表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

小麦の短編集

作者: 小麦

「いやぁ、疲れるねぇ……」

 年老いた70代くらいの男が鍬を地面に置き、タオルで汗をぬぐいながらこう呟く。この男の名前は広田光男。深い山奥で畑仕事をしている男性だ。性格は至って温厚そのもので、気性も穏やかである。また、この男性は一人暮らしで身寄りもない。数年前までは妻がいたのだが、病気で他界してしまった。なので、広田は一人暮らしをしている。畑仕事など今まで妻に任せっきりだった彼だが、妻がいなくなってしまった今ではそうもいかず、肥料のまき方から畑の耕し方まで位置から自分で覚えた。人間やれば何でもできるもんだと心から実感している彼である。

「ひとまず休憩するか」

 彼は自宅の縁台に腰を下ろすと、入れておいた緑茶を湯呑に注ぐ。彼の至福のひと時はこの緑茶を飲むときなのだ。

「精が出ますねおじいさん」

 そんな休憩時、一人の女性が歩いてきた。年齢は三十代くらいだろうか。ロングヘアーの似合う若々しい女性だ。彼の家は平屋で誰かが自分の家の近くに来ようものならすぐに分かってしまうのである。逆に言うならそれだけ危険があった時には早めに対応できる、ということでもある。

「ありがとうよ。で、あんたはなんだね。こんなとこまで来るということは大方出張販売員か何かだろう。違うかね?」

 広田は懐疑的だ。山奥の割にはここにはよく何かを売りつけようとする輩が大勢やってくる。こないだも確かよく掘れるスコップを売りに来た男性を追い返したばかりである。とはいえあの程度のスコップでは広田でなくとも追い返したと思うが、と思う。すると女性はいやぁ、と頬をかきながら、

「察しがいいですね。確かに私はセールスパーソンですよ。もしかして前にここに誰かが何かを売りに来たことでもあったんですか?」

「せえるす……? ああ、まあそんなところだよ」

 後半の聞き慣れない単語に首を傾げながら広田は答える。すぐに追い返してやろうと思っていたのだが調子が狂ってしまった。

「そうですか、先客がいましたか。まあ私の予想だとその商品は大したことなかったと思うんですが、いかがでしょう?」

 女性はそんな風に広田に聞いてみる。

「何故それを……。あんた、超能力者か何かかね?」

 広田は驚きながら答える。

「まさか。私にそんなエスパーみたいな能力があったらもっと別なことに使ってますよ」

「えすぱあ……?」

「ああ、これは失礼。カタカナ語はダメみたいですね。とりあえず私にそんな超能力はありませんよ。先ほどのあなたの対応がとっとと帰ってくれ、って言っているように見えたので、前にも似たようなことがあって、その時の商品がお世辞にもいいものではなかったのではないかと思いまして」

 女性はその理由を説明するが、それだけとはいえこの女性の洞察能力は大したものだと思う。

「少し話しただけでそこまで分かるなら、わしの望み通りさっさと帰ってくれると助かるんだがねぇ」

「まあそうは言っても私も仕事なので……。もしよろしければお話だけでも聞いていただけませんか? 私の先ほどの名推理に免じて」

 そこまで言われると広田も断るに断れない。

「まあ、あんた見た感じこないだの販売員よりきちんとしてそうだし、そのくらいならいいだろう。ただし、買うか買わないかはわしが決めるからな。とりあえず家の中に上がりなさい。お茶の一杯くらいは出してあげるから」

「恐縮です」

 女性はお辞儀をして、立ち上がった広田の後に続いた。



「で、何なんだねあんたの売りたいものっていうのは」

 尚も疑うように広田は彼女に尋ねる。すると彼女は、何やら文字のようなものが書かれてある透明な小さな袋を取り出した。袋はしっかりと密封されていて、真空状態のようにも見える。文字は3つで、広田でなければおそらくそれはKCNと読めたことだろう。

「何だねその見るからに怪しそうな袋は。まさか、そんなものをわしに売ろうっていうんじゃないだろうな?」

 すると、女性はそうですよ、とさも当然のように返した後に、こう付け加えた。

「怪しいって言いますけど、この薬は本当に夢のような薬なんですよ! この薬を飲むだけで疲れは忘れられるし、嫌なことさえ考えられなくなるほどのすごさなんです!」

 女性のあまりの押しっぷりに、少し引き気味に広田は聞く。

「あんた、それまさか世間でよく騒がれてる麻薬とかそんな類のもんじゃないだろうな?」

「まさか、私がそんなもの持ってくるわけないじゃありませんか。第一、そんなもの持ってたら警察に捕まってしまいますよ。今の警察の捜査って結構厳しいんですから」

「そ、そうかい」

 広田は都会のことはよく知らない田舎人だ。ここは深く追及しないほうがよさそうだと考え、再びその薬について質問することにした。

「だが、どうしてもそんな薬があるとは思えんのだが……」

「それが存在するんですよ! 何なら私が今から飲んでみますか? あまりの光景にきっとあなたも飲みたくなりますよ!」

 女性は同じような袋をポケットから取り出すようなしぐさを見せる。広田はそれを慌てて止めた。

「い、いや、いい。あんたが飲んじまったらわしに対する説明が不十分のまま終わってしまうだろう」

「それもそうでした」

 女性はそれを再びポケットの中にしまった。広田はほっと溜息をつく。

「で、仮にその薬が本物だとして、あんたは何でそんなものをわざわざこんな山奥にまで売りに来てるんだ?」

 もっともな疑問ですね、と女性は答える。

「いえ、早い話がみなさん買ってくださらないんですよ」

「ほう、何でまたそんなことに?」

 広田はそれだけ素晴らしいと女性が熱弁する商品が売れないことに疑問を抱いた。女性は答える。

「都会の皆さんにはこの商品の良さがいまいち伝わらないらしくてですね。私がいくら説明しても皆さん買いたがらないんですよ。なので、私はこうやって田舎を回っては売り歩いているんです。田舎の皆さんは私の説明できちんと買ってくださる見る目のある方たちばかりなので」

「ほうほう……」

 広田は頷く。誰だって褒められて悪い気はしないだろう。

「で、これ一袋でいいので買っていただけませんかね? いかがでしょうか?」

「だが、それだけいいものでは値段も相当張るのではないかね?」

 広田はすっかり乗せられてしまったようで、ニコニコしながら女性の返答を待っていた。

「いえいえ、こんなところに住んでいるような方が大金を持っているとは考えにくいので、私はあなたの畑にあるお野菜いくつかと交換していただきたいと思うのですが、いかがでしょうか? 悪い取引ではないと思うのですが……」

「何と! それだけで本当にいいのかね?」

 広田は驚く。

「ええ。私たちもそこまで悪徳商売をしているわけではないので。おじいさんさえ良ければ、ですけど……」

 女性は遠慮がちに聞く。

「良いも何もそれなら買ってやろうじゃないか。大根三本でどうだろう?」

「買ってくださるんですか!」

 女性は広田の手を握ってぶんぶんと振る。その後広田の手に先ほどの薬を一袋握らせた。

「気にするでない。あんたの商品をわしが買いたくなっただけの話だ。代金はそこの大根を持っていきなさい」

「ありがとうございます!」

 女性は心から嬉しそうな顔をした。



「では、私は次のお客を探すことにしますね。先ほど言った通り、きちんと開けたらすぐに飲んでくださいよ」

 女性はこう念を押す。

「ああ、分かったよ。あんたも商売大変だろうが、頑張るんだよ」

「はい! ご購入ありがとうございます!」

 女性は意気揚々と来た道を引き返していった。

「さて、早速飲んでみるかな」

 広田はその薬の袋を開ける。中には錠剤のような形のものが入っていた。それを水と一緒に飲み込む広田。

「よし、では午後の畑仕事を再開するか」

 だが、そう言って広田が立ち上がろうとした時だった。

「うぐっ……」

 何だか喉が苦しい。一体どうしたと言うのだろう。広田はあまりの苦しさに喉をかきむしる。誰かに助けを求めようにも声が出せない。そもそも広田の家の近所には家など立っていなかったし、たとえ助けを呼べたところでどうしようもない。

(ドサッ)

 広田はそのままどうすることもできずに意識を失った。それから彼が息を引き取ったのは数十秒もたたないうちだった。



 それから数分後のことだった。

「……思ったより早かったですね」

 先ほど広田に薬を売りに来た女性が再び広田の家に戻ってきていた。今度は同年代くらいの若い男性も一緒である。この男性は女性をここまで来るまで送り届けた男性で、当然こんな山奥に女性一人で来た訳ではない。女性は広田の家に小型の盗聴器を仕掛け、彼の動向を見張っていたのだ。

「まあ、シアン化カリウムでは仕方あるまい」

 KCNというのはシアン化カリウムの化学式名で、別名を青酸カリという猛毒である。女性は広田に元気の出る薬と称して青酸カリを手渡したのである。

「しかし、国はどうしてこんなことをするようになってしまったんでしょうね。少し前まではこの国も平和そのものだったっていうのに」

 女性はため息をつく。彼女たちの仕事は国から命じられたもので、年老いて経済活動に貢献しない男性に毒を飲ませて殺せ、というものだった。二人は国の秘密諜報部員といった立ち位置で、高給をもらえる代わりにこの仕事を幾度となく繰り返しているのだ。

「結局、役に立たない者は切り捨てるっていうのが今の首相のやり方だからな。俺たちだって命に背けばどうなるか分からないんだ。おとなしく従っておくしかないだろう」

「そうは言っても、この行動にはたして意味なんてあるんでしょうか。田舎暮らしの老人ばかりを狙って毒殺なんて、手口が卑怯すぎて反吐が出ますよ」

「その卑怯な手口の片棒を俺たちは担がされているんだ。断れない以上は俺たちだって同罪に等しいさ」

「……それもそうですね」

 女性は諦めたように反論をやめた。このやり取りだって何度繰り返したか分からない。だが、何度疑問を持っても、結局高い金には勝てないし、絶対的な権力には勝てない。世の中はそうやって強いものが勝ち、弱いものが負けるようにできている。

「さあ、次の仕事だ。今度は俺が行く。お前も何度も同じ現場を見てきて疲れただろう」

「ええ。しばらくはあなたにお願いします。私、もう耐えられない」

 がっくりと肩を落としながら、女性は広田の家を後にする。それを男性が支えるようにして二人は静かに姿を消した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] これは立派なミステリと思います。 [一言] 辛い話ではありますが、とても読み応えがあると感じます
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ