第138話 代償
それから二日、
俺はギルドの図書館で調べものをして過ごした。
僅かに見えたはずの、
光明を決定づける様な情報は無く、
ただいたずらに時間だけが過ぎていった。
明日には聖女の教皇就任の式典が開かれる。
街は戸惑いながらも式典の準備が進められており、
近隣の街からは多くの観覧客が押し寄せている様子だった。
俺はその光景を見て、焦燥感に駆られることになる。
リエルが帰ってきたのは、
ちょうどそんなタイミングだった。
戻って早々に表情の険しいリエルに、
俺とセブンは思わず緊張する。
「・・・何か、分かったのか?」
俺は尋ねた。
「・・・ああ。だが確信は得られなんだ」
リエルは大きくため息を吐く。
「・・・それでも良い。教えてくれるか?」
俺がそう言うと、
リエルは俺をじっと見た。
「・・・その前に質問じゃ。以前にも聞いたが、お主、身体や精神に違和感は出ていないか?」
「どういうことだ?」
「大事な質問じゃ、答えよ。どんな小さな変化でも構わん」
リエルの真剣な表情に、
俺は胸の鼓動が早まるのを感じた。
「・・・特に、そう言ったことを感じたことはない。どういうことなんだ?」
俺が正直にそう言うと、
リエルは先ほどよりもさらに深いため息をついた。
その顔に安堵のような感情が含まれている様に見えるのは俺の気のせいだろうか。
「リエル様?」
やはり様子のおかしいリエルに、
思わずセブンが声を掛けた。
「・・・大丈夫じゃ。気にするな」
そう言ってリエルは外套を脱ぎ、
椅子に腰かける。
「・・・リエル、もったいぶらずに教えてくれ。リエルの中ではどんな仮説が浮かび上がってるんだ?」
俺は尋ねた。
リエルは俺の顔をじっと見つめ、
ゆっくりとした口調で語り出した。
「・・・以前、図書館迷宮で話したな。強大な魔法には代償が付きものじゃと」
「ああ」
「実はこの二日。その代償に関する書物を漁っておった。時間も無く十分な調査とはいかなかったがな」
「代償・・・?」
俺は呟いた。
隣でセブンの表情が険しくなる。
「・・・代償とは高度な魔法に特有なものじゃ。もともと事例は少ない。軽いものだと眩暈、頭痛。私のように人体の一部に影響が出るもの・・・その内容も様々じゃが、ある魔導士の記録に、興味深い事例が載っておったわ」
そう言って、リエルは一冊の本を取り出した。
古い本の様で表紙が破けている。
「・・・読むか?」
リエルの言葉に俺は頷き、
差し出されたその本のページを開いた。
恐らくリエルの言う興味深い事例であろうページに、
折り目がついていた。
著者は文字が擦れ読むことが出来ない:『生きた人形』
―――――<人形遣い>は「三原色」と同じ時代を生きた魔導士である。
実力もさることながら、その狂人ぶりが逸話として残る事も多く、
生涯で千体を越える人形を生み出し、人形と生活を共にしていたと言う。
<人形遣い>が生み出す人形は、高度な契約魔法を駆使して作られており、
人間と変わらぬ意志と思考を持つ存在として恐れられた。
半ば新たな命を生み出すにも等しいその魔法は、
長い魔導士の歴史上において、禁忌の魔法に最も近い魔法を使用した魔導士とされている。
<人形遣い>自身はその契約魔法を行使する代償に、自身の感情を失ったと言う。
「<人形遣い>・・・」
俺は本を閉じ、呟いた。
ゼメウスやリエルほどではないが過去の有名な魔導士だ。
「そうじゃ」
リエルが頷く。
「どういうことだ?これが一体・・・」
本を読んだことにより、
リエルの言おうとしていることは、
頭のどこかで想像する事が出来た。
だがそれを口に出して確かめずには居られなかった。
なぜならば、それは――――
「・・・読んで分からんか?魔法により生きた人形を生み出し続けた<人形遣い>は代償に感情を失ったと言われておる。それ自体は割と有名な話じゃ。・・・となれば、命そのものを甦らせる魔法はどうじゃ。似たような代償があってもおかしくはない、そうは思わんか?」
リエルは険しい顔で俺に尋ねた。
「そんな・・・だが・・・」
俺の脳裏に、リエルの言った「感情」というキーワードがよぎる。
キリカ、カリュアド、そして侍女。
彼女らの狂気とも言える感情に憑りつかれた表情が思い出された。
「・・・前にも言ったじゃろ?強大な魔法に代償は付き物じゃ。そしてそれが、神の領域を侵すような大魔法であるならなおさらじゃ」
俺は息を飲む。
リエルは俺の顔を見て言った。
ここで話しているのは仮説に過ぎないが、
リエルは確信を得ている様な表情だった。
沈黙する俺に、
リエルが言葉を続ける。
「・・・此度の件、事の発端は間違いなく聖女じゃ。そしてその中心にいるのもな。聖女が原因だとして、思い当たるような原因は一つしかない。それが何かは、お主が一番よく分かっておるじゃろ?」
俺は背中に冷たい何かが走るのを感じた。
「・・・生命魔法の代償・・・」
俺は呟くように言った。
リエルは何かを言おうとして、
それを止め、
代わりにゆっくりと頷いた。
「その通りじゃ。恐らくこの街は、聖女の生命魔法の代償に侵されておる」
・・・
・・
・
聖女ロロは生命魔法の代償により、
他者に対し、
なんらかの悪影響を及ぼしている可能性がある。
リエルが立てた仮説を端的に説明すると、
そんな内容だった。
俺は衝撃からその話を受け入れることが出来ず、
しばらくその場で茫然としていた。
ゼメウスの生み出した魔法に、
そんな欠陥ともいえる様な代償があるとは思いたくもなかった。
俺の胸中を推し量るように、
リエルもまた沈黙を貫く。
重苦しい部屋の雰囲気の中、
言葉を発したのは、セブンであった。
「リエル様、その話が真実だとするのであれば・・・」
「ん」
リエルが反応する。
「・・・そもそも聖女の側に最も長い時間居たと思われるグレイさんが影響を受けていないのは何故でしょうか」
俺はその言葉に顔を上げた。
たしかにその通りだ。
キリカ達のように激情に支配されてはいない。
「ふむ」
リエルは顎に手をやり、
考える様に唸った。
「・・・想像で良いのであれば、いくつか理由は考えられる。既に見えぬところに影響が出ているか、お主が特別に代償の影響を受けぬのか。はたまた―――」
「?」
「すでに別の代償を払っておるから、聖女の代償には影響されないか、じゃ。」
リエルは鋭い視線で俺を見つめた。
「・・・別の代償・・・」
俺は呟く。
たしかに生命魔法の代償の話を聞いて、
そこに思い至らぬ道理はない。
俺もまた、生命魔法に匹敵するような大魔法を使っている。
それこそ、ロロの生命魔法よりも頻繁に。
「・・・時間魔法の代償、ってことか?」
俺は尋ねる。
リエルはゆっくりと頷いた。
「代償は自然の摂理。逃れる事は出来ん。じゃがさすがの借金取りも取るものが無ければ、何も取れんじゃろ」
ようやくリエルが帰還し、早々に俺に質問した意図が掴めた。
あれは俺を心配してくれていたのだ。
「・・・まぁ想像に過ぎん。お主も何も変化を感じておらんようじゃしな。とにかく本件の原因は特定できた。だがその解決策までは・・・」
リエルが言う。
俺はセブンと視線を合わせ、頷いた。
「・・・実はリエルを待つ間、侍女に会って来たんだ。ロロを襲った侍女に」
その言葉にリエルが頷く。
「・・・侍女に?ふむ、してどのような状態じゃった?気が触れてまともに話も出来ん状態じゃったか、あるいは・・・」
「・・・彼女は疲弊はしていたが、まともだった。ただひどく後悔していたよ。未だにロロへの執着はあるものの、自分のやったことを客観視しているような様子はあった」
俺は答える。
「・・・となると、聖女の影響を受けようと、まともに戻る可能性は十二分にあると言う事か」
リエルは答える。
「俺はそう思っている」
「・・・どちらにせよ聖女を確保せんことには話は始まらないと言うことじゃな」
リエルが言う。
「確保、か」
「・・・分かっておるな?教皇でもなんでもいいが、要職に就けばそんなことは到底不可能になるぞ」
俺はリエルの言葉を考える。
「・・・分かっている。少し時間をくれるか?」
「どうするつもりじゃ?」
リエルが尋ねる。
「・・・ロロを救う方法はある。だがこれは俺たちだけ不可能だ。協力者が必要だ」
・・・
・・
・
その夜、『灰色のゴブリン亭』は臨時休業として貰った。
店長曰く常連客からひどく不満が出たらしいが、
そこはオーナー特権だ。
店にはすでに俺、シルバ、アンが待機している。
アンはすっかり回復した様子で、
顔には力が戻っていた。
すると店の扉をカラリと開き、
フード姿の二人組が入ってくる。
「・・・やぁ、お待たせ」
そう言ってフードを脱いだのは、
騎士団長のツクヨミ。
今日は鎧姿では無く、ローブを着ている。
こうして見ると、本当にエルフだな。
ツクヨミの指示通り、
シルバ経由で連絡を取って貰ったのだ。
「・・・お久しぶりです。ツクヨミ」
そう言ってシルバが声を掛ける。
懐かしむように目を細め笑った。
「・・・ああ。久しいねシルバ。君もすっかり老いたようだ」
「エルフである貴方とは違いますよ。相変わらず、口が悪いようで」
そう言ってシルバが笑った。
「・・・二人はどういった関係なんですか?」
俺は気になっている事を尋ねた。
「・・・昔、少しね」
ツクヨミがそう答える。
シルバも表情に薄く笑みを浮かべた。
今回も詳しい事は分からなさそうだ。
「・・・ん?」
俺はツクヨミが連れてきた、
もう一人のフードの男を見た。
ツクヨミよりも大柄な身体。
見るとフードの男は俺の方を見て、
フルフルと震えている様子だった。
彼は唐突にこちらに近付いてきたかと思うと、
俺に抱き着いてくる。
俺はその行動に思わず、面食らう。
「おおおおん、グレイ隊長!生きてたんですね!!」
被っていたフードがはらりと落ちる。
俺にすがりつき涙を流していたのはダリルであった。
「ダリル!」
アンがその姿を見て叫び、駆け寄る。
ダリルもアンに反応し、声を上げる。
「アン!お前も無事だったか!!」
そう言って二人はきつく抱擁を交わした。
「・・・約束を守ってくれたんですね?」
二人を見ながら、
俺はツクヨミに尋ねた。
「ああ。まぁ彼は比較的監視が甘い方だったから」
「監視が?」
そう言ってツクヨミはダリルを見た。
ダリルはアンを抱きしめ、おいおいと声を上げて泣いていた。
あまりの勢いに、抱きしめられているアン自身も次第に呆れ顔になっていく。
「・・・見る限り、あまり監視の必要なタイプではないだろう?」
ツクヨミの言葉に俺は思わず苦笑いした。




