第四章『埋葬』
戦いを終えた二人は村人の亡骸を村へと運んだ。アレクサンダーは自ら少女の亡骸を背負った。エゴンは砕かれた亡者達を復活させ、一体につき一人ずつ丁寧に村人達を背負わせた。洞窟の外は小雨が降り、闇は一際深まっていた。二人は先頭を歩かせているスケルトンの持つ松明の明かりを頼りに山を下った。前を行くフードを被ったエゴンは分からないが、騎士はずぶ濡れであった。しかし雨の冷気が容赦無く体温を奪い芯から体を凍えさせても、背負った少女の命無き冷ややかさに比べればまだ熱を持っていた。アレクサンダーの体がどれほど凍えようと、そこには決して越えられない崖のような遥かな隔たりがあった。
二人と死人の一行は何に邪魔されることも無く村へ戻り着いた。
エゴンは村の広場に死者の一団を整列させると、手近な納屋へ入った。そして一本のスコップを手に取り戻ってくる。アレクサンダーが見つめるまま、エゴンは無言で穴を掘り始めた。ローブの裾を捲り上げ、フードを下ろし、雨に塗れて黙々と掘る。驚くほど手際良く、瞬く間に人一人分が楽に横たわれる深さと幅の穴を掘り上げた。
エゴンがその手を休め、騎士の眼を見る。騎士は背負った少女を労わる様に、優しく穴に寝かせた。騎士が少女の手を胸の上で組ませると、エゴンはその上に優しく毛布を掛けるように土を被せる。幾ばくもしない内に、少女の体はすっかり地に埋められた。エゴンは休まず次の穴に取り掛かった。アレクサンダーもまた、目に付いた納屋へ入ってスコップを借り、エゴンの隣で穴を掘り始めた。
掘っては横たえ、また埋める。背負った村人を横たえ、手の空いたスケルトンやゾンビ達もその作業を手伝う。
掘っては横たえ、また埋める。掘っては横たえ、また埋める。降りしきる雨の中、二人は言葉一つ交わさず、無言で埋葬を続けた。
全ての村人を埋葬し終えたとき雨は止み、山の上から朝日が差しこんだ。雨でぬかるんだ地面が朝日を反射し、無数の光の粒のように輝いていた。
エゴンは盛り上がった土の一群に向かって膝を付き、頭を垂れた。泥塗れの両手で黒い杖を握り、一心不乱に何かを呟いている。それは紛れも無く死霊術の呪文ではあったが、死者の肉体と魂を呪うための物ではなく、逆にそこから遠ざけ、絡んだ糸を解く様に瘴気を散らす呪文だった。
アレクサンダーも隣で祈りを捧げたかった。しかし目の前の光景がそれを押し留めた。彼の邪魔をしてしまうような気がした。
エゴンを中心として静謐な気配が広がる。戦いと埋葬を終えた体に鞭を打ち、全身を雨で濡らし泥まみれになって尚、ぬかるんだ地面に跪いて村人の安寧のために呪文を紡ぎ続ける。そしてその姿を雲の切れ間から差し込んだ朝日がスポットライトのように彼を照らした。
こんな、こんな死霊術師がいるのか。その姿はまるで、まるで―――
「アレクサンダー」
彼女が到底死霊術師を表すものではない思いを抱きかけた時、呪文を紡ぎ終えたエゴンが面を上げた。その顔は雨とはねた泥で薄汚れていたが、朝日はそれを強く照らした。
「何故、死霊術は生まれたのだと思う?」
アレクサンダーは答えられなかった。だが、エゴンが答えを求めているわけではないことには気付いていた。
「死者の軍勢を作るため?死霊の王となるため?馬鹿馬鹿しい。そんな仰々しい事の為に生まれたのではない。真実はもっと切実で、惨めだ」
濡れたエゴンの頬に光が反射した。黒髪から雨の雫が滴り、地面と同じように光の粒を弾き出す。
「この愚劣極まる術を世界で一番初めに考え付いた大馬鹿者は、絶対にこう考えたはずだ」
エゴンは重い体を地面から引き剥がすようにゆっくりと立ち上がり、まじまじと泥だらけになった手の平を見つめる。
「君に会いたい。もう一度、君と言葉を交わしたい。そのためには何を差し出したっていい。誰をどれほど犠牲にしようと構わない、と」
アレクサンダーはエゴンが求めていなくとも、彼に向けて何か言葉を掛けてやりたいと思った。だがどんな言葉も形にならないまま喉につまり、発することは出来なかった。
「ただそれだけだ。それだけなんだよ、アレクサンダー」
アレクサンダーは立ち尽くしたまま、朝日に照らされて俯く彼の横顔を見つめていた。
二人はその後で地下墓地に戻り、死霊術師の私室らしき場所を見つけた。そこには日記や研究記録と思しき幾つかの本があった。エゴンは亡者達をそれぞれの棺の中へと戻し、村人達と同様に手を尽くして葬った。エゴンが洞窟最奥の祭壇で全ての墓地に対して呪文を唱え終わると、そこにはかつてのどす黒い粘着くような気配は微塵もなく、ただ聖堂のような静けさがあった。あれほど動く躯がひしめき合った場所だというのに。
「これでいい。もはや如何なる術師にもこの場所を拠点とする利点は無いだろう」
「貴公、もはや神官達のように聖別や祝福を施せたのか?」
「いや、そうではない。しかし瘴気は全て解いて散らした。マナの流れも平衡を保つよう分岐させた。ここを拠点として組み直す膨大な時間と労力を取るくらいなら、他にもっと都合の良い場所を探すだろう。野犬でさえこの場を避ける」
エゴンはチラリと横目を両断された死霊術師の死体へ向けた。
「この男はどうする。」
アレクサンダーは断末魔の表情のまま凍りついた亡骸を見た。彼女はその時初めてそれを見た。不思議とあれほど感じた煮え滾るような怒りは煙のように消え失せ、村人の亡骸を見た時と同じ胸の奥に風が吹く様な乾いた悲しさだけがあった。
「埋葬してやれるか。証拠ならばこの日記一冊で十分だ」
「分かった」
二人は死霊術師の遺体を洞窟の外まで運び出し、そこに亡骸を埋めた。
静かな夜が訪れた。
二人は村の端で焚き火を囲んでいた。一昼夜寝ずに歩き、戦い、埋葬を終えたアレクサンダーに出発する体力は残っていなかった。しかし亡き村人達の家々に上がり込むのも忍びなく、井戸と軒下を拝借するにとどまった。エゴンは追加の報酬として死霊術師の研究資料を騎士に要求した。騎士は躊躇ったがこの一件での己の数々の失態から強く断れず、渋々とそれを渡した。
しかしエゴンは彼女の向かい側でそれらをパラパラと手早く捲りながら、最後まで捲った後は焚き火の中に放り込むということを繰り返している。焚き火の傍に座り込んでから殆ど休むこと無く、折角の追加報酬を次々と灰に変えていった。
「エゴン殿、何か食べないのか?」
アレクサンダーは既にハンカチほどの干し肉三枚と拳大のチーズ塊一個、焼き締めた手の平サイズのビスケットを十数枚と山ほどの干しブドウを大量の湯で沸かした薬草茶で胃に流し込んでいた。だがエゴンは革袋から一口水を飲んだきり、何も口にしていなかった。エゴンはページを手繰る手を休めず、文字列に目を走らせながら答える。
「俺はお前ほどは食わん」
「なっ!」
途端にアレクサンダーの顔が熟れたリンゴのように真っ赤になった。自身の頬に火が付いたような熱に汗が流れる。目は大きく見開かれ、眉は丸く円を描く。しかしすぐにそれはきゅっと逆八の字になった。
「わっ私がまるで大食らいのような言い方は止せ!今日は単に動いた分を補給したに過ぎんぞ!」
「別にそうは言っていない」
「いいや!貴公は言葉にしておらずとも腹の中でそう思っているに違いない!そもそも逆だ。貴公が少食過ぎるのだ!あれほどの労苦の後だと言うのに!」
早口で捲し立てる彼女にエゴンは眩しそうに目を細めた。アレクサンダーは自身の食料袋からビスケットの束を掴み取り、焚き火を回りこんでエゴンの横にノシノシと歩み寄る。
「貴公もきちんと食べろ!粗食では行軍に耐えられんぞ!疲労に倒れて女の私に背負われる恥をかきたくなければ食べろ!」
アレクサンダーはビスケットを押しこむようにエゴンの懐へ突き出す。エゴンは少し困ったように眉を潜ませたが束の中から一枚だけ抜き取った。
「一枚では到底足りん。全部だ。全部食べろ」
エゴンが未だ一枚目を齧り始めない内からアレクサンダーは束を丸ごと押し出す。目が据わっていた。エゴンはますます困ったように顔をしかめたが、彼を押さえつけて口の中にビスケットの塊を押し込み始めかねないアレクサンダーの剣幕に気付き、慌ててもそもそと食べ始めた。結局エゴンが全てを食べ終わるまでアレクサンダーはページを手繰ることを許さず、彼が覚束ない手つきでビスケットを口へ運ぶ様子をじっと見つめていた。食事の一挙一動をつぶさに見つめられるエゴンは酷く居心地悪そうに時折チラチラとアレクサンダーを見たが、彼女は全く意に介さない。そして食べ終えた彼がアレクサンダーが淹れた薬草茶を一杯飲み干すと、彼女は満足気に頬を緩ませて「それで良い」と頷いた。
アレクサンダーはエゴンの横に腰を下ろし、エゴンは読書と焚書を再開した。
焚き木が爆ぜる音の他は何も聞こえない、静かな夜だった。空は雲一つ無く、真円を少し欠いた十六夜月と満天の星々が煌めいていた。風は少し冷たく、焚き火の熱が冷えた体に心地良い。
アレクサンダーはパチパチと音を立てる火の中で溶けて灰になっていく本をぼうっと眺めた。ページが炎の中で波打つように踊り、縮れ行く先から文字の一つ一つが黒い煤になって煙と共に夜空へ登ってゆく。
「私は、貴公に詫びねばならないな」
エゴンは再びページを捲る手を休めて顔を上げ、俯くアレクサンダーの横顔を見た。その彼女の瞳に火の揺らめきが重なって夕日色に輝いていた。
「貴公は決して好き好んで死者を冒涜するような男ではない。日頃鈍感と誹られる私でさえ分かる。だと言うのに私は貴公を邪なる者達と同様だと決めつけて掛かった……」
「詫びる必要は無い。死霊術師は皆冒涜者だ。俺も、あの老人も、皆同じだ」
「違う!」
アレクサンダーは立ち上がり、叫んだ。きつく握られた両の拳は体の脇で小刻みに震え、深緑の瞳は焚き火の熱に潤んでいた。
「貴公は、貴公は断じてあのような者とは違う!貴公、埋葬の時の自身の顔を知るまい!死者を喜んで弄ぶ者があのような顔をするものか!」
エゴンは黙して答えず、アレクサンダーはじっとその目を見つめる。
「何故だ……何故、貴公は死霊術師なのだ?何故、貴公のような者が死霊術などという禁忌の技を……」
エゴンは暫し黙っていたが、逸らされない彼女の瞳に根負けしたように目を伏せ「座れ」と小さく呟いた。
「良くある話だ。町を魔物の群れが襲い、生き残った者が剣を取る。俺の場合はそれが亡者の群れで、取った剣が奴の残した書と杖だった」
アレクサンダーが座るとエゴンは途切れ途切れに言葉を紡ぎだした。
エゴンの住んでいた町は、古い小さな町だった。昔は交易路の交差する場所で宿場町として栄えたそうだが、時勢の移り変わりに従って交易路も使われなくなり、砂の城が波にさらわれるようにゆっくりと寂れていく、そんな町だった。
「俺の父は墓守だった。俺もいずれ墓の番をするんだろうと思っていたよ」
エゴンはその日、父の言いつけで朝から薬草を取りに山へ入っていた。エゴンは深い山奥で一心に薬草を集め、かごの縁まで一杯になった夕方頃、山を下り始めた。
そこでエゴンは奇妙なものを見つけた。崖下に開いた鍾乳洞だ。何が奇妙と言えば、エゴンはその道を行きにも通ったのだが、そのときは洞窟など無かったのだ。そもそも薬草採取のために何度も使った道だが、今まで一度も目にしたことは無い。僅かに好奇心が起こったが、それよりもはるかに不安と困惑が勝った。エゴンは足早に帰路を急いだ。
エゴンの言葉はそこで一度ふつりと途切れた。体は強張り、手元はきつく握り締められている。
「……すまない、立ち入ったことを聞いてしまった」
「いや、聞いてくれ。続きを話す」
彼は震える声で喉から搾り出すように話を再開した。
エゴンを待っていたのは地獄だった。赤く燃える家々、住民の地で濡れた剣を片手にケタケタと笑うスケルトンの群れ、ゾンビに殺されゾンビとして立ち上がる住民、赤子に牙を立てる母親、妻を食い殺す夫、教会の修道女の死骸に群がる子供達。
エゴンは絶叫を上げながら亡者の群れを振り切り、家まで駆けた。父と暮らす墓地の傍の小屋でエゴンが見たのは血溜りに倒れ伏せる父と、脇にスケルトンを従えた白いローブの男だった。その惨状にあって一点の染みすらない純白のローブを纏い、そして虹色の蛇の造形をあしらった奇妙な仮面を被っていた。
「やあ、おかえり」
仮面の裏からかん高い声が響き、エゴンの耳の奥にねじ込まれた。子供の声と老人の声が入り混じったような不気味な声音だった。
「あまりに強情なのでね、口を割らせるつもりがつい魂まで磨り潰してしまった」
エゴンは一声「父さん!」と叫び、逃げるよりも殴りかかるよりも先に、倒れ伏した父の元へ駆け寄った。父の体はまだ温かかった。顔は苦悶に歪み、何かを叫ぼうとするように口は大きく開かれ、目は見開かれていた。エゴンは血に塗れた父の顔に手を沿え、泣きながら何度も父に呼びかけた。添えた手から次第に抜け落ちてゆく父の体温が感じ取られた。
突如エゴンは襟首を引っ張られ、スケルトンに吊るし上げられた。
「君、人の話を聞き給え」
エゴンは宙でばたばたともがいたが、細い骸骨の腕はまるで揺らがない。暴れるエゴンの鼻先に虹色の仮面が突き出された。
「ふむ、健康状態は良好。魂の色合いも悪くない。この男は良く君を育てたようだ。だがマナの収束は……やはり低いな。とは言え予想の範囲内だ。かえって取り戻した後が楽しみでもある」
エゴンは喘ぎながら文字通り目と鼻の先の仮面を睨み付ける。
「私が憎いかね?……エゴン・ヒューエ」
「殺してやる……!」
仮面の奥からひび割れた笑い声が漏れ出した。
「私を殺したくば山の鍾乳洞へ行きなさい。そしてそこにあるものは誰にも渡してはいけない。みな君のために用意したものだからね」
仮面の男は鉛色の杖の先をエゴンの額に当てた。
「私の名はグリム。覚えておきたまえ、グリムだ。君がいつか私に辿り着く日を心待ちにしているよ。生まれながらに屍の頂に立つ者よ」
エゴンの意識はそこで途切れた。
「……洞窟の中には死霊術の書と杖、加えて御丁寧に“練習用の”亡骸が数体あった。そして今ではこの有様と言うわけだ」
かすれ声で全てを語り終えたエゴンは常よりも更にやつれて見えた。死霊術師を倒した後よりも、村人を埋葬した後よりも、まるで比較にならない濃い疲労の色があった。
アレクサンダーは焚き火にかざしていた鍋から一掬い湯を酌み、一杯の薬草茶を淹れた。エゴンは彼女から渡されたカップを受け取ると「ありがとう」と小さく礼を言った。カップを持つ手は微かに震えていた。
「貴公が、奴の犠牲者であったとはな」
仮面の魔術師グリム。その名が初めて王国、いや諸国の歴史に刻まれたのは千年以上もの過去にまで遡る。ある小さな王国が見渡せる山の上、グリムは羊飼いの前にふらりと現れた。そして羊飼いの目の前で王国の上に星を落としたという。大地を穿った一撃は文字通り瞬く間に国を滅ぼした。今でもその伝承の地には山を逆さにしたような巨大な窪みが残されている。
グリムは言わば神出鬼没の災害である。歴史上の様々な場所に現れ、死と破滅をもたらす巨大な厄災そのもの。ある時は火の雨を降らせ、地割れを起こし、森を枯らし、津波を呼び、魔神と邪龍を目覚めさせた。
ある王国では王妃の鏡へ呪いをかけ、呪いに狂った王妃は自らの娘を惨殺し王国を滅ぼした。ある王国では作物を枯らし大飢饉を起し、口減らしに捨てられた幼い子供達を幽鬼と変えて自分たちの父と母と生まれ育った村々を滅ぼさせた。ある王国では人狼の呪いをまき散らし、狼に噛み殺された老婆は不死の人狼となり孫娘を噛み殺し、起きあがった娘は同じく人狼となって猟師を噛み殺した。人狼の群に襲われた王国は一夜の内に滅びた。
何のため?それは誰にも分からない。グリムの名と虹色の蛇の仮面を除いて、その正体と目的は謎に包まれている。詳細な記録でさえ数百年に渡ることから複数の人間が代替わりにグリムを名乗っているのでは、という話もある。何しろ伝承によって背格好も年嵩も、時には性別さえまちまちなのである。
しかしともかくグリムは諸国の間で最重要危険人物として扱われていた。
「魔術師協会は……奴を個人として扱っているようだ。奴がしたことを鑑みればとうの昔に人間をやめていてもおかしくはないが、奴が遺した書物が幾つも残されている」
「なんと、そのようなものが残されているのか」
「ああ、奴の名が冠された術もある程だ。術も書も全て第一級禁呪指定と第一級呪物指定がかかっている」
エゴンは焚き火を見つめながら薬草茶を口に運ぶ。手の震えは収まっていた。ヒルダは満天の星空を見上げて大きく深呼吸をした。
「仇討ちの旅…………というわけか」
「どうだろうな。そう聞こえのいいものであるかどうか。俺は詰まるところ八つ当たりをしているだけなのかもしれん」
「その八つ当たりで救われる者もいる。ならばそう悪い話ではあるまい」
「俺は誰も救えてはいない。今回も結局……」
「何を言う!」
アレクサンダーは目を丸くしてエゴンへ向き直った。コップを持つ彼の手を両手で包む。薬草茶の熱が移ったコップを握っているというのに、酷く冷ややかな手だった。
「誰も救えなかったのは私だ。しかし貴公は私の命を救ったではないか」
「それは……お前自身の力と強運によるものだ。それが及ばなければ、俺が居ようと居まいと結局お前は死んでいた」
アレクサンダーは頭を振った。泥で汚れた髪がさらさらと風に揺れた。
「謙遜も卑下も無用だ。貴公が居なければ、あの死霊術師は倒せなかった。村民を埋葬することも出来なかった。それに私は自らの恩人にそんな顔をされると、堪らなく辛い」
アレクサンダーはエゴンの顔に額を寄せる。
「紛れも無く、貴公は私を救ったのだ。どうかそれを否定しないで欲しい」
エゴンの手はアレクサンダーの両手の中で再び震え始めていた。肉刺だらけで硬い彼女の両手が、それを暖めるように優しく包んでいた。
「アレクサンダー」
「うむ」
彼女は深く頷く。エゴンは口の端を震わせていた。
「俺は、俺はこの術が存在することに我慢がならないのだ。死者は永遠の安寧が約束されるべきであり、生者と交わってはならない」
「私も同じ気持ちだとも」
「憎いんだ。憎くて堪らない。この術も、これを操る術者も、何も出来なかった自分も何もかも憎くて堪らない。俺はこの死霊術という名の技術をこの世から滅ぼしてしまいたい。いつかはこの術も正しく使える日が来るのかもしれない。しかし今はまだその時ではない。人はそれほど賢明でも善良でもない」
「では何故貴公は死霊術を使う?」
「敵を滅ぼすには、敵を知らねばならない。まして一つの技術体系を消し去ろうというのだ。俺は誰よりもこの術に通じていなければならない。その上で、聞いてくれアレクサンダー」
「何だ?」
「この一件は、まだ終わっていない」
アレクサンダーの柔和な笑みが硬直した。淡い桃色の肌が瞬く間に血の気を失ってゆく。喉が酷く渇いた。彼女は我知らずエゴンの手を硬く握り締めていた。
「どういう、ことだ?」
「明らかに書に抜けがある。理論の重要部が残されていない。これでは実験の継続は出来てもただ記録が積み重なってゆくだけだ。発展しない」
「つまり?」
「あの老人は助手だ。村を襲うよう命じた死霊術師が別に居る」