第172話 銀嶺の詩人
テラ=コード著「深緑の秘宝」
最果ての楽園の最深部にて発見された緑の箱だが、
最終的な発見地点については明確になってはいない。
発見者とされるエルフの魔導士は、
魔物に襲われ深手を負い、
ダンジョンを彷徨っていたと言う。
朦朧とした意識の中で、
出口を探して歩き続けていると、
不意に彼の視界いっぱいに緑の光が広がった。
気が付けば彼は「箱」の前に立っていたと、
後の調査に答えている。
俺は本を閉じ、
深くため息を吐く。
すでに最果ての楽園に関する書物を十冊以上読んでいる。
関連部分だけとはいえ、
その情報量はすさまじく、
頭が重く感じる。
隣を見ると幼ゼメウスはすやすやと寝息を立てており、
俺は落ち着いて本を読むことが出来た。
既に時間は夕方に差し掛かろうとしている。
キリが悪いが、そろそろ帰った方が良さそうだ。
一冊の本を除いて、すでに読み終わった本を本棚へと戻す。
最後の一冊は少しゆっくりと読んでみたいと思った。
俺は図書室の司書に声を掛け、
貸し出しの手続きが出来ないかを尋ねてみた。
「構いませんが、貴重な本なので一泊1000ゴールドです。取扱いにはご注意を」
そう言って司書さんは簡単な手続きをすませ、
俺に本を手渡した。
『最果ての楽園攻略史』
本にはそう書かれていた。
・・・
・・
・
宿で幼ゼメウス用の食事を作ってもらい、
幼ゼメウスに食べさせる。
「おいも、おいしーね」
口元を汚しながら、
蒸かした芋を食べていく幼ゼメウス。
「ちゃんと噛んで食べろよ?」
俺は幼ゼメウスの咀嚼を確認しながら、
スプーンを彼の口元に運ぶ。
その度に幼ゼメウスはニコニコしながら口を開ける。
くそう。
本当可愛いな、こいつ。
俺はそんな事を考えながら、
食事を続けるのであった。
夕食を済ませると、
幼ゼメウスはすやすやと眠りについた。
時折、うにゃうにゃと何かを言っているが、
熟睡しているようだ。
俺は部屋の灯りを落とし、
読書用に机の上のランタンに火を点けた。
揺らめく小さな炎。
鞄から図書館で借りた本を取り出し、
ゆっくりと開く。
『最果ての楽園攻略史』著者名は書いていない。
最果ての楽園はエルフの聖地であり、
ほんの数百年前までは他種族が勝手に入ることを禁じていた。
長い歴史の中でも踏破者は少なく、
主を倒し回生を発生させた者は両手で数えられる数しかいない。
最初の踏破者と言われているのは、かの有名な最古のエルフ。
<東の>シキブと<北の>カチョウである。
彼らは一族でも有数の緑魔導士だった。
彼らは最果ての楽園を踏破し、
その功績を元にエルフたちをまとめ上げ、
今日のエルフの里を作り上げたと言われている。
つまりは現在のエルフの王たちの始祖にあたる。
また近代では、
同じく最古のエルフの一人である<南の>ヨダカより光の精霊を代々受け継いだ一族。
戦士アマテラが最果ての楽園を踏破している。
そしてアマテラがダンジョンを攻略するとほぼ同時に、
別のエルフにより『緑の箱』が発見されたのは周知の事実である。
最果ての楽園の歴史の中で、
エルフ以外の種族が最果ての楽園を踏破した事例は殆どなく、
その踏破者は大魔導ゼメウスの弟子、<灰色>ただ一人である。
ただし<灰色>に関しては公式の踏破記録が魔導士ギルドには残されておらず、
当時を知るエルフにより口伝されているのみである。
「・・・<灰色>?」
俺は驚きを口に出した。
今までたくさんの書籍を読んできたが、
<灰色>の存在が書かれている本を見つけたのは初めてだった。
灰色のリシュブール。
彼はゼメウスの弟子にも関らず、
『三原色』とは違い世間にはほとんど認知されていない。
カナデの歌によると、
彼はかつてゼメウスと共にエルフの里の為に戦ったと言う。
またリエルは俺の黒い炎を見て、
灰色のリシュブールの事を思い出した。
非情に謎の多い人物だ。
俺は本を閉じ、
ランタンの灯りを落とす。
すでに時間は深夜だ。
「・・・踏破者はこんなに少ないのか・・・カナデが渋るのも理解出来るな・・・」
俺は呟き、
すやすやと眠る幼ゼメウスの顔を見た。
彼が『おうち』と表現する最果ての楽園。
そこに彼を連れて行ってどうなるのか、
俺には皆目見当もつかなかった。
だが一つ言えることは、
俺は必ずそうしなければならないと言う事。
頭では理解出来ない何かが俺を突き動かしていた。
予感にも似た不思議な感覚が、
俺の決意を後押しする。
「この感覚は・・・」
前にも体験したことがある。
俺はそう思った。
何かに呼ばれているような、
自分の歩むべき道が定められているような不思議な感覚。
一度目は東の大陸、『忘れ人の磐宿』で。
二度目は西の大陸、エシュゾ魔導学院の深い谷底で。
俺は目を瞑り、
布団に包まった。
この感覚に実を任せてもいいものか。
一抹の不安を抱きながら眠りについた。
・・・
・・
・
翌朝。
「・・・おはよう」
身支度をしていると、
部屋にカナデが訪れた。
俺は彼女を部屋に招き入れる。
「おはよう、カナデ。その格好は・・・?」
俺はカナデの姿を見る。
既に旅用の服ではなく、
体の各部に金属のメイルを装着している。
これは戦闘用の装いだ。
「一晩考えた。僕も一緒に行くよ」
カナデが言う。
「いいのか?」
俺は驚き尋ねた。
「うん。考えたんだけど・・・実は僕の気持ちは初めから決まっていた気がする。今更君とゼメちゃんを置いていく選択肢はないよ」
「じゃあ・・・」
「悩んでいたのは・・・その・・・怖かったんだ。あの最果ての楽園に、自分が挑むなんて思ってもいなかったから」
カナデは言う。
「けど、不思議なんだ。恐怖の感情があって、冷静に考えれば無謀なんだけど・・・僕はこうしなければいけない気がするんだ」
俺はカナデの言葉に反応する。
「それは・・・」
「い、いや。なんでもない、忘れてくれ。宿とギルドの方には伝えてくるから、準備が出来たら街の入り口で待ち合わせしよう」
そう言ってカナデは部屋を出て行った。
一人残された俺は、カナデの言葉を思い出す。
―――――僕は初めからこうなることが決まっていたような気がする。
カナデも昨夜の俺と同じような気持ちと言うことだろうか。
この奇妙な感覚は偶然の一致か、それとも他の・・・。
俺は答えの無い答えを頭の片隅に追いやり、
身支度を再開した。
幼ゼメウスはベッドの上で、
ニコニコと俺の名前を呼んでいた。
・・・
・・
・
「あ。グレイさん、昨日はどうも」
そう言って出迎えてくれたのは、
ギルド職員のキャロットだった。
キャロットは俺の隣にいるカナデをチラリと見る。
「キャロットさん、昨日はありがとうございました。・・・手続きをお願いしていいですか?」
「手続き・・・もしかして・・・」
「はい。永―――」
「ストップ!分かってます分かってます。また奥に行きましょう!」
そう言ってキャロットは俺たちを奥の小部屋に通す。
「本当に行くんですか?」
小部屋に入るなり、キャロットが俺に尋ねる。
「はい。行きます。ここに居るカナデと一緒に」
俺の言葉にカナデが頭を下げる。
「・・・カナデ。もしかしてですが・・・Aクラス魔導士のカナデさんですか?」
キャロットは恐る恐ると言った様子で尋ねる。
「うん、そうだよ。僕がカナデだ」
カナデは答える。
「わあ、すごい。こんな所で<銀嶺の詩人>に会えるなんて・・・」
キャロットが感動した様子で、カナデを見つめる。
「・・・<銀嶺の詩人>?」
俺はカナデに尋ねた。
「今更だね。僕の二つ名さ。気障っぽくてあまり気に入ってないんだけどね」
そう言ってカナデが肩をすくめる。
なるほど。
「で、でもどうしてですか?<銀嶺の詩人>様と言えばあまり国内に居ないと伺っていたのですが・・・」
キャロットが尋ねる。
「色々あってね」
カナデは短くそれだけ答えた。
非情に柔らかい拒絶。
それだけであまり詮索するなと言う意思が、
キャロットには伝わった様子だった。
「・・・わ、分かりました。では手続きをしてまいります」
そう言ってキャロットは小部屋から出て行く。
残された俺たちは無言でそこに立っていた。
「・・・銀嶺・・・」
「・・・」
「・・・<銀嶺の詩人>様」
「・・・グレイ。もしかして喧嘩売ってる?」
そう言ってカナデが俺を睨みつけた。
しまった。
「すまん」
「・・・あまり気に入って無いんだ・・・もう忘れてくれ」
カナデはそう言って黙り込んだ。
その耳先は少し赤くなっていた。
俺以外にも二つ名の存在に悩ませている人が居ると分かり、
俺はどうにも安心した気持ちになった。
あれ。
ところで俺の今の二つ名って何になっているんだろう。
そんな事を考えている内にキャロットが部屋に戻る。
一つか二つ、
彼女から注意を受け、
俺たちはロシマの街を出た。
ここから最果ての楽園はすぐ近く。
・・・
・・
・
「着いたよ。ここが、ダンジョンの入り口だ」
カナデに言われ、顔を上げる。
目の前には深い谷。
エシュゾ魔導学院の入り口にあった谷に匹敵するほど深い谷だ。
そしてその谷に一本橋の様に地面がせり出し、
向こう側とこちら側を繋いでいた。
「・・・最果ての楽園は谷に囲まれた大森林だ。入り口はここにしか存在しない。他に橋を掛けようとしても、不思議な力で倒壊してしまうらしい」
カナデは言った。
「あれか・・・」
俺は視線を少し先に向ける。
一本橋のこちらがわには、
見覚えのある巨大な扉が一つ。
ダンジョンの岩扉だ。
「・・・ここまで来たら後戻りはできない。本当に良いんだね?」
カナデが確認する様に俺に尋ねる。
だが俺が答えるより先に、後ろに背負った幼ゼメウスが反応する。
「ぐれい!おうち!帰る!」
あうあうと興奮したように手足をバタつかせる幼ゼメウス。
「・・・だそうだ」
俺はカナデの眼を見て、それだけ言った。
「分かった。行こう」
そう言ってカナデは扉に手を掛ける。
Sランクダンジョン『最果ての楽園』。
俺たちはその内部に足を踏み入れた。




