決戦前夜2
「アリシアがお出迎えしたはずですが、ジェイスさんお一人?」
右手を向くと町長夫人がジェイスに話しかけた。
「ええ、リドルがアリシアさんに連れて行かれてしまいまして」
「不躾なお出迎えのあなたにご迷惑をかけてしまって本当にごめんなさいね。こちらでお茶でも飲んでお待ちになって」
と、申し訳なさそうに言いながら町長夫人がリビングに誘導する。
「ありがとうございます」
リビングには町長が椅子に座って待っていたが、ジェイス一人だった事に驚いた様子を見せている。
「ご足労おかけします。ところでリドルさんは?」
「アリシアが2階に連れて行ったそうなのよ」
町長夫人がジェイスの代わりに答える。
「そうでしたか。娘達も何故ここに来ないのか気にはなっていましたが、ご迷惑をおかけして申し訳ない」
「いえ、そのうち来ると思いますから」
(一体何やってるんだ?リドルに協力してもらう事って…まさか魔法を教えてるわけないだろうし。見当が全くつかないんだが)
その頃アリシアの部屋では部屋の中心に置かれた椅子に座らされたリドルが3姉妹に取り囲まれてた。
「あの、今から何を…?」
不安げに尋ねるリドルにクレアが笑顔で答えた。
「リドルさんが大変身ですよ」
「大変身って何ですか?僕何も聞いてな…」
「はい!リドルさん、じっとしてて下さいね」
エレナがリドルの顔に化粧水をつけ、うっすらと白粉をはたき、最近行商人から買った城下町で流行っているというアイメイク用品で目元を彩り、唇に薄く紅をさし、ブロンドのロングウィッグを違和感のないように頭に被せてリドルの変身は完成するとアリシアがリドルに手鏡を手渡した。
「リドルさんほんとに大変身です!可愛い!」
目をキラキラと輝かせて言うアリシアの言葉に顔が引きつりそうになった。手鏡を受け取って恐る恐る鏡に自分の顔を映してみると、自分ではない他の誰かの顔が映し出されているのかと思ってみるものの、やはり自分の顔だった。
「これが僕の顔だなんて信じられない」
「リドルさんが少し小柄でよかったわ。私の服、合わせてみます?」
クレアがさくら色のワンピースをリドルに差し出し、受け取る。
「着られるかなぁ…って!何で僕が女装しなくちゃならないんですか!!」
「協力して下さいって言いましたよね?」
アリシアの言葉に思い返すリドル。協力とはこの事らしいのだが、その理由が未だピンとこない。
「あの森では男女のカップルだけが被害に遭っています。アルシェ達が森へ行った後、男性同士や女性同士でも森へ行って襲われるか試してみましたが何もなかったので対抗できるのは森へ行った男女2人共が戦う力を持っている方でないと無理だと私達は確信しました。調査隊の方だとそれが可能なのではと。あなた達が最後の希望なんです!」
エレナが今現在の町の状況を説明した事でその理由に合点がいった。この作戦なら解決できるかもしれない。だがジェイスが何と言うのかリドルは気になって仕方ない。
かといって他の手段があるのかといえば、これといってないのが現状である。
「とりあえずこの作戦でいくかどうかは町長とジェイスにも了承してもらわないと」
「父さんはともかくジェイスさんがリドルさんの姿を見てどう思うかですけど、可愛いからきっと大丈夫です!」
アリシアが可愛いというものの、黙っていれば分からないが口を開ければ男性の声の可愛い女性なのである。
(そんなに単純なものかなぁ…気が乗らないけど任務遂行の為にはこれも仕方ないか)
リドルはそう思いながらクレアから手渡された服の背後に施されたボタンを外しながら、
「あ、あの後ろ向いててもらえますか?」
リドルの着替えを今か、今かと凝視していた3人は慌てて後ろを向く。
「着替え終えたら言って下さいね」
クレアもリドルの姿を見るのが楽しみで仕方ないのは声のトーンで分かる。
(もう、ほんとに恥ずかしいーっ!)
そう思いつつクレアの服に袖を通す。意外にもきつくもなく、大きくもないサイズに内心驚いたリドルはクレアの服が着られた事に複雑な心境になった。背中のボタンを留めていくものの、中心のボタンに手が届かず手こずっていた時、
「リドルさん、背中のボタン留めましょうか?」
不意にクレアがリドルに声をかける。
「お願いします。真ん中のボタンがどうしても留められなくて」
クレアが振り返ると背中を向けて立っているリドルの姿は女装をしているせいもあって、とても20歳前後の青年の姿には見えず愛らしさを感じて仕方なかった。リドルの背中のボタンを留めたクレアは
「ボタンを留めましたよ」
「ありがとうございます」
リドルはクレアに礼を言うと振り返った。
「リドルさん」
「はい」
「可愛いですよ」
笑顔のクレアに言われてみるみる顔が赤くなり、リドルはその場に穴を掘れるなら地中深く掘ってその中に入りたい気分になり、エレナとアリシアも振り返ってリドルを見ると、可愛いと囃したてた。
「早く下に行きましょう!ジェイスさんがどんな顔するか楽しみ~!」
アリシアは完全に楽しんでいるようで、リドルはそれとは逆で憂鬱でしかなかった。
(階段下りたらダッシュで家の外に出て逃げるって手もあるんだけど、それをやったら調査隊の仕事減るよね…ほんとにいっその事、誰か代わりにやってくれないかなぁ)
調査隊に所属する身代わりに適しそうな他の隊員の顔が脳裏に浮かんで本気で連絡を取りたい気分にかられつつ3姉妹と共に階段を下りてリビングの前に着くと待機させられ、先にアリシアがリビングに入って両親とジェイスに何やら説明しているのか話し声が聞こえた後に待っているリドルに手招きした。
両肩にクレアが手を置いて進行方向へ押しているので逃げる事はもはや不可能だった。
覚悟を決めてリビングの中に入ると、町長夫妻とジェイスは誰が入ってきたんだという顔をしている。
「この人、誰だか分かる?みんな知ってる人だから」
女装したリドルをじっと凝視して観察しているジェイスはどこかで会ったような記憶があるものの、それがどこで会ったのか思い出せないでいた。
(リドルに似ているような、いないような…姉妹がいるとも聞いてないし、まさかリドル自身が女装してたとしてここまで可愛くなるなんてあり得ないしな…いや、上に連れて行かれたままでリドルがこの場にいないのもおかしいし、やっぱりそうなのか!?)
と、ポーカーフェイスで内心葛藤するジェイスはざわつく気持ちを落ち着かせようとハーブティーを口にした瞬間̕、
「分からない?リドルさんだよ」
それを聞いて勢いよくハーブティーを口から吹き出すジェイスに、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした町長夫妻を前にリドルは恥ずかしくてたまらなくなった。
「あのっ、これはあくまでも事件を解決するためにやる事になっただけで僕は至ってノーマルですからっ!」
訳が分からなくなったリドルが思わず口を開いたが、自分はそんな趣味はないというただの発言に終わってしまっただけだった。
「リドルさんにこの格好をしてもらうようにお願いしたのは私達だし、父さん達も知っての通り男女のカップルしか襲われないから調査員のどちらかに女性役をしてもらってアルシェの婚約者の仇を私達の代わりにとってもらわなきゃって…」
最終決断を下す権利がある父であり、町長は暫く考えた後、
「娘達の考えはよく分かります。立場が逆でも同じ事を思いついたかもしれません。この作戦を実行して駄目ならば諦めもつきますが、行動に移さなかった後悔は後々ついて回ります。後悔しないためにも、この町の為にもやってはいただけませんか?」
依頼者からそう言われては断る理由もなく、作戦内容に納得がいかないものの2人は引き受けるつもりでいた。
「作戦を実行するからには僕達も全力を尽くします」
「ありがとうございます。本当にあなた達に来てもらえて良かった。娘達もそれなりの実行計画をしているとは思いますので、リビングをそのまま打ち合わせに使って下さい。何か分からない事があれば私どもの部屋に来ていただいて構いませんので、先に私達は失礼します」
「こちらこそありがとうございます」
ジェイスは立ち上がって町長に礼を言って、町長夫妻がリビングを出て行くとジェイス、3姉妹、リドルは椅子に腰を掛けた。
「リドルが連れて行かれた時点で何かあるとは思ってましたが、その作戦の為に…」
そう言ったジェイスはリドルを見て吹き出しそうになる。
「いっその事、思い切り笑ってくれた方がまだマシなんだけど」
笑顔で起こっているのは嫌でも分かるリドルのその様子にジェイスは咳払いを一つした。
「森の入口はこの家の先、町の出口から少し歩いたところにあります。町の住人にこの事はあまり知られたくないので早朝に決行してもらっても大丈夫ですか?」
「それは構いません。森の通常の歩道を行かず獣道を通って人の目の届かない所へその犯人をおびき寄せて対峙しようと思っています。派手に戦う事になれば町の人達も気付いて何が起こったのか様子を見に来る事のないようにその方がいいと思います」
エレナの申し出にジェイスが答えた。依頼者からは、ああするなこうするなと言われて仕事がやりにくい事が多々ある中で今回の依頼はそういった事が少ないのは2人にとって有難い事でもある。
「それでは明日、リドルさんにお化粧をしなければならないので宿屋を出たら来て下さい。その頃には私達も起きて待ってます」
「はい。よろしくお願いします」
ジェイスが立ち上がるとリドルもつられて立ち上がる。
「リドルさんはお化粧を落としてから宿屋に戻って下さいね」
クレアに言われてエレナに連れられてリビングを出て行き、暫くすると化粧を落として着替えを済ませたリドルと共にエレナも戻って合流した後に町長宅を後にした。
「それにしてもリドルがあんなに変わるとは思ってもみなかったぜ?」
女装したリドルの姿を思い出しているのか、ジェイスは吹き出しそうなのを堪えている。
「皆に言ったらダメだからね。もし言ったら…」
「分かった、分かった。魔法で仕返しは勘弁してくれよ」
宿屋に戻る道すがら、広場には酒場で呑んで呑み仲間と別れを惜しんでいるのか立ち話をしている町人で混雑とはならないものの未だ賑っていた。
「明日仕事を終えたら呑んで呑んで呑みまくってやる」
「それはいいけど、酔い潰れるまで呑んで僕が担いで本部まで帰るのはごめんだよ。この間だって大変だったんだから」
「あの失敗を踏まえて更に酒に強くなってるはず…」
「わけないよ。僕の目の黒いうちは酒の量をセーブしてもらうからね」
「まるでどこかの家庭の嫁が口走ってるように聞こえるんだが」
「ジェイスの未来の奥さんもそう言ってくれる人である事を望むよ」
「結婚しても仕事の後の愉しみを制御されてしまうのか、俺は」
「何でも程々がいいって事だよ」
そんな他愛のない話をしているうちに宿屋の部屋に着き、早朝の依頼実行に備えてすぐに就寝する事にした。