第六話
同日、1月26日 午後17時30分過ぎ――――。
俺はその時間帯、ICU……つまり、集中治療室の待合室に居た。
医師たちの懸命な処置のおかげでなんとか母の命は繋がったのだ。
担当の医師の話によれば髄膜にウィルスが入ったとかで……「今日が峠になるでしょう」と伝えられたそうだ。
もちろん、その話は父からの又聞きでしかないから分からない。
医師が言うからには多分、間違いは無いのだろう。
母は、きっと助かる――――。
依然として俺は、そう祈るしかなかった。
しばらくすると、待合室には俺を含め父方の祖父と母方の祖父母、それから父の弟、俺から言えばおじさんが集まった。夜も徐々に更け始め、今後の方針を大人たちが話し合い、夜の間は父とおじ、母方の祖父、祖母が残ることとなった。
その時ばかりは「俺も残る!」勇気を出して言ったが、「いいからじいちゃん家に行ってなさい。ここは父さんが見てるから」と強く言われ、その場を離れた。
そして、俺と祖父は、祖母が待つ自宅へとコンビニ経由で戻った。
なぜ、コンビニ経由かと言うと昼食も夕食も摂っていなかったからだった。
父方の祖父母宅に着いたのは18時20分頃だったと思う。
車の外に出たときは肌を劈くような冷たい風が吹いていた。
あの日の夜は零度以下まで冷え込んだと思う。
俺は祖父母宅に着いて急にお腹が空いた気がしたのを今でも覚えている。
だが、そう思えたのも束の間だった……。
俺が弁当をレンジで温めようとしていたときだ。不意に祖父の携帯が鳴り響いた。
「はい」と祖父が電話に出ると何を言っているのか分からないが、父の涙声が聞こえた。
その瞬間、祖父は携帯を持った手をガクンと落とした。
「恵美子……ダメだった……って……」
俺はその言葉を聞いてガクッとその場に崩れ落ちた。
それは俺が病院を去ってから三十分後のことだった。
その時間差は、まるで母が「大……ダッチ……。ごめんね……。死に逝くお母さんを見せたくないの……」と言っているかのように……。
それが愛するわが子のために母が最後にした事だったのかもしれない――――。
でも、俺は正直、その言葉を聞いても母が死んだとは信じられなかったのだった。