第143話 染まる大陸
「・・・う」
キリカは大聖堂に差し込む陽の光により目を覚ます。
暖かく、柔らかい、午後の日差しだ。
痛む頭を摩りながら、
ゆっくりと体を起こし、
記憶を探る。
キリカは、
先程までの出来事を思い出した。
自分はあの侵入者の魔法で凍りついたはず。
キリカはそう思う。
だが周囲には氷はおろか、
侵入者との戦闘で死んだはずの騎士たちが、
無傷の状態で倒れていた。
一体どうして。
キリカの中に様々な疑問が生まれる。
「・・・キリカ・・・目を覚ましたか?」
そう言って自分に声をかけてきたのは、
騎士長のボロミアだった。
ボロミアはあの少女の魔法に貫かれ、
死んだはずだ。
「ボロミア様、これは一体・・・」
キリカはボロミアに声を尋ねる。
「・・・分からん。俺にもどういうことか」
ボロミアが答えた。
実際、ボロミア自身もキリカと同じように目覚めたばかりだ。
彼の中にも、リエルの魔法で貫かれた記憶が残っていた。
突き刺さる氷の感触を思い出し、
ボロミアはゾクリとした。
周囲では次々と、
倒れる騎士や司教たちが起き上がり始めている。
「・・・我々はあの少女に・・・」
キリカが呟く。
「・・・いや、見たところ誰も死んでいない。俺も含めて、な」
ボロミアの目の前では、
一番最初にリエルに八つ裂きにされたはずの若い騎士が、
不思議そうな顔で自分の体を確かめていた。
「・・・夢か、幻でも見ていたのでしょうか。私たちは」
キリカが言う。
だがボロミアはその問いに対する答えを持ち合わせていなかった。
現れた侵入者は忽然とその姿を消していた。
そこでキリカはハッとする。
「そうだ、ロロ様は!」
キリカは慌てて周囲に目を向ける。
だがどこを探してもロロの姿はなかった。
やがて起き上がったカリュアドや、
シャロネーズ。
騎士たちは総出でロロの姿を探す。
だが聖女の姿は大聖堂の中から、
姿を消していた。
・・・
・・
・
背中越しに動きを感じる。
背負ったロロが目覚める気配だ。
「・・・グレイ、さん?」
ロロは小さな声で呟いた。
俺はロロを背負ったまま、
ブルゴーの森の中を走り続けていた。
「大丈夫か?すまなかったな。怖がらせて」
俺はつぶやく様に言った。
ロロはそれには答えず、
俺の背中に頭を押し付ける。
「・・・助けに・・・来てくれたんですね・・・」
その言葉に俺は答える。
「ああ」
ロロはなおも、言葉を続ける。
「生きて、いたんですね」
「ああ」
俺は短く答えた。
ロロが俺にしがみつく力が強くなったような気がした。
そして背中からはすすり泣く気配を感じる。
どうやらロロが泣いているらしい。
俺は彼女のため、
少しだけ走るスピードを緩めた。
今の彼女には酷かも知れないが、
話をしなくてはならない。
俺は適当な木立の間に停止し、
そっとロロを背中から下ろした。
「・・・ロロ、聞いて欲しい。大事な話がある」
「はい」
俺は息を飲み、
言葉を慎重に選んでから、口にした。
「・・・まだ仮説に過ぎないが、君はゼメウスの生命魔法を使った代償で、周囲に影響を引き起こしている可能性がある」
「代償・・・ですか?」
ロロは心配そうな顔で俺を見つめる。
「そうだ。周囲の人間の感情を乱す、駆り立てる代償。俺たちはそう見てる。思い当たることがあるんじゃないだろうか」
俺の言葉に、ロロの表情が沈む。
思い当たる節は、嫌というほどある筈だ。
「・・・ここに居たらまずい事になる。君を襲ったという侍女のように、歯止めの効かない人間も出てくるだろう」
俺の脳裏にはキリカや、シャロネーズの姿が浮かぶ。
「・・・私、どうすれば・・・」
ロロは震えている。
無理もない。
大聖堂から急に連れ出された挙句、
このような突拍子もない話をされるのだ。
混乱するのも致し方ないことだ。
だが。
「・・・ロロ、厳しい話だが君は選ばなくてはならない」
「選ぶ?」
「このまま俺と逃げるか、大聖堂へ戻るか、だ」
ロロはハッとした表情を浮かべる。
「今なら、まだ間に合う。リエル・・・俺の仲間の魔法で、大聖堂は混乱しているはずだ」
ロロは重い表情で考え込む。
目をつむり、グッと何かを考えているような仕草を見せる。
俺はそれを黙って見ていた。
やがてロロがゆっくりと瞳を開ける。
そして俺の目を見た。
力強く、意志の宿る目だった。
「・・・生命魔法を使ったとき、私は聖女を辞めるつもりでした。」
「知っている」
「・・・教皇がいなくなり、秩序を取り戻すまでと自分に言い訳をして、聖女を続けました。」
「・・・ああ」
「だけど実際は、怖かったんだと思います。だって私は幼い頃から聖女になるために生きてきたから」
「無理もない」
俺は頷いた。
「でも、自分の決断が鈍ったせいで今回はこんな事になりました。周りに流されて、戦う意思すら失い、また以前の自分に戻ったようでした・・・」
俺は黙っていた。
「でも今度こそ、私は私の道を選びます。また遠回りをしてしまったけど。本当はあの時に、そうすべきだったのです」
「ロロ・・・」
俺は彼女の目を見た。
「私、行きます。ここではないどこかへ。聖女ではない自分になるために」
ロロは力強い瞳で俺に言った。
俺はそれに頷く。
「・・・わかった」
俺の言葉に、ロロは微笑みを向ける。
そして少し躊躇するような素振りを見せた後、
頬を赤く染めてロロが言葉を続けた。
「それに・・・」
「ん?」
「・・・あの時の返事を、グレイさんに頂く必要もありますし・・・」
ロロは悪戯っぽく笑う。
その笑顔に俺はどきりとする。
「そ、そんなことで・・・」
自分の人生を決めるな、と言おうとして俺はやめた。
それがロロの強がりだと言うことがわかったからだ。
なぜなら彼女の足はフルフルと震えていた。
故郷と、育ってきた場所を失う。
それがどれほどの決断か、痛いほどに理解できた。
俺は代わりに、彼女に頷いた。
「行こう」
「はい!」
ロロは力強く頷いた。
・・・
・・
・
騎士団長ツクヨミは、大聖堂に立っていた。
他の騎士たちは聖女捜索のためにすでに飛び出していったため、
ここにいるのは彼一人だ。
聖女が見つかることはないと言う事をツクヨミは確信していた。
今頃彼らは、用意された船が待つ岬へとたどり着いている頃だろう。
エルフならば代償による影響も受けにくいだろうと、
南の大陸に向かうことを勧めたはした。
だが、その行き先は不明だ。
「・・・まさか夢幻魔法、とはね」
ツクヨミは呟く。
大聖堂に侵入する、と言う話を効いたときは無謀だと思った。
出来る限りの手助けをとは思っていたが、
彼らはツクヨミの助力もなく、
それを正面からやってのけてしまった。
「・・・<深き紅の淵>。まさか生きていたとは」
最恐と呼ばれた魔導士が居るのであれば、
それも当然だと思えた。
ツクヨミは自分の剣を見つめ、
対峙した伝説の存在のことを想っていた。
大聖堂に差し込む陽の光はすでに赤く染まり出し、
白い大聖堂がその様相を変化させる。
美しい日だった。
まるで嵐のあとのように、
大聖堂の、そしてブルゴーの空気は澄み切っていた。
・・・
・・
・
シルバの用意してくれた船は、
中型の帆船だった。
船長は無愛想だが、
俺とロロを見て頷くと、
それ以上は何も言わなかった。
余計な詮索はしない。
それが高額の報酬の代わりに、
シルバの出した条件のようだった。
「ここで別れじゃ」
そう言って、俺に声をかけたのはリエルだ。
「・・・ありがとう、リエル」
俺は彼女に礼を言う。
「・・・ふん、気にするな。それより例の約束、胸の内にしかと秘めておけ」
そう言ってリエルは笑う。
俺はあの時の言葉の真意を尋ねようとしたが、
リエルが答えないだろうことが分かり、
それを止めた。
「こちらでも色々調べてみる。何かわかれば、使いを出そう」
リエルが言う。
代償の件はまだまだ不明確なことが多い。
更なる調査は必要不可欠と言えるだろう。
「・・・お主も時間魔法の使用は控えよ。これは師匠の命令じゃ」
リエルが真剣な表情で言った。
「わかった。極力、努力する」
俺は短く答えた。
「グレイさん・・・」
続けて声をかけてくれたのはセブンだ。
「また、色々とお世話になりました」
俺は彼女に声を掛ける。
「いえ・・・」
セブンは俺の言葉に静かに微笑む。
「リエルのこと、お願いします」
俺は言った。
なぜそんな事を口走ったのかはわからない。
騎士団相手に無双する無敵の魔導士を前に、
心配する事など無いように思われた。
だが、セブンは少し黙ったあと、頷いた。
「お任せ下さい」
そう言って丁寧にお辞儀をするセブン。
俺も釣られてなぜか頭を下げてしまう。
「出航するぞ」
船長が言った。
俺とロロは互いに頷き、船へと乗り込む。
リエルとセブンに見送られ、
船は離岸する。
だんだんと二人と距離が離れて、
ついにはほとんど見えなくなった。
長かった東の大陸の旅は終わったのだ。
不意に隣を見ると、
ロロがなんとも言えないような表情で、
陸地を眺めていた。
「ロロ・・・」
俺は彼女に声を掛ける。
「バロン、アン、ダリル、キリカ、シルバさん・・・。どなたにもお別れの言葉を言えませんでした」
ロロは呟くように言った。
たしかに俺も、
シルバ以外のメンバーとは話せていなかった。
「いつか、いつかもしも・・・」
ロロは何かを言おうとして言葉を止める。
そこで止めた理由は何となく理解できた。
言葉にすれば、期待が生まれてしまう。
それに裏切られる事をロロは恐れているのだ。
俺はそっとロロの手を握り、彼女の瞳を見た。
突然握られた手にロロは戸惑っている様子だった。
「いつかロロの代償の調査が終わったら、また東の大陸に帰ってこよう。その時はみんなを呼んで、灰色のゴブリン亭で大宴会だ」
俺は言った。
ロロは俺の言葉に驚き目を見開いた。
そして、すぐに満面の笑顔に変わる。
「はい!」
ロロは笑顔絵で答えた。
それはとても可憐で美しい、
見るものを魅了するような笑顔だった。
こうして俺たちを乗せた船は、
大海を進んでいく。
はるか後方に小さく見える東の大陸は、
西陽に照らされ美しく輝いて見えた。
第七章、完!
ここまで読んでいただき、
本当にありがとうございます。




