第169話 出現
「綺麗だな、ほんとに・・・」
エルフの里に来てからの何度この言葉を言っただろう。
俺の言葉に、カナデは満足そうに頷いだ。
「うん。ここは何代か前のエルフの王様が住んでいた建物なんだ・・・、人間たちとの交流の為にミヤコに移住するずっと前さ」
「王族が?そうか・・・」
たしかに言われてみれば、
王城と言われても納得の荘厳さだ。
ここに王族が住んで謁見などをしていたのだろうか。
それはとても緊張感のある場面だっただろうな。
「普段は警備の魔導士や、宝物庫の管理人も居るんだけど・・・今ここに常駐している者は・・・」
カナデが言う。
白蝶の襲撃により、
宝物庫に居たほとんどのエルフが犠牲になったと聞いている。
宝物庫を守る兵も、そこに置かれたものを管理する事務官も。
また『緑の箱』だけではなく、
貴重な品もいくつか奪われたと言う。
改めて白蝶の襲撃がどれだけ非道な行いだったのかを痛感する。
俺とカナデの間には沈黙が流れた。
「・・・行こう・・・緑の箱があったのは、ここの最深部だ」
そう言ってカナデは歩き出した。
心なしか、彼女の顔はいつもより固い表情だった。
宝物庫の内部はとても広かった。
中は複雑な構造になっており、
まるでダンジョンのようだ。
ダンジョンとの唯一の違いは魔物が出現しない事。
俺とカナデはどんどん下の階層へと降りて行った。
「奪われる前の年まで、『緑の箱』は一般公開もしていたんだ・・・」
「・・・知っている。深緑の日、だったか」
俺は答えた。
「そう、年に一度。かつて『緑の箱』が見つかった日を記念して、緑の箱は公開される」
「・・・子供の時に、いつか見に行こうと思っていた」
「そうなの?それは冒険心のある子供だね」
俺はかつてアリシアの祖母、そして俺の幼馴染のテレシアとした約束を思い出す。
いつか南の大陸に、緑の箱を一緒に見に行こう。
子供ながらに俺たちは固く誓いあった。
だが俺が灰色となったあの日。
俺は逃げたのだ。
村と、家族と、彼女、そして彼女との約束からも。
今では自分の住んでいた村の名前も思い出せない。
そんな事を考えていると、ふと思う事がある。
テレシアは今、どこで何をしているのだろうか。
たしか彼女は引退後に西の大陸に戻り、それから――――
「グレイ?」
カナデの声にハッとする。
「え、あ、悪い・・・」
どうやら無言で考え込んでいたようだ。
「・・・いいさ。随分集中していたね、まさか、昔好きだった子の事でも考えていたのかい?」
カナデがニヤニヤしながら言う。
言い当てられた俺は思わず動揺してしまう。
「な、なぜそれを・・・」
俺がそんな事を答えると、
カナデの顔が一気に曇る。
「本当に考えていたの?もう!集中してよ!もう着いたよ!」
そう言って怒るカナデ。
しまった。
墓穴を掘ったか。
俺はそう思う。
カナデは足を止め、正面を見ていた。
そこにはこれまでで最も大きな扉があった。
俺の背丈よりも大きな岩扉。
まるでこれは―――
「ダンジョンの扉、か?」
俺は呟く。
「・・・正解。でもそれに似たものかな」
カナデが言う。
「これは精霊の力を利用した扉さ。精霊に問いかけることの出来る者じゃないと開けられない」
「・・・精霊の・・・?」
「そう。エルフに伝わる秘術の一つさ」
そう言うとカナデは、
またブツブツと何かを唱えた。
数秒の間の後、
その言葉に反応する様に扉が光り出す。
そして、
精霊の扉はダンジョンの岩扉同様に、
ズズズと音を立て開いていった。
中から流れてくる風に、
俺は微かに血の臭いを感じた。
・・・
・・
・
扉の中は、
広いホールのような場所だった。
部屋の中にはいくつかの水路が通され、
水の流れる音が聞こえた。
そしてその中央には、
一つの台座のようなもの。
俺はその部屋の中に入った。
「・・・本来ならあそこに『緑の箱』があるはずだったんだけどね」
カナデが言う。
その視線の先には先ほどの台座がある。
「そう、か」
俺は台座に近付く。
部屋の中に入ると感じる血の臭いがさらに強くなる。
ここで誰かが血を流したのだ。
「綺麗だったんだ。緑の箱の放つ不思議な光に照らされて。この広間は緑の間、なんて呼ばれ方もしていた」
カナデが悲しそうに言う。
エルフにとって『緑の箱』は、ただの宝では無い。
何百年も受け継いできた、文化そのものなのだ。
俺はここで箱を守り死んだエルフたちに、
想いを馳せる。
どれだけ無念だったことだろう。
俺たちの間に沈黙が走る。
押し黙る俺にカナデが声を掛けた。
「さて、どうしようか?ここに来たのは良いが、ごらんの通りもぬけの殻さ」
「そうだな。もう少しここを回ってから――――」
振り向き俺は言葉を止める。
「どうしたんだいグレイ?幽霊でも見た様な顔をし・・・て」
俺の視線を追う様に振り向いたカナデ。
彼女もまた俺と同じように言葉を失う。
何故ならばそこには、
この空虚な遺跡には到底似つかわしくないような存在がいた。
小さな子供。
正確には幼児ともいえる年齢の、
小さな男の子。
彼は今にも泣きだしそうな不安そうな顔で、
俺の顔を見て立っていた。
俺は彼を見た事がある。
南の大陸に来てから、
夢の中で、何度も。
「・・・ゼメウス?」
俺は呟くように彼の名を呼ぶ。
するとどうだろう、
彼は一瞬、何かに驚いたような顔をした後、
覚束ない足取りで俺の方に駆けてきた。
「あぶないっ!」
よちよちと走るゼメウスを、
抱き止める様に手を広げる。
ゼメウスはそんな俺の胸の中に前のめりに飛び込んできた。
そして――――
「ああああああああん!!!!」
泣き出した。
赤子の鳴き声烈火の如くとはこのことだ。
俺は思わずゼメウスを抱いたまま立ち上がり、
身体を揺らしながら彼の背中を叩く。
「よ、よしよし・・・いい子だから、いい子だから・・・」
何度も何度も背中をさすってやる。
俺が必死に宥めていると、
ゼメウスは次第に落ち着いてきたようで、
徐々に泣き止んできた。
その小さな手は俺の服を掴んで離さない。
「ひっく・・ひっく・・・」
未だに瞳が潤んではいるが、
なんとか泣き叫ぶ状態からは復帰できたようだ。
良かった。
その様子を黙って見ていたカナデがようやく口を開く。
「・・・グ、グレイ・・・私には何が何だか・・・そ、その子は一体なんなんだ。どこから現れた?」
狼狽している様子のカナデ。
だが俺は彼女の問いに対して、
いかなる回答も持ち合わせていなかった。
「・・・お、俺にも分からない」
俺の胸の中できょとんとするゼメウス?を抱きしめ、
俺とカナデはただ茫然と宝物庫の中で立ち尽くしていた。




