友との再会
カナラスから本部に戻ったジェイスとリドルは未だにあんな化け物と対峙したのがまるで夢のようで実感がないままだった。これまで関わってきた事件の犯人は自分達と同じ人間であるのに対し、今回の事件の犯人であったそれは空想の本の中でしか見た事がなかった、まるで本の中から飛び出してきたと言っても過言ではなかったのである。
「これからもあんなのと戦う事になるのか、今回だけなのかどうなのか…」
「そうだね、こればかりは何とも言えない。今回だけだと願いたいよ」
本部に戻ったのが夕方を過ぎるか過ぎないかという時刻。途中経由する小さな村で小休止を挟んでラディエン城下町に着いた足でそのまま本部に向かい、隊長に起こった事全ての報告を終えてそれぞれの家へ向かう帰路の2人の会話がこれだった。
カナラスに出現した化け物の調査をしなくてもいいのか質問したところ、カナラス以外の町付近にも同じような事象があるようであれば調査に向かってもらうとの事だった。
隊長曰く“一つの事件に集中して割く時間も人員もない”らしい。
2日後には次の依頼場所へ行くように帰る前に言われた事をジェイスはふと思い出してしまい、つい口に出してしまう。
重い気持ちを切り替えようとリドルは次の依頼の話をジェイスに振ってみた。
「あ、そうだ。次の依頼先のフレアバレーにいるこの国には珍しいドラゴンライダーから依頼を受けたなんて何があったんだろ?」
「どこかの洞窟に住みついた、バカでかいドラゴンを倒してくれっていう依頼か何かだったりしてな」
と、ジェイスの皮肉に苦笑いするしかないリドルは依頼をしてきたドラゴンライダーに少し興味を持ち始めていた。
徐々に人で賑わいを見せる大通りの道を歩き続け左右前後に広がる大きな道があり、交差点ともいえる地点に差し掛かる。王国の住人ははこの通りを目印に旅行や行商等に向かうようにしている。
「それじゃ、また明後日本部で」
「ああ、お前もゆっくり休めよ」
リドルは右、ジェイスは左の道へ分かれて帰る家へと歩き出した。
(あいつがいてくれればいいんだが)
ジェイスは家に戻る前に行きつけの酒場へと足を向ける。所属していた王国直属の騎士団の同期でもあり、酒場に時々出向いては情報屋から様々な情報を入手しているレヴィンから何か聞き出せないか少し期待を持っていた。
リドルと別れて5,6分程歩いた先にある酒場に着いて少し混みあった広い店内を見渡した。
「ジェイスさん、レヴィンさんが奥の席でお待ちですよ。それといつものエールでいいですか?」
見知った顔の若い男性店員がジェイスの姿を見るや否や声をかけた。
「ああ、すまないな」
一言言うとかなり奥まった4人掛けの席に金髪碧眼、中肉中背の端正な顔立ちでありながらも嫌味のない爽やかな雰囲気を醸しだしている青年レヴィンは公務を終えた直後か公休だったのか普段着で既に一杯呑んでいた。
「俺が今日ここに来るの、分かってたのか?」
椅子に腰を下ろしながらジェイスはレヴィンに訊ねる。
「以心伝心かなぁ」
「からかうなよ」
「調査隊にいる美人さんとこの間一緒に呑んで楽しかったから、色々話を聞いたんだ。酒好きのお前の事だし仕事が終わったらここに来るんじゃないかな~と思ってさ」
「ヴェ、ヴェンツェルさんと呑んだのか、お前…!?」
「ヴェンツェルさんっていうのか~」
「変な気を起こすなよ、悪い事は言わん。あの人は…やめとけ」
「何言ってるんだ?恋する乙女の相談役だぞ?俺は」
その言葉にジェイスは意外な人の意外な状況になっている事に声すら発する事ができなかった。
「おっと、その相手は俺とヴェンツェルさんの二人だけのひ・み・つだからな」
「俺は知らない方が身のためだな」
「なら安心しろ。その相手はお前じゃない」
さっきまでのノリから一変、しれっと一言レヴィンはジェイスに返した。
「何かその言い方トゲがあるのは気のせいか?」
「気のせい、気のせい。それより俺に訊きたい事があるからここに来たんだろ?」
と、笑みを浮かべて手元の銅製のカップに入った果実酒を一口喉に流し込む。
「また違う酒が飲みたい時は呼ぶから。それと腸詰めの盛合せと今日仕入れた魚の酒蒸しを頼む」
「はい、腸詰めの盛合せと魚の酒蒸し追加ですね」
店員がオーダーを繰り返して厨房へ踵を返してオーダーを伝える声が耳に入ったのをよそにジェイスはレヴィンに訊ねた。
「俺が調査隊に行ってから人以外のものと戦う事があったか?」
「人以外?ないな。」
「そうか…カナラスの事件の犯人は化け物だった」
「化け物?どんな?」
「頚までが髪の長い女で体が野生の肉食動物っていう不気味な化け物だ」
「人と動物か…うん、以前に聞いた事あるな。確か合成獣とか何とかだった気がする」
「それ、どこで聞いた?」
「どこで聞いたかは記憶にないが、人と動物の合成なんて恐ろしいもんだって強烈過ぎて覚えてたんだ。そんな事誰が何の為にやったんだろうな。どこかの国の宣戦布告ともとれるが一概にそうとも言えないし、今のところは様子見するしかないだろ」
「だよな…隊長にも一箇所にその化け物が出たくらいじゃ本格的な調査はできないって言われたところだ」
気持ちを落ち着かせようとエールを喉に流し込むジェイスはそれでも気持ちがスッキリしない。誰が何の為の目的でそんな化け物じみたものを創り出すのか到底理解にできない。むしろそんなものを創り出すなんて狂気の沙汰だと思わずにいられなかった。
「ヴェンツェルさん情報から知ったんだが、明日は丸一日休みなんだろ?そんな事忘れてゆっくり休め。肉体疲労と精神疲労をとってこそ、次の仕事でのいいパフォーマンスにつながるんだからな」
「ヴェンツェルさん情報って…ああ。お前の言うとおり、そうする。今はこうしてお前と酒を酌み交わしている時が一番落ち着く」
「嬉しい事言ってくれるねぇ!今日は俺の驕りだ、どんどん呑んでくれよ!」
と、レヴィンは真面目に話を聞いていた態度とは一変して機嫌がよくなったせいもあってか、そんな事を口にした。ジェイスが調査隊に引き抜かれてからは殆ど逢う事がなくなってこうして呑んで語り合う機会を失った事もあり、偶然にしろこの時がレヴィンにとって親友とも言えるジェイスといる時が安心できる時間だった。
2人は店の閉店間際まで呑んで店を出ると、人影の殆ど見当たらない大通りのひんやりとした空気に頬を撫でられて少し酔いが醒めたような気分になった。
「明日一日休みとはいえ、少し呑みすぎたような気がする」
「酒豪のお前がそんな事気にするなんて珍しいな。天変地異でも起こる前触れか?」
「茶化すなよ。それよりお前の方こそ大丈夫か?城まで送るぞ」
「そうだなぁ…よろしく頼もうかなぁ。ほんと、お前と呑んでると時間を忘れるし、ずっと一緒に呑んでたいくらいだ」
「それは現役引退後の楽しみとしてとっておいてくれ。さ、行くぞ」
少々呆れつつレヴィンに肩を貸して城へと向かって歩きだした。城に着くまでもレヴィンはジェイスに騎士団にはいつ戻ってくるのか、まだ呑み足りないなどと、まさに酔っ払いの発言をするがジェイスはそれをあしらいながら城まで送り届けると門番の兵士に後を任せた。
(合成獣…か。そんな技術があるなんてかなり厄介な事になってるな)
そんな事を考えながらカナラスを発ってからまともに休んでいないジェイスは家に着くなり鎧を外してベッドへなだれ込むように横になるとそのまま深い眠りへと入っていった。
一夜明けて窓の外から入り込む陽射しの明るさで目を覚ましたジェイスは軽く頭痛を感じながら体を起こした。昨日はまともに休憩を取らずそのまま酒場に行って呑み過ぎた事を自覚する。
(やっぱ、二日酔いになったな…後で湯浴みに行くか)
いつもならばリドルと別れた後に城下町にしかない湯浴み場で疲れをとってからその帰りに軽く呑んで家に帰るのだが、意外な情報を入手している事があるレヴィンが昨日は何故か酒場にいるような気がしてならなかった気持ちが強くいつもとは違う行動をとったために二日酔いになるのは自業自得だと思わざるをえなかった。
湯浴み場へ赴いて湯船に浸かってほんの少しの心地良さに意識を委ねるとカナラスでの出来事がまるで夢の中で見たもののような気にさえなってくる。湯船に浸かったまま意識が遠のく前にあがって次の目的の場所へと向かう事にした。
ジェイスが次に向かった場所、ラディエン王国が誇る大規模な王立図書館にはラディエン王国の歴史や管理下にある町の出来事や成り立ち等の莫大な資料が保管されており、誰でも閲覧できるように出入りは自由になっている。
図書館に着いたジェイスは翌日向かう未踏の町に関する資料を読んでどんな町なのか知っておく必要があると常に思っている故に依頼先へ行く前の下調べはいつものルーティンとしていた。
2階建ての外観はちょっとした舞踏会が行われるような貴族の屋敷風でもあるが、その建物自体も年代物で入口と1、2階の閲覧室の出入口の扉は少し重く、重厚である。
フレアバレーの資料がある箇所を案内所で訊いてその資料がある本棚の番号をメモ書きしてもらった紙を手に2階へと続く階段を上って閲覧室の扉を開けて入った。目の前には数多の本棚が閲覧する長テーブルの奥にズラッと並び、窓からの陽射しが入り込み、古い書籍の独特の匂いが立ち込めていた。
メモ書きに棚番号20と書かれているのを確認してそこに向かう。棚と棚の間に入ると窓からの春の陽射しのせいか、独特の匂いは閲覧室に入った時より強く感じた。
目的の本棚にはフレアバレーに関する記述を記した資料書籍が五段の本棚の最上段から下段まで埋められていた。
「一つの町だけの事でもこんなに資料があるのは凄いな…」
上段から目を通していると、ふと目にとまるタイトルの資料を見つけて手にとってみる。
‹フレアバレーとドラゴンのその歴史›
それを持って空いている席について表紙を捲り、読み始めた。読み進めていくうちにフレアバレーにはもともとかつてはドラゴンが生息していた土地であり、人間がフレアバレーを生活の拠点と定めてからはドラゴンをそこから追い出す形になったとの記述があった。
(人間の勝手で元いた土地から追い出されるなんてドラゴンも不憫な存在って事か)
資料を続けて読み進めていると、左肩をポンポンと軽く叩かれて振り返ると昨日と変わらず鎧を着けていないレヴィンが立っていた。
「レヴィン、どうしてここに?公務はどうしたんだ?」
「今日まで休みだったし、お前の事だから何か調べに来てるんじゃないかなぁって思ってさ。それに…」
「それに?」
勿体ぶった様子を見せるレヴィンにもどかしさを感じて、
「何だよ、言いたい事があるなら言ってくれ」
「まあ、落ち着け。さっき調査隊の本部に顔を出してヴェンツェルさんからちょっと聞いたんだが、明日フレアバレーに行くんだってな」
「何で調査隊の本部に行ってるんだよ」
「親友の心配して何が悪いんだ?ついでにヴェンツェルさんと呑みに行く約束も兼ねて行っただけだ」
相変わらずの飄々とした態度に呆れて溜息を漏らすジェイスに、表情を変えてレヴィンは言った。
「フレアバレーのドラゴンライダーから依頼を受けてるらしいが、そいつは味方につけておいた方がいい。どうやらラディエン侵攻の計画がどこかの国が企ててるらしいぞ」
「お前、何でそれを!」
思わず大声を上げたジェイスに他の資料の閲覧者が視線を向ける。気まずくなり、声のトーンを落とす。
「何でそれを知ってる?どこからの情報だ?」
「この国も他の国を警戒してない訳がないからな。諜報に長けてる兵士を他の国の兵士として送り込んでる。そこからの情報だ。ただ、その情報も錯綜してて正確なものとは言えないんだ。ドラゴンライダーなら多少なりとも武器は装備してるだろうし、戦力にはなる。いざという時の切り札にもなると思う」
「それを伝えにわざわざ来てくれたのか?」
「それだけお前に対する愛情が深いって事にしておいてくれ」
「これ以上気持ち悪い発言するならオーディンのサビにするぞ」
「怖い、怖い。殺されないうちに俺はさっさと撤退することにするよ」
「その情報、知らせてくれて助かる」
「事が大きくなれば共同戦線を張る事になるとは思うが、その時はよろしく頼むよ。じゃ、俺はこれで戻るから」
と、一言残してレヴィンは閲覧室から出て行った。
(真面目にしてればいい奴なんだがな…ま、あんな面があるからこそ人を惹きつけるんだろうけど)
そんな事を思いつつジェイスはその日一日図書館閉館時間までフレアバレーの資料を貪る様に読み漁って明日以降の備えをして家路に着いた。