生きるとは?
生きるとは何か?
洟を垂らしながら増殖する体脂肪率を測っている時に考えた。
海栗が泳いでいる海の底に沈みながら。
そうしたらば出て来た答えは生きるとは喰う事だった。喰う事、寝る事、放屁をする事。喰う行為、それは海栗と戯れる。烏賊と戯れる。ソープランドで。若しくはファッションヘルスで。これから行う事は多分、誰でもやっているさ、そうなのだ、誰でもやっているさ。シャワーの音を聴きながら僕はタオルを腰に巻いたままの姿で煙草を吹かして考えた。ラッキーストライク。昔の女の残した煙草、10カートンも残していきやがった。シャワー室には誰も居ない。もう誰も居ないのに音だけが響き渡る、不思議な環境と不思議な空間。雑然と並べられた、女が勝手に用意した釜だのアロマだの香水だのピアスだの汗脇パットだの。それは多分生きた証なのかもしれない。
明日僕はネクタイを締めて、革靴を履いて、あーどもども、とあーどもども踊りを繰り返す。そして僕は収入を得る。そうしないと僕は生きていけない。何故なら喰えないのだから。喰う事それは生きる事。喰う事それは他の命を殺す事。自らが生きる為に他の命を殺す事。例えそれが植物であろうとも命は命。けれども僕は何かを喰わないと生きていけない。だから仕方が無い。それは誰もがしている事。虫一匹殺さないような顔をして、だなんてそんな事は嘘だ。誰でも目の前に蝿が飛んできたら叩きたくなるに決まっている。蝿の群集は僕に向かって飛んでくる、くるな馬鹿野郎。鳴り響く電話、ポストには赤い封筒に入ったお手紙。意味が判らない。主は光を我々に降り注ぐでしょう、と福音の書。神がもしこの世に居るのなら、という言葉、この世に居ないから神になったんだろう、と僕は思うけど。
そして拳銃を口に咥えて今日これから………