第二章『死に絶えた村』
アレクサンダーは剣の切っ先をエゴンへ突きつけた。しかしエゴンは悪びれるどころか全く動じる気配を見せず、ただ黙って騎士を見ていた。背後に控える亡者たちも微動だにしない。二体のスケルトンはそれぞれ剣とメイスを携えているが、構えようとさえせずに棒立ちであった。
「一体何が目的だ、死霊術師め」
アレクサンダーの怒りに満ちた声が響く。しかし声音には僅かに戸惑いの色があった。
死霊術師はやや敬遠されがちな魔術師の中にあって更に異端とされる。墓を暴き、死者を冒涜し、禁忌を犯して人の霊魂を弄ぶ彼らは無辜の人々にとって絶対の敵性存在であり、それは諸王国の間でも共通認識である。魔術の研究機関を持つ国は多く、王家自体が強大な魔術師の一族である国も極小数ながら存在する。しかし公的に死霊術を研究するところは皆無だ。
アレクサンダーにとっても当然の如く死霊術師は危険極まる潜在的悪であった。騎士は思考する。もはや森の亡者は此奴の手の物か、先程の治療薬は?毒を盛られただろうか、体力は回復したが遅効性の可能性もある、いや、だがあの依頼書は間違いなく私の物だ、では此奴は本物の冒険者か、待て“本物の冒険者”から盗んだ可能性もある。
脳裏に数多の思考が走っては消える。だがどれも憶測の域を出ない。今確かなのは目の前の男が死霊術師を名乗り、実際に亡者を復活させてみせたことだけだ。亡者を復活、というのもおかしな言い回しだが。
エゴンは相変わらず能面のように表情を変えなかったが、ゆっくりと口を開き、答えた。
「死霊術師を殺しに来た」
「……は?」
エゴンの口から唐突に飛び出した言葉の内容に思考がついていかない。混乱するアレクサンダーの様子に、エゴンは再び口を開いた。
「ここに来るまでは期待に過ぎなかったが、話を聞いて確信に変わった。この一件は死霊術師が関わっている。だから俺は今からそいつを殺しに行く」
「ま、待て!何故そんなことが分かる!」
「亡者は行儀よく列を組んで行進などしない、必ず指揮している者がいる。そもそも亡者はよほど特殊なケースでもない限り自分の棲み処の外へは出られない。加えてこの一帯を地図で調べたが、過去に合戦場だったわけでも首切り場があったわけでもない。事実、瘴気も殆ど無い」
会ってから今までで一番長く喋ったエゴンだったが、騎士にはさっぱり意味不明な話だった。だが騎士は目の前の死霊術師を名乗る男がどうにか自分に理解させようと、不器用な説明を試みていることだけは何と無しに感じ取った。
「つまり、死霊術師がいなければ不自然だ」
エゴンは長い説明をそう締めくくった。
騎士は迷った。目の前の男は死霊術師である、これは間違いない。しかし彼はどうも話しに聞いた邪悪な背教者達とは印象を異にした。いや、風体だけで判断すれば十人が十人ともおぞましい死霊術師だと言うだろうが、騎士にはどうしてもその確信が持てなかった。件の元凶とも思いがたい。故にアレクサンダーは詰問を続けた。
「貴様は死霊術師であろう。何故私を助けた」
「何故依頼人を殺す必要がある」
ぐうの音も出なかった。二の句を継げないアレクサンダーを見ると、エゴンは微かに眉をひそめた。
「初めにも言ったが、お前を助けたのは主に情報のためだ。第二に、万が一お前の死体が敵に渡った場合、極めて面倒な事態になる。それを避けた。最後は単に人手の問題だ。事を収めるにも一人よりは二人の方が都合が良いだろう」
エゴンはまたも長々と説明した。その中でアレクサンダーは自分の死体が敵に渡るという点に思わず身震いした。
「き、『極めて面倒な事態』とは、何だ」
「決まっている。お前が敵の下僕にされるという話だ」
アレクサンダーは心臓が凍りつく思いだった。死は覚悟していた。だがその先は?考えたこともなかった。苦痛の果てに殺められて尚、奴隷として囚われ続けるというのか。改めて死霊術の恐ろしさに総毛立つ。エゴンは押し黙ったアレクサンダーを眺めていたが、しばらくして騎士を置いて歩み去ろうとする。騎士は慌ててエゴンを呼び止めた。
「どこへゆく!」
「死霊術師を殺しに行く。不満ならばお前は来なくとも構わない」
「待て!私も行くぞ!」
アレクサンダーの声に、エゴンは振り向く。赤い瞳が再び騎士の兜の奥へ焦点を合わせた。
「来るのか」
「貴様が冒険者として私の依頼を受諾したことは信じよう。聞きたいことは山ほどあるが、それも今は伏せ置く。だが何より騎士として貴様を野放しにはできん。今の所貴様は王国の墓を掘り起こしたわけでも、善良なる人々を殺めたわけでも無いが、死霊術師であることは疑いようもないのだから」
騎士はエゴンに突きつけていた剣を鞘に収める。そして一旦呼吸を置いてからエゴンを真っ直ぐに見据えた。
「故に私の監視下に置く。今回の件では貴様の死霊術師としての見聞を大いに役立ててもらうが、もし不埒な真似を働こうものならその時点で貴様を拘束する。覚えておけ」
アレクサンダーは兜越しにエゴンを睨みつけたが、不意に緊張を解いた。右手を胸に当て、エゴンに向かって会釈する。
「だが、貴公の意図が何であれ窮地を救ってくれたことを、ヒルデガルド・アレクサンダーは心より感謝する。ありがとう、貴公の助けが無ければ私は生きてはいないだろう」
深々と礼を述べる姿は儀式的でさえあったが、それで終わりではなかった。再び全身の緊張を取り戻し、エゴンの顔を睨む。
「しかし!だからと言って貴様を見逃したとあっては公私混同というものだ!故に監視下だ!分かったな!」
大きな声で念を押すバケツ兜の騎士に、死霊術師は俯きがちに小さく「好きにすると良い」と答えた。その瞳には真紅の光が揺れていた。
騎士と死霊術師、そして5体の亡者が後をついてゆく。計7人の生者と死者は昨晩騎士が飛び降りた雑木林の入り口までたどり着いた。ここから先はスケルトンとゾンビが跋扈する魔窟である。
「『黙らせる』と言ったな。お手並み拝見といこう」
エゴンはズタ袋を下ろし、中から幾つかの道具を慎重に取り出した。黒い煤で染まった細長い鎖の束、白いネックレス状の輪、錆付いた古釘、複雑な魔方陣が書き込まれた紙片。それらはみな綿が詰まった黒い小さな化粧箱に納められており、薄気味の悪い気配を漂わせていた。
エゴンが黒い棒をくるりと一振りすると後を付いてきた亡者達は前へ進み出で、エゴンを中心に円を描くように並んだ。アレクサンダーは遅まきながらその棒が魔術師達が携える魔法の杖と同じものである事を理解した。エゴンはアレクサンダーへ「こっちに来い」と告げる。騎士は少し躊躇ったが「来なければ俺一人でゆくぞ」と言われると、大人しくエゴンの傍へ寄って行った。騎士と死霊術師を5体の亡者が取り囲む格好になる。次にエゴンは黒い鎖を亡者に繋いでいった。鎖は亡者を介してぐるりと二人の周りを囲う。最後の仕上げか、エゴンは古釘を使ってスケルトンの頭部に何かの文様を刻み込んだり、ゾンビの体に魔方陣の紙片を貼り付けたりなどしていた。作業を終えると再びズタ袋を背負いアレクサンダーへ例の首飾りのような物を渡す。
「これを首にかけろ」
有無を言わせぬ迫力があった。騎士はそれを受け取ったが、正体の分からぬ物を身に着けるのは抵抗がある。よく観察すると首飾りは白く歪な小石のような物を細い針金で繋いで出来ていた。しかし石にしてはやけに軽い。乱暴に扱えばすぐにでも壊れそうな頼りない作りである。
「壊すなよ。代えは無い」
騎士はその首飾りをつまみ、木漏れ日に当てながらしげしげと眺める。
「これは何だ?」
「処刑された罪人の指の骨を繋ぎ合わせた物だ」
びくりと摘んだ手が震える。しかし地面に取り落としたりなどはしなかった。
「何故そんな物をつけなければならない」
困惑と若干の恐怖を震え声に滲ませながら、騎士は当然の疑問を発した。
「お前の気配を隠すためだ。亡者は基本的に生者の気配に惹かれてやって来る。彼らを使って結界を張ったが、それだけでは明らかに不十分だ」
エゴンは一旦言葉を切り「特にお前は余りに眩いからな」と小さく呟いたが神聖冒涜の振る舞いにおののくアレクサンダーの耳には入らなかった。騎士は呪われはしないだろうかと、おっかなびっくり数珠つなぎになった罪人の指の骨を首にかける。幸い掛けてみても特に何の変化も感じられない。生理的な嫌悪感はあるが、痛みや体が重くなったりなどはしなかった。
エゴンはそれを見届けると小さく頷き黒杖を振るう。するとスケルトンとゾンビたちは規則正しく足並みを揃えて前へ進みだした。エゴンとアレクサンダーも歩みの早さを合わせて進んでゆく。エゴンはアレクサンダーを横目で見ると、人差し指を口元に当てた。
なるほど、声を出すなということか。アレクサンダーも頷いて返す。おそらくは気配を隠すということに関連しているのだろう。亡者を伴った騎士と死霊術師は、死者の犇く林を進んでいった。
雑木林の道中は騎士が内心驚くほど何も起こらなかった。愛馬の亡骸と騎士が切り捨てた亡者達は依然として地に打ち捨てられていはいたが、その他には化け物達の影も形も見えなかった。エゴンは騎士の愛馬の傍で立ち止まり、周囲の亡者達の残骸を見回す。アレクサンダーはその場で荷を回収し、断末魔のまま見開かれた愛馬の瞼をそっと伏せた。膝をついて両手を組み、ほんの一時の祈りを捧げる。エゴンとアレクサンダーの間に言葉は無かったが、死霊術師は愛馬の死を悼む騎士を置いて先に進もうとはせず、ただ静かに騎士が祈りを終えるのを待っていた。
山中の村に辿り着いた時には既に西の空が紅に染まっていた。空は頭上で美しい濃淡を描き、東の彼方から群青色の夜が迫る。林道を抜け出るとエゴンは「もういいだろう」と呟き、例によって杖を一振り、死者の行進を停止した。そして鎖や紙切れなどを化粧箱の中に丁寧に仕舞いこむ。騎士も一言「外しても構わないか」と尋ね、エゴンが頷くと壊さぬよう慎重に首飾りを外した。エゴンは首飾りを受け取ると同じように丁寧に仕舞いこむ。見てくれの悪いズタ袋だが、中は存外整理が行き届いているのかもしれない。
二人が出た林の入り口はすり鉢状の盆地の縁にあった。木造の家々が密集する盆地の底は山の影に入るために赤い夕陽が遮られ、一足先に夜が忍び込んでいるように見えた。村は静寂そのもので人影も家屋の煙も見えない。何者も動かず、何事も聞こえなかった。アレクサンダーは最悪の予想を脳裏に浮かべ、矢も盾もたまらず村へと駈け出した。エゴンはあっという間に斜面を駆け下りて小さくなってゆく背を見つめていたが、やがて傍らの亡者達をその場に残して自らも村へ降りていった。
アレクサンダーは真っ先に目に付いた家の軒先へ飛び込み、拳で穴を開けかねない勢いで戸を叩いた。
「もし!村の方!お休みの所申し訳ない!リバードーン騎士団員アレクサンダーと申します!もし!」
声は返ってこない。業を煮やした騎士は一言「失礼!」と叫び乱暴に戸を開け放つ。騎士を出迎えたのは夕餉を取る家族の穏やかな団欒の姿ではなく、部屋一面に飛び散った赤黒い染みだった。特に大きな染みが床に複数残されており、それが血痕であることは疑いようもない。
凄惨そのものだった。騎士は無言で両の拳を強く握りしめる。自らの筋力によって指の骨が軋む音が静寂の中に響いた。アレクサンダーは位は最も低くとも騎士である。街を、ひいては王国を守る任務にあって人の死に触れる機会は少なくない。初めて盗賊団を斬り殺した日、胃の中身を洗い浚い草むらへぶち撒けた頃に比べれば人の死そのものに取り乱すことは少なくなったと言えよう。だが無辜の民の命が理不尽に奪い去られることへの怒りは微塵も衰えることはなかった。
騎士はひと通り家屋の中を踏査し遺体が残されていないことを確認すると、開け放った扉から足早に出て行った。次から次へと家々の戸を叩き、返事が無いと見るや荒々しく開け放つ。しかし開けど叫べどアレクサンダーの必死の求めに応える声は一つもなかった。先々で淀んだ死の匂いが騎士の鼻を突いた。最後の家から出てきた時、騎士の内心は激烈な憤怒で荒れ狂っていた。許さぬ、この悪逆非道の行いを断じて許してはならぬ。筆舌に尽くしがたい激情は逆にアレクサンダーを沈黙させたが、肩を怒らせ地を踏み抜かんばかりの歩みが騎士の怒りを雄弁に物語っていた。この惨劇を防げなかった己自身の不甲斐なさが余計に騎士の苛立ちを増した。
騎士が村の中央まで戻ってくると、往来にエゴンが立っているのが見えた。相変わらず感情の読めないその顔は、いつかのように瞳だけをアチラコチラへと忙しなく動かしていた。
「何をしている、死霊術師め」
アレクサンダーは苛立ちを隠そうともせずに、エゴンへきつく問い質した。しかしエゴンは答えない。
「おい!貴様、聞いているのか!」
騎士が自身を無視する死霊術師に掴みかからんと肩に手を伸ばした時、不意に赤い瞳の動きが止まる。真紅の瞳は村の端にある家屋をじっと見つめていた。
「居た」
出し抜けにエゴンが呟く。かと思えば騎士を無視したままその家へ歩み出した。再び騎士が声をかけるも、まるで聞こえていないかのように先へ向かってゆく。堪らず騎士も後を追った。
死霊術師は無遠慮に扉を開け、ズカズカと中へ上がり込んでゆく、そして予め知っていたかのように真っ直ぐにある部屋へ辿り着いた。その家で血痕があったのはその部屋だけだったのだ。その部屋には小さなベッドが設えられており、シーツは真っ赤に染められていた。枕元を見れば血痕が散った古びたクマの人形が置いてある。おそらくは幼子の部屋だったのだろう。騎士は眠りにつく少女が剣を持ったスケルトンに刺し貫かれる凄惨な光景を思い浮かべ、胸を痛めた。
エゴンは黒い杖を握り、何かを唱え始める。目は常よりも更に見開かれ血染めのベッドを凝視していた。
「"今再び貴方の声を聞かせて欲しい" "今再び貴方と言葉を交わしたい" "さあ、ほら""怖がらなくてもいい、僕が手を引くよ" "大丈夫、明るい場所はすぐそこだ" 」
夕闇が忍び始めた部屋に呪文が響く。アレクサンダーはすぐさま止めねばと思ったが声にならなかった。指先一つ動かせずにエゴンの後ろに立っていた。その声はあまりに物悲しく、優しかったのだ。
「"今ここに貴方の形を取り戻そう" "コール・ウィスプ"」
エゴンが握る杖から淡い空色の光が立ち上る。光は煙のように立ち上り、やがて無数の細かな粒となってベッドの上へと広がっていった。アレクサンダーが呆然と見守るうちに光の粒は寄り添い形を成し、幽かな青白い光を放つ人影が現れた。その人影は、正しく人影としか表現できなかった。輪郭も朧げで、アレクサンダーの目には辛うじて子供くらいの大きさだろうとしか判断できない。
アレクサンダーは震えた。それが何に対する恐怖なのか、いやそもそも恐怖であったのかさえ分からない。ただ目の前の光景が、エゴンの声が、初めて目にする霊魂の姿が、アレクサンダーを強く揺さぶった。
「……だれ?」
人影から声が聞こえる。一瞬そうアレクサンダーは思ったが、肉声ではなく頭の中に直接音が響いたような感覚だった。かすれたような、とても小さな声だった。
エゴンは体を屈め、人影と同じ高さまで目線の位置を下げた。赤い瞳は今までアレクサンダーに向けていた物とは似ても似つかぬ穏やかな光を湛えていた。更にエゴンは柔和な笑みさえ浮かべていたが、突如目を吊り上げ噛み付くように口を開けた。
「悪ぅ~い魔法使いだよぉ~」
騎士はギョッとした。後頭部をワイン瓶で殴りつけられたような衝撃にめまいを起こす。エゴンはいつの間にか杖をしまい、影に向かって両手を広げてワキワキと指先を閉じたり開いたりしていた。一体何をやっているんだ、この男はと軽く頭を抱えそうになった。だが、やにわにアレクサンダーの頭の中にも「キャッ」と可愛らしい少女の悲鳴が聞こえた。
そう、それは少女の声だった。気がつけば影には輪郭が生まれ、あどけない少女の顔が不明瞭ではあったが騎士にも見て取れた。その顔はエゴンの言葉に怖がっている、というよりは驚いているように見えた。
「そうとも、僕は悪~い魔法使いのエゴン。でもこっちのアレクサンダーはとっても優しい騎士なんだよ」
いきなり名前を呼ばれたことに加え同一人物とは思えぬエゴンの口ぶりにアレクサンダーはたじろいだが、再び頭に声が響く。
「お姉さん、騎士様なの?」
「う、うむ!その通り、私の名はヒルデガルド・アレクサンダー。正真正銘、王国を守る騎士だ」
まさか自分が霊魂に声をかけられるとはつゆ程にも思っていなかった騎士はつい聞かれてもいないことまで喋ってしまう。
「悪い魔法使いさんを捕まえに来たの?」
「少々事情は異なるが、まあ、似たようなものだな、うん」
「じゃあ魔法使いさんは悪いことできないのね」
「それは安心して欲しい。この私の目の黒い内は誰であろうと君に手出しなどさせんぞ」
アレクサンダーとエゴン、少女の影は談笑に興じた。エゴンはそれまで騎士には見せなかった笑顔を満開にし、くだらない冗談まで飛ばして少女を笑わせている。騎士はその最中、言葉を交わしていく内に少女の影が徐々にくっきりと明瞭になってゆくことに気付いた。声も次第に肉声の響きを取り戻してゆく。いつしか少女は向こうが透けて見えるものの、三つ編みのおさげや羽織ったケープに刺繍された花柄すら判別できるまでになっていた。
「なるほど、父上殿と母上殿が中々戻らぬと」
「そうなの……」
「うーん、そうかあ。それじゃ寂しいよねえ」
少女は心細げに顔を伏せる。エゴンはやはり、アレクサンダーと村に辿り着くまでとは全く異なる優しげな笑みと言葉遣いで接している。
「ねえ、騎士のお姉さん」
「何だ?」
アレクサンダーもまた、兜の内で微笑みながら街の少女を相手にするかのように話しかけていた。
「パパとママが帰って来るまででいいから遊んで欲しいな」
「む、それは難しいな。私にはまだ任務が……」
「いいとも、お安いご用さ」
騎士が断ろうとした所を死霊術師の言葉が遮る。騎士はすぐさま「おい貴様」と言いかけたが、少女が花が咲いたような笑顔をこぼすと抗議の言葉は喉に詰まってしまった。
「本当!?じゃあ、隠れんぼね。お姉さん達が鬼よ」
「わかった、でもこの隠れるのは家の中だけだよ?僕らはここに来たばかりだからね」
「うん!十数えたら探してもいいからね。ちゃんと声に出してゆっくり数えなきゃダメなんだから」
少女の影はそう言うと、すうっと希薄になり煙のように消えてしまった。
「よし、十数えて探すぞ」
エゴンは元の能面のような顔と愛想の無い声に戻っていた。
「死霊術師、貴様何のつもりだ」
「必要な手順だ」
エゴンはそれ以上答えず、少女に言われたようにゆっくりと大きな声で数を数え始めた。騎士も「後で説明してもらうぞ」と呟き、エゴンに続いて数え始めた。
二人はすっかり闇で満たされた屋内をカンテラの明かりを頼りに彷徨う。結果から言って、少女を見つけたのはアレクサンダーの方だった。少女は埃っぽい屋根裏部屋の棚の影にしゃがんでいた。騎士が手に掲げたカンテラの明かりを照らすと少女は騎士を眩しそうに見上げ「見つかっちゃったあ」と可愛らしくはにかんだ。
エゴンも屋根裏部屋から響いた「おい死霊術師!」という怒鳴り声を聞きつけ、小さな梯子を登ってやってくる。少女は二人を前にしてにっこりと微笑んだ。姿は今までで一番はっきりとしており、手を伸ばせば触れられそうなほどだった。だがその笑みはどこか儚げだった。
「騎士のお姉さん、魔法使いのお兄さん、遊んでくれてありがとう」
少女は丁寧にお礼を言い、ペコリと頭を下げる。
「私死んじゃったんだね」
唇の端が震え、目が潤んでいた。今すぐ泣き出したいのを必死にこらえた笑顔だった。騎士は何と言ってよいか分からなかった。騎士自身さえ、少女の死を忘れていた気がする。あまりに目の前の少女の影が生き生きと話していたせいもあっただろう。
「自分の体がどこにあるか、分かるかい」
エゴンが先程と同じようにしゃがんで少女に話しかけると、少女は黙って屋根裏部屋の窓の外を指さした。エゴンは懐からコンパスを取り出し方角を確かめる。少女が指し示すのは村の真東だ。
「騎士様、魔法使いさん、お願いがあるの。パパとママをうちに帰して」
少女の目は子供とは思えない強い決意を感じさせた。両手を胸の前できつく結び、足は震えている。
「約束するよ」
エゴンはいっそう穏やかに微笑み、少女へ応えた。少女はその声を聞くと安堵の吐息を漏らし、肩に走らせていた緊張を解く。
「ありがとう」
そう言い残し少女の影は消え去った。カンテラの明かりは何もない棚の影をゆらゆらと照らし、辺には静寂だけがあった。アレクサンダーもエゴンもしばし言葉を発さず、ただじっと少女の影が消えた中空を見つめていた。