第三話
門前払いを食らった翌日。1月25日が明けた。
この日はよく晴れた一日だったと思う。
この日の俺はいつに増して、母のことが気になって仕方が無かった。
あの日は、平日で学校が終わってから急いで自転車を飛ばして帰宅したことを覚えている。昨日の事もあって家で一人倒れていないか、不安でしょうがなかったのだ。
確か、あの日は終始、学校で落ち着かなくて担任の教師に怒られた記憶が未だにある。
なんで落ち着きが無かったかって?
そりゃあ……この世界の中で唯一、母が俺の味方で心の支えだったからだ。
まぁ……イマドキ風に言えばあの当時、俺はマザーコンプレックスだったとも言えるだろう。
先に話したとおり父は営業マンで家に居ない事が多くて俺は母と行動する事が多かった。
買い物にもいつも一緒に行ったし、たまには父に内緒で外食もした。
多分、俺との関わり具合を対比で表せば母が8で父が2と言ったところだろうか?
それだけに母が心配でならなかった。
医者に掛かっても放置されて今は、家に一人なのだから……。
家に到着してから急いで母の元に行くと母は起きていたのだが、すぐに異変に気付いた。
「ぉかぇりぃ……」
声がもの凄くガサついていたのだ。
「どうしたの?」と俺が聞けば、「食べ物を食べても吐いちゃうし、喉が痛くてうがい薬を使ったら喉がこうなるし……頭はガンガン痛いし……もう最悪」ということを話してくれた。
俺はこの状況を見てさすがにヤバいと考えて父に連絡を入れようとしたが、母はそれを止めた。
「あと数時間もすれば帰ってくるから……余計な事はしないで」と……。
今、思えばこれが俺の第一のミスだ。
皮肉にも従順だった俺はそれを鵜呑みにしてしまった。
今思えば、本当にバカな奴だ。本当に……。
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そして数時間後、父が帰宅して今の母の状況を伝えると慌てて父は母の居る部屋に入った。
母はそこで「病院に連れて行ってほしい」と言ったが、父は医者の話を鵜呑みにした形で話をしたようで部屋から出てきた父が言うには……。
「医者に言われた以上、薬の効果を待つしかないだろう……。お母さんには酷かったら明日、受診するようにって言っておいた。もし、受診するって事になったら明日、病院にお母さんを大輔が連れて行ってくれ」ということだった。
俺はそれに対して「そ……そうだよね。わかった」としか言う事が出来なかった。
これが俺の第二のミスだ。母の痛みを理解していた俺なら、何とかできたはずだ。
だけど、父に対する恐怖心から体が動かなかった。何かを言えば、とばっちりを食らうかもしれない。
そんな思いが先に経ってしまったのだ。
それに俺の頭の辞書ではインフルエンザはそんなに”怖い病気”というイメージは無かった。
むしろ、風邪が一段グレードアップしたものとしてしか捉えていなかったのだ。
この迂闊で浅はかで無知すぎる知識こそがすべての歯車を狂わせるとは、俺も父もこの時は予期していなかったのだった。
すべて、医者が正しいのだと思っていたのだ。