第171話 おうち
街にたどり着いたころには、
すでに辺りは暗くなり始めていた。
仕事を終え、家路を急ぐ人の群れが歩いている。
この街にもほとんど人間の姿は無く、
どちらを見てもエルフばかりだ。
どちらかと言うとミヤコよりも人間の姿は少ないかもしれない。
「・・・人間が少ないな」
俺はカナデに尋ねた。
「うん。ここはエルフの里の中でも南部の外れに近い。人間の姿も珍しくなるんだ」
そういうものなのか、
と俺は口にし、
街の中を歩き始める心なしか、
チラチラと俺の顔を盗み見るエルフが増えた様な気がする。
大通りを歩いていると、
周囲に比べて大きな建物が見えてきた。
「今日はここにしようか」
カナデが言う。
建物には、『藍色のナインテイルフォックス亭』と書かれていた。
「ふぅ、疲れたな」
俺はゼメウスをベッドに降ろし、
布団を掛ける。
彼はすやすやと寝息を立てている。
平和なものだ。
「お疲れ様。子供を抱いて歩くのは疲れるよね」
カナデが答える。
「カナデは子供に慣れている様子だったが・・・、独身・・・だよな?」
俺は思っていたことを聞く。
「え?ば、馬鹿。当たり前だろ!!僕はまだ未婚だし、子供だっていないよ!」
カナデが顔を赤くして否定する。
「す、すまん。子供の扱いになれているような気がしてな・・・」
「あ、ああ。それは姪っ子たちを見て来たから、かな。ウチの家族、エルフにしては、その子だくさんなんだ・・・」
カナデが言う。
「それでか。なんか普段クールなカナデとは違う姿で新鮮だったぞ。カナデは良い奥さんになりそうだ」
「い、良い奥さんって・・・」
カナデの顔が真っ赤になる。
「・・・ん?どした?顔が赤いけど」
俺は尋ねる。
「し、知らないよっ!さぁゼメちゃんが寝ている内にさっさと食事をしてしまおう!!ゼメちゃん用の食べ物が無いかも聞いて来るよ!」
そう言ってカナデは俺から離れ、身支度を始めた。
なんなんだ一体。
俺はその姿を見て、
そう思った。
「・・・ん?」
食事を終え部屋へ戻ろうとすると、
宿のホールにあった大きな絵が目に留まる。
美しい森林を描いた風景画。
普通の森よりも高く、
太い木々が描かれており、
色とりどりの花々が色彩豊かに描かれている。
絵の右奥には巨大な滝。
大瀑布と言うほどの水が、高い崖から落ちている。
その中央には木の根が集まり何層にも重なる場所があり。
そこには小さな正方形の何かが浮かんでいた。
「これは・・・」
「そちらの絵画は――――」
「わっ!」
突然背後から話しかけられて、
俺は驚きの声を上げる。
慌てて振り向くと、
そこにいたのは宿の従業員だった。
「貴方は・・・」
「失礼、突然話しかけてしまいまして。私はこの館の店主です」
そう言って優雅にお辞儀をする店主。
前から思っていた事だが、
エルフは皆、
立ち居振る舞いが非常に優雅だ。
この宿の店主も着るものと周囲のシチュエーションが違えば、
王族だと紹介されても気が付かないだろう。
そんな事を考えていると、
店主は言葉を続けた。
「こちらは『最果ての楽園』を描いたものです」
「最果ての楽園?」
「おや、ご存じないですか?」
店主は驚いたような顔をする。
「聞いた事はあります・・・たしか・・・」
「そうです。他でもない『緑の箱』が発見されたダンジョンです」
「緑の・・・」
俺は再び絵に視線を戻す。
よく見れば絵の中央に浮いている箱は、
たしかに俺の知る『ゼメウスの箱』と同じような形をしていた。
「なぜ、この絵を?」
俺は尋ねた。
「ここロシマは『最果ての楽園』への玄関口として栄えた街ですから。ここから南に進んだ先にある原生林。それが『最果ての楽園』なのです」
店主は答えた。
「そうか・・・まったく知りませんでした。」
「最近はダンジョンへ入る魔導士様も減ってしまいました。Sランクダンジョンですから、おいそれとはお勧めできませんが、腕に覚えがありましたらぜひ・・・」
そう言って店主は俺に頭を下げると、
奥へと消えていった。
俺はしばらくその絵を見ていた。
数百年前にエルフの魔導士が見つけたと言う『緑の箱』。
恐らくはそのエルフも緑魔導士だったのだろう。
だが、箱には選ばれなかった。
ゆえに緑の箱は未開封のまま、
百年の時をエルフの秘宝として祀られたのだ。
そんな事を考えていると、
後ろから聞き覚えのあるあぶあぶと言う声と、
カナデの声がした。
「あ、居た。おーい、グレイ。ゼメちゃんが起きたよ」
カナデは幼ゼメウスを抱っこして階段を降りてくる。
「すまん。ちょっとこれを見ていたんだ」
カナデは俺の隣まで来ると、
俺と同じようにその風景画を見つめる。
「『最果ての楽園』、だね。美しい場所さ」
「入った事、あるのか?」
俺は尋ねる。
「うん、十数年くらい前にね。でも奥まで行けずに結局帰還したよ。魔物が強くてね」
「カナデがそう言うなら相当だな」
俺は答える。
「うーん、当時はまだ戦闘用の魔法も上手く扱えなかったからあれだけど。Sランクダンジョンの名前に負けない魔物がたくさん生息しているよ」
「そうか・・・それは辛そうだ」
俺はため息を吐く。
これまで俺が攻略したダンジョンにもSランクのものはない。
図書館迷宮も途中階までだったしな。
俺たちがそんな事を話していると、
不意にゼメウスが絵を見つめだした。
「ん?どうしたんだい、ゼメちゃん?」
カナデがゼメウスに声を掛ける。
だがゼメウスに反応はない。
「なんだ?絵が気に入ったのか」
俺も声をかけるがやはり反応はない。
どうしたものかと、
カナデと視線を合わせ肩をすくめると、
それまで黙っていた幼ゼメウスが満面の笑みになる。
そして、幼ゼメウスは絵を指差し、
明るい声で言った。
「おうち!ぐれい、おうち!」
・・・
・・
・
「結論から言う。僕は反対だ」
カナデが言う。
「しかし、こうなった以上は・・・」
「Sランクダンジョンだよ?いくら僕たちでも楽じゃない。そこにこんな・・・」
カナデの視線の先には再びすやすやと眠る幼ゼメウスが居る。
「こんな幼い子を抱えてダンジョン攻略なんて、絶対に無茶だ」
カナデが言う。
「・・・無理とは言わないんだな?」
俺の言葉にカナデが黙る。
そして何かを考える様な素振りをして、
答えた。
「君と僕なら・・・おそらくは『最果ての楽園』の深部まで行くことは可能だと、思う。けど・・・」
「けど?」
「・・・その・・・あそこには・・・」
カナデが躊躇する。
「あそこには?」
「・・・『エルフ喰い』が出るんだ」
カナデが答えた。
「エルフ喰い・・・って・・・」
「数百年前からあのダンジョンに巣食っている魔物さ。強力な魔物で、討伐の過去例は存在しないと言われている」
「数百年って・・・」
「エルフ喰いだけじゃない、あのダンジョンは本当に危険なんだ。だから・・・」
俺は黙ってカナデの目を見つめていた。
カナデはそんな俺の目に気圧されたように、
言葉を止める。
「少し・・・考えさせて欲しい」
カナデはそう言うと、部屋を出ていった。
・・・
・・
・
翌日、俺はロシマの街の魔導士ギルドを訪れた。
目的は情報収集。
カナデの言う通り、Sクラスダンジョンは伊達では無い。
事前の調査なしで挑めば、
間違いなく命を落とすだろう。
「ぐれい、ぐれい」
先ほどから幼ゼメウスは俺の背中で、
俺の名前を連呼してる。
何が可笑しいのか分からないが、
時折きゃっきゃっと笑っている。
ご機嫌な様子だ。
「よしよし、お腹すいたのか?」
「たー」
俺の質問に幼ゼメウスが答える。
「うん、ギルド用事が済んだらご飯にしよう」
「たー」
通じているかどうかは不明だが、
俺とゼメウスはそんな会話をしてギルドの中へと入った。
「ようこそ、ロシマの街の魔導士ギルドへ」
そう言って出迎えてくれたのは三つ編みの少女だった。
耳が尖っていないところを見ると、
人間だろうか。
「初めまして、グレイです。家名はないただのグレイ」
そう答えると、
三つ編みのギルド職員は満面の笑みで答えてくれた。
「まぁ、人間の魔導士さんですね。ロシマには滅多に人間が来ないから、お会いできて嬉しいです」
「そうなんですね」
「はい、私はここに派遣されて来ているのですが・・・あ、申し遅れました。私はキャロットと申します」
そう言ってキャロットは丁寧に頭を下げた。
「ああ、よろしくお願いします。えっと、聞きたい事があって」
「はい、なんでしょうか」
「『最果ての楽園』についてです」
俺がそう答えた瞬間、
キャロットの表情が曇る。
「ちょ、ちょっとグレイさん・・・」
小声で俺に話しかけるキャロット。
「どうしたんです?」
「その・・・えっと・・・」
キャロットは慎重に言葉を選んでいる様子だ。
俺が何かマズイ事を言ったのだろうか。
「ちょっと、奥に行きましょう」
そう言ってキャロットは俺をギルドのカウンターではなく、
奥の小部屋へと案内した。
「・・・お、驚きました」
小部屋に入ると、キャロットは開口一番に言った。
「す、すみません。何かマズイ事を言いましたか?」
俺は尋ねる。
「いえ、グレイさんは悪くないんです。ただ今は周りが『最果ての楽園』に敏感な時期なので」
「敏感な時期、ですか?」
「はい。『最果ての楽園』は間もなく『回生』の時期を迎えます。エルフさん達はこの現象を神聖視してますので・・・」
「『回生』・・・と言うのはあの回生ですか?ダンジョンが生まれ変わる?」
俺は尋ねた。
「そう、その回生です。最果ての楽園は不思議なダンジョンでして・・・主が倒されていないのに、10数年に一度、自然に回生が起きるのです。エルフさん達はそれを『深緑の回生』と呼んでいます」
「新緑の回生・・・」
「私も見た事が無いのですが・・・それは広大な最果ての楽園が回生する様はとても美しい光景だそうです」
「その、深緑の回生が間もなく起きる時期だと?」
俺の質問にキャロットが頷く。
「はい。ダンジョンに入るのに種族は関係ありませんが、この時期だけは人間が最果ての楽園に入るのを嫌がる人もいます・・・」
なるほど、と俺は思った。
そんな事情がある中で俺が不用意に最果ての楽園について尋ねたから、
キャロットは慌ててたのか。
「それは・・・知らなかったとは言え、すみませんでした。教えてくれてありがとうございます。」
俺はキャロットに素直に礼を言う。
「大丈夫です。えっと・・・グレイさんは最果ての楽園に入るおつもりなんですか?」
「・・・そう考えています。今日はそのために情報収集を」
「き、危険ですよ?」
「承知の上です。行かなくてはならない理由もあるので」
俺は答えた。
キャロットは俺の表情を見て諦めたのか、
ため息を吐いた。
「わ、分かりました。ちょっと色々用意しますので、お待ちください。あ、ご所望の情報についてですがギルドの図書室になら本がたくさんあると思います」
「・・・ありがとうございます」
俺はキャロットに礼を言うと、
ギルドの図書室へと向かった。




