?」
オーパスが尋ねる。
「驚いたさ、しかしかつて見た、貴殿の中に眠る偏見と憎悪を思えばむしろ当然と言える」
「・・・隠してはいたんだがな」
オーパスはそう言ってにやりと笑う。
「感情は隠せても、貴様のエルフを蔑むような視線だけは隠せないさ」
老エルフが答える。
「・・・<大賢者>、いやエルフ王であるヨイヤミよ。ここで死んでもらうぞ」
オーパスから殺気が漏れる。
だがエルフの王は動じない。
「・・・なぜ死なねばならぬ?」
エルフ王ヨイヤミはいたって冷静に問いかける。
「人間以外の亜人など、滅んで当然だ」
「理由になっておらん。生けるものにとって死は当たり前のもの、だが貴様にそれを自由にする権利などない」
「・・・黙れ。エルフどもめ、ただ寿命が長いだけのくせに我らより賢いような顔をしおって。目障りだ」
「真の賢さとは時間とは比例しない。何を学び、何に活かすかだ。そういった意味では教皇、いやオーパスよ。貴様はその歳になるまで碌に学んで来なかったようだな。哀れな男だ」
「黙れっ!!!」
オーパスが叫ぶ。
「貴様に、貴様などに・・・私は・・・私が・・・」
ワナワナと怒りに震えるオーパス。
その様子を、エルフ王ヨイヤミは冷静に観察していた。
(以前あった時も危険な男だとは思ったが、ここまでではなかった。いささか行き過ぎだ)
ヨイヤミは考える。
(人種差別もここまで行き過ぎたものではなかったはずだ。この短いうちに何かあったか、もしくは――――)
ヨイヤミは、最後尾にいる白づくめの女に視線を向ける。
その視線に気が付いた白づくめの女は、
口を横に広げ、ヨイヤミに笑顔を見せた。
教皇よりも遥かに深く濃い闇。
(弄られたか)
ヨイヤミは目の前にいるオーパスがすでに傀儡に近いことを確信した。
そしてそれを実行した人物こそが、真の黒幕。エルフにとっての危険人物であると。
当然にヨイヤミの脳裏には『緑の箱』、強奪者である白蝶の名が浮かぶ。
彼の者の悪意は、大陸をまたがり世界中に及ぶ。
そして、ヨイヤミは大きく息を吐いた。
「すまんが、ここで死ぬ気はない」
逃走か、戦闘か、はたまた応援を呼ぶか。
ヨイヤミは一瞬のうちに判断を求められる。
教皇、手練れと見える騎士たち、白づくめの女、そして後方に構える謎の少女。
(さすがに多すぎるか)
逃走を選べば被害が拡大する。
応援を呼びにしても、この王樹内に自身を超える戦力を持つ魔導士がいないことは分かっていた。
消去法でこの場での戦闘を余儀なくされた<大賢者>ヨイヤミは、
右手に魔力を展開する。
オーパス、そして騎士たちが身構える。
その時、
王樹の部屋に飛び込む影があった。
・・・
・・
・
ヨイヤミが教皇と対峙するわずかに前。
ロロとシオンは、
王樹の入口へと到達していた。
だが二人は目の前の凄惨な光景に絶句していた。
王樹の入口近く、
そこには数人のエルフの血みどろの死体が転がっていた。
その死に顔には恐怖がありありと刻まれていた。
「・・・ひどい・・・」
すでにこと切れたエルフの頬に触れ、
ロロが呟く。
「ロロさん」
そう言って通路の先に目を向けるシオン。
その視線の先にはひとつの人影があった。
最初ロロは、そこに立っているのが人だと認識が出来なかった。
それが放つ存在感があまりにも希薄だったこともあるが、
それ以上に自分たちに向けられる悪意が、
およそ人の発するものだと思えなかったからだ。
「・・・あらあら、ここまで来てしまったんですね」
二人の前に現れたのは全身が白づくめの女。
白づくめの女は、穏やかな微笑を浮かべたまま二人に近づいてくる。
「・・・ロ、ロロさん・・・」
恐怖にかられながら、シオンは必死に言葉を紡ぐ。
今すぐに逃げてください。
ロロにそう伝えたかったが、
口が上手く動かなかった。
「・・・っ!」
そんな状況の中、気丈にもロロは一歩前に出た。
「あら、可愛い」
白づくめの女がにっこりとほほ笑む。
「・・・貴女、何者ですか?どうしてこんなことを?」
ロロが尋ねた。
だが白づくめの女から返ってきたのは意外な回答であった。
「こんなこと?あら、これは私がやったんじゃないですよ?」
「えっ?」
「まぁ正確には私なんですけど、私ではなくて。うーん、説明が難しいですね、分身?双子?ドッペルゲンガー・・・どれもしっくりきません」
「なにを・・・」
白づくめの女の支離滅裂な説明にロロは戸惑いを隠せない。
白づくめの女の言葉を信じるならば、
たしかに濡れ衣ではあるが、
目の前の女から発せられる悪意を思えば到底に信じられるようなものではなかった。
だがロロの戸惑いは、
一瞬の気のゆるみに繋がる。
本人でも気が付かないような、
瞬きにも等しい一瞬の緩和。
気が付いた時には、目の前に白づくめの女の顔があった。
「あら、ダメですよ気を抜いたら」
女の声が耳元で聞こえ、ロロは全身に悪寒が走る。
ロロとシオンと白づくめの女の間には、
いくばくかの距離があった。
だがこの瞬間には、
白づくめの女の手がロロの頬に触れている。
そしてそこから悍ましいほどの魔力を感じた。
「・・・ッ!!?」
「<エアブラスト>!!」
ロロが状況を把握し、
脳から体に命令を送るよりも早く、
シオンが魔法を放つ。
白づくめの女は後退し、
その魔法を避けた。
体勢を崩すこともなく、
ふわりと着地する白づくめの女。
「冗談です、冗談ですよ。そんなに怒らないでください」
白づくめの女は、何がおかしいのかケラケラ笑ってる。
ロロは自身の心臓が戦場の太鼓のように大きく鼓動していることに気が付いた。
緊張などと生易しいものではない。
今まさにロロのすぐ目の前まで、死が迫っているのだ。
「・・・シオンさん?」
ロロがシオンに視線を向けると、
シオンの顔も真っ青だった。
なにごとだろうと、シオンを凝視するロロ。
よく見れば、腹部から滴る血が目に入る。
どうやら先ほどの攻防の中で、
白づくめの女は、シオンに攻撃を加えていたらしい。
いったいいつの間に。
先ほどの騎士とは比べ物にならないほどの危険人物。
ロロはわずかな時間が、自分たちがどう足搔いても勝てないと確信していた。
「・・・これは・・・無理です、ロロさん。一度撤退を」
シオンが言う。
どうやら彼も同じ結論に至ったようだ。
ロロもそれに頷く。
シオンとロロがこの場からの離脱を決めたその瞬間、
白づくめの女から殺気が放たれる。
「あら、逃がすわけないじゃないですか。久しぶりに―――――」
<エアブラスト>
女の言葉を遮るように、
シオンが魔法を放つ。
巻きあがる土煙。
その瞬間、シオンはロロの手を取り走り出す。
「一度、街の方へ!増援を――――――」
「逃がさないって言ったでしょ」
再び、白づくめの女の声が耳元で聞こえた。
「なっ!」
白づくめの女はシオンの身体に触れると、
魔力を放つ。
白づくめの女の魔力に触れた、
シオンの身体が吹き飛ぶ。
「シオンさん!」
シオンは王樹の木の根に激突し、
そのまま力なく倒れる。
逃げようとした一歩目を封じられ、
ロロはその場で立ち止まる。
「さぁさぁ貴女も」
にっこりと笑う白づくめの女。
ロロはまるで喉元に刃を突き立てられたかのようなプレッシャーを感じた。
思考はすれど、
身体は動かず。
蛇に睨まれた蛙という言葉が似あう、
最悪の状況であった。
(グレイさん・・・)
ロロは胸中で、
想い人の名を呼ぶ。
それは救援を求める声ではない。
死を目前にして、
自然と蘇った、
自らの愛情そのものであった。
「死になさいな。お嬢さん」
白づくめの女は、
ロロにそっと手を差し伸ばす。
その瞬間、ピタリと白づくめの女の動きが止まる。
ロロが異変を感じ、顔を上げた時。
白づくめの女はロロではなく、
通路の先を見つめていた。
暗がりの通路の奥から、
カツン、カツンと歩く音が聞こえる。
塗りつぶされた闇の向こう、
赤い光が二つ揺らめいた。
それはとある魔導士のユニーク魔法。
真実を見通す、燃える炎のような瞳。
やがて足音は止まり、
暗がりから人影が現れる。
「その子から、離れなさい。さもなくば」
凛とした、良く通る声。
ロロはその声を聞いて思わず両目から涙が零れた。
「・・・貴様ッ」
白づくめの女が口惜しそうに呟く。
「代わりに私がお相手するわ」
現れたのは、Sクラス魔導士<紅の風>。
一度は倒れた虎が、再び戦場に戻った。




