第144話 恋焦
南の大陸。
東西の大陸に比べ広大で、
気候は温暖で穏やか。
ダンジョンを始め、
未踏の地も多い。
この大陸には人間とエルフ、
両方の種族が住んでいる。
大陸の中央部にはエルフが、
外周部分には人間が街を作り暮らしていた。
二つの種族は近づけども、交わらず。
絶妙な距離感とバランスで、
生活圏を共にしていた。
エルフの里は王族が、
人間側はいくつかの街から選出された代表が、
それぞれの自治を担っていた。
そしてここは、南の大陸の中央部にあるエルフの里。
その中でも最大規模の街ユウグレの街の一角である。
そこで二人の人間が向かい合わせで話していた。
「・・・どうだった?」
そう尋ねたのはアリシア。
「いえ、有力な手がかりは何も」
従者のシオンが答える。
彼はアリシアの指示で情報収集から戻ったばかりだ。
「・・・そう」
「これだけ探して手掛かり一つないとなると、すでにこの大陸には居ない可能性もありますね」
シオンが言う。
彼の調査能力は非常に優秀だ。
「港からの通報は?」
「同じく報告はなしです。最近は出国の船も減ってきていますし」
「そう・・・」
アリシアはそう言って深いため息を吐いて、
目を閉じた。
仕事において最も辛いのは、
課題が無い事ではなく、進捗が無い事だ。
その様子を見てシオンが言う。
「・・・お疲れの様子ですね。少し休まれては?」
アリシアはシオンを見つめた。
「ううん、大丈夫。それより早くしないと、本当に手遅れになるわ」
アリシアは答えた。
「・・・エルフたちもかなり焦っているようですね」
シオンが声を落として言う。
「・・・そうね。この件が世間に公表されれば彼らの威信は地に落ちるわ。エルフにとって国の宝でもある『緑の箱』が奪われるなんて」
アリシアは答えた。
半年ほど前にエルフの里は賊に襲われた。
狙われたのは『緑の箱』が保管されていた神殿である。
侵入者たちは、
神殿を守るエルフの守護者たちを皆殺しにし、
『緑の箱』を強奪したと言う。
守護者たちはエルフの中でも鍛え抜かれた戦士たちだ。
並みの侵入者がそれを打ち破るのは、至難の業だ。
現場に残された魔法の痕跡から、
主犯はおそらく『白蝶』であることが分かっていた。
見慣れない騎士たちの姿も目撃されているが、
こちらは定かではない。
これまで『白蝶』が騎士を引き連れていたと言う情報はない。
半年が経過したにも関わらず、調査の進捗ははそこまで。
今や『緑の箱』はおろか『白蝶』の足取りすらも掴めていない状況であった。
南の大陸を出国する船はすべて見張られているので、
大陸内にいることは間違いないと言うのがエルフの里の調査部の見解だ。
アリシアはエルフの里からの継続依頼で、
『白蝶』の捜索を手伝っていた。
それは、排他的な面があるエルフの文化からするととても珍しいことで、
今回の件を指揮するエルフの王族の焦りが垣間見えた。
『緑の箱』が盗まれたと言う情報を封殺するのも、限界であろう。
そんな状況の中、
アリシアが調査を進めても、
成果は当然に挙がらなかった。
直接依頼をくれたエルフの王族からの監視、
そして一向に掴めない『白蝶』の足取り。
いくつからの理由から、
アリシアはエルフの里から身動きが取れなくなっていた。
「もどかしいわね」
アリシアが言う。
シオンはアリシアの言葉を聞いて、
ふむと呟いたあと、尋ねた。
「・・・それは調査が進まない事が、ですか。それとも彼に会えないことが?」
アリシアが飲んでいたお茶を吹き出す。
「ち、ちち、違うわよ!」
シオンからの思いがけない指摘を、
アリシアが慌てて否定する。
だがここまで顔を真っ赤にして否定していては、
もはや肯定してるようなものだと、シオンは思った。
彼と言うのはもちろんグレイの事だ。
数ヶ月ほど前に南の大陸に到着したと言う旨の手紙がギルド経由で届き、
そのまま何度か手紙でやりとりをしている。
どうやら南の大陸にある人間の街で魔導士として活動をし、
生計を立てているようだ。
南の大陸は西や東の大陸に比べ広大なため、
今の状況のまま、気軽に会いに行くという訳にはいかなかった。
そのことをアリシアは内心でもどかしく思っていた。
「・・・本当にですか?別に責めませんよ。堅物のアリシア様に初めて出来た想い人ですから」
シオンが尋ねる。
「・・・あ、当たり前でしょ。私はSクラス魔導士よ?仕事優先に決まってるじゃない!」
アリシアが言う。
その言葉にシオンはニヤリと笑う。
「・・・これを見ても?」
そう言ってシオンが胸元から取り出したのは
街で手に入れてきた、日刊魔導新聞だ。
日刊魔導新聞は東西南北全ての大陸で、
発行されている。
だが主要な記事以外は各大陸ごとに内容が異なる様で、
言うなれば地域版のような内容となっている。
アリシアはシオンの差し出した新聞を眺める。
「なによこれ・・・って・・・」
そこには大きな見出しで、
こう書かれていた。
『魔導士グレイ、旧ハヴィラル城遺跡を踏破』
アリシアはよく知った名前が記事になっていることに驚き、
動きを止める。
そしてすぐにかじりつく様にして、
記事を読み始めた。
『魔導士グレイ、旧ハヴィラル城遺跡を踏破』
魔導士グレイは難易度Aランクの遺跡である、
旧ハヴィラル城跡地を踏破した。
旧ハヴィラル城はアンデッド系の魔物の巣窟で、
探索には強い戦闘力が求められる事で有名なダンジョンであり、
その点に関しては更に上位のダンジョンとも遜色が無いと言われている。
5年前にSクラス魔導士<氷の女王>が踏破して以来の新たな踏破者となり、
南の大陸到着間もない、新星の今後の活躍に期待される。
「・・・アリシア様、顔がにやけていますよ?」
シオンの声にアリシアはハッとする。
「に、にやけてなんていないわよ!」
慌てて取り繕うが、
記事を見て惚けている姿は、
シオンに確実に目撃されていた。
「ふうん」
シオンはそう言って何も言わなかった。
アリシアはシオンの視線から逃れるように、
再び記事に目を落とした。
「・・・すごいじゃない」
アリシアは呟く。
あの港で別れてから数ヶ月。
あの時グレイが一緒にいたいと自分を引き止めてくれた事が、
アリシアにとってはとても嬉しかった。
今でもあの港でのやりとりを思い出しては、
赤面する事がある。
恥ずかしさのあまり枕に顔を埋めたことも、
一度や二度ではない。
仕事さえなければ今すぐ飛んでいって、
彼に会いたい。
アリシアはそう願っていた。
だがSクラス魔導士として、
仕事を中途半端に投げ出す事も出来なかった。
アリシアは大きなため息を吐いた。
「お悩みですね」
シオンが言う。
「・・・」
アリシアは答えなかった。
最近はにやけたり、落ち込んだり、
情緒不安定だな、とシオンは苦笑する。
だがそれもいい傾向だ。
偉大な祖母の影響で、
真面目すぎるところがあるアリシア。
ある意味でゆとりのない彼女にはこれくらいが丁度いいのかも知れない。
シオンはそう思っていた。
未だに項垂れるアリシアを元気付けるべく、
シオンは微笑を浮かべ、
言葉を続けた。
「・・・彼に会いたいなら、いい考えがありますよ」
その言葉に、
アリシアはそっと顔を上げた。




