第173話 最果ての楽園
「蒸し暑いな・・・」
そう言って俺は額に滲む汗を拭う。
「ここは南の大陸でも最南端に近い場所だからね。それにこの最果ての楽園内部は特に暑いと言われている。中央部に行くほど暑さは増すはずさ」
カナデは言う。
「・・・これ以上暑いとか・・・俺たちは我慢できてもなぁ・・・」
そう言って俺は背中の幼ゼメウスを見る。
見れば幼ゼメウスはまたあうあうとうめき声を漏らしながら、
顔が赤く火照てらしていた。
「うーん、それもそうだね。<シルフィ>」
そう言ってカナデが魔法を発動すると、
俺たちの周囲になんとも心地よい風が吹き始めた。
「お・・・こりゃすごい。便利だな」
俺は思わず呟く。
風により、
上がり過ぎた体温がゆっくりと冷やされていく。
「さぁ、先は長い。陽が落ちないうちに進むとしよう」
そう言ってカナデは俺たちを先導し、
最果ての楽園を進み始めた。
最果ての楽園内部は、
まさに密林と言う言葉がふさわしい場所であった。
普通の木々の何倍もある巨木、
そして色とりどりの草花が咲き誇り、
濃密な大気が辺りに満ちている。
「最果ての楽園には階層がないんだ」
カナデが言う。
「階層がない?」
「そう、あるのは一階層。広大な密林のみ。中央部に向け歩くごとに魔物が強くなっていく」
「珍しいな。ダンジョンは全て階層状になっているかと思っていたが」
「うん、僕もそう思う。でもこれまでの調査でそういう事になっているんだ」
カナデが言う。
「その、中央まではどれくらいかかる?」
俺は尋ねた。
「順調に行けば、三日。けど・・・」
「けど?」
「回生さ。ギルドの情報によればいつ回生が起きてもおかしくない。そうすれば・・・」
カナデの表情が暗くなる。
「活きのいい魔物たちがバシバシ復活するってわけか」
俺は答えた。
「うん。それがダンジョンの理だからね」
カナデが言う。
「・・・そうなる前に進んでおくか」
俺の言葉にカナデは頷いた。
その横顔に、俺はわずかに違和感を覚える。
俺たちは森を進む速度を上げる。
・・・
・・
・
「グレイ!」
カナデの声で俺はその場を飛び退く。
その瞬間、俺がいた地面がばしゅうと音を立て焼ける。
「上だ!」
顔を上げると、
巨木の枝の上に黒い影が一体。
バチバチと魔力を放出しながらこちらを睨んでいる。
肉食獣のようなしなやかな肢体を持つ魔物がそこにいた。
「避けて!」
カナデが叫ぶと同時に魔物の目が光る。
魔物の身体から、雷撃が放たれた。
雷撃は俺とカナデへと向かう。
<アースウォール>
俺が魔法と発動すると、
地面から土壁が現れ、雷撃を防いだ。
「グギャアオン!!」
魔物はまるで猫のように巨木を飛び降りると、
壁の影にいる俺に襲いかかってきた。
よし、避け―――――――
そう思った瞬間、
俺は背中に背負った幼ゼメウスのことを思い出す。
ダッキングでの回避を止め、
魔物の爪を右腕の篭手で防御した。
ガキンと言う鈍い痛みが腕全体に響いた。
「ぐうぅ」
魔物の豪腕により1メートルほど吹き飛ばされた俺は、
魔法を放つべく右腕を上げようとする。
だが魔物の攻撃により右腕は痺れ、
力が入らなかった。
「グレイ!どいて!」
カナデの叫び声が背後から聞こえる。
俺はその声に従い、
左方向へと飛んだ。
<風精霊の行進曲>
ゴウと言う音とともに風がうずまき、
魔物が甲高い鳴き声を上げ吹き飛んだ。
「任せてくれ!」
そう言ってカナデは右手を掲げ、
更に魔力を集束する。
その場に生まれていた風は更に渦巻き。
カナデの右手へと集まる。
カナデが放つ魔力に照らされ、
風が緑に輝く。
「グギャア!!」
叩きつけらた魔物が一瞬で体勢を整え、
カナデへと牙をむく。
その牙がカナデへと届かんとするその一瞬前に、
カナデは魔法を放った。
<風精霊の鎮魂歌>
大きく開けた口から、背部へと風が貫通する。
渦巻く風は鋭利な刃へと変わり、黒い魔物を貫いていた。
うめき声も漏らさぬまま、
魔物はその巨体を倒した。
ふぅ、と息を吐きカナデはこちらを振り返る。
「危なかったよ。助かった」
俺はカナデに言う。
「・・・うん、ホントに。やはりゼメちゃんを連れて行くのは無理が・・・」
カナデが答える。
「おーい、大丈夫か?ゼメウス?」
俺は背中のゼメウスに声を掛ける。
「あう?」
だが当の幼ゼメウスはきょとんとした顔でこちらを見ている。
あれだけ激しい戦闘をしたが、泣く素振りも見せない。
「・・・大丈夫そうだね」
カナデが言う。
「ああ。そうだな」
俺たちがそう言うと幼ゼメウスはニコニコとこちらを見て言った
「ぐれい、お腹すいたー」
幼ゼメウスの緊張感のなさに俺たちはなんともほっこりしながら、
まもなく訪れる夜に備え、野営の場所を探すことにした。
・・・
・・
・
洞窟内に安全地帯を見つけた俺たちは、
そこを拠点に野営の準備を整えた。
旅慣れているカナデはさすがというべきか、
あっという間に準備を整えた。
焚き火で持ってきたパンなどを温め口に入れる。
カナデは幼ゼメウスにスープに浸し柔らかくしたパンを食べさせていた。
幼ゼメウスはニコニコしながらそれを食べている。
カナデはそれを見て優しい笑みを浮かべていた。
だが、
俺はダンジョンに入ってからのカナデに少し違和感を覚えていた。
どこかいつものカナデらしくない。
俺は抱いた違和感をそのまま彼女にぶつけてみることにした。
「・・・なぁ、カナデ。何をそんなに怯えているんだ?」
俺の言葉にカナデの動きが止まる。
「・・・分かるのかい?」
「むしろバレバレだ」
俺の言葉にカナデはしまったと言うような顔をする。
「・・・ごめん」
「なぜ謝る?」
「いや、要らぬ心配をかけるなんてまだまだだな、って思ってさ」
「・・・あまり気を遣うな。今は同じ目的を共にする仲間だ」
「・・・うん・・・そうだね・・・」
カナデはそう言うと嬉しそうに笑った。
「・・・前にこのダンジョンに、最果ての楽園に入ったって言ったよね?」
カナデが言う。
「ああ、聞いた」
「その時、最奥部に行けなかった原因は『エルフ喰い』に襲われたからなんだ」
エルフ喰い。
それはダンジョンに入る前にカナデが俺に警告した魔物だ。
「当時、未熟な僕はやつに勝つことが出来なかった・・・そればかりか、一緒にいた仲間までやつに殺されてしまったんだ」
カナデは感情を押し殺すように言った。
「・・・仲間?」
俺は尋ねる。
「・・・ああ。僕の姉さんさ。美しくて強いエルフだった」
カナデは暗い表情でそう言った。
「お姉さん、か」
俺は呟く。
カナデはうん、と言ったきり話を止めてしまった。
俺もそれ以上、質問を続ける気にはならず、
俺たちはなんとなく無言で焚火の炎を見つめ続けた。
洞窟の外で、
木々がざわめくのが聞こえた。
時間がゆっくりと流れているようだった。
「・・・ん?」
そうしてただ時を過ぎしていると、
俺は洞窟の外に違和感を感じた。
「これは」
カナデも同じことに気が付いたようで、
俺たちは沈黙を破り口を開く。
「風が止んだ・・・?」
俺は洞窟の外を見ていった。
さきほどまで風の気配を感じていたが、
今は木々のざわめき一つ起きていない。
「違う、風だけじゃない」
カナデはそう言って洞窟の入り口の方へ向かう。
俺は幼ゼメウスがぐっすりと眠っていることを確かめ、
カナデの後を追った。
「わあ・・・」
カナデが感嘆の声を漏らす。
俺も彼女の後ろから洞窟の外を見た。
するとそこには、
薄緑色の光が視界一面に広がっていた。
特定の何かが発する光ではない。
木も地面も、そこに吹く風も。
すべてが美しいグリーンの光に包まれていた。
それはあの日カナデが解き放った魔光虫の群れよりも強くたくさんの光。
あまりにも美しいその光景に俺は思わず言葉を失った。




