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23.神の微笑み受けし者たち(主にラブコメの神)

今回はリアンカちゃん達は欠片も出ず。

ちょいと場面を変えて、勇者様が怯え恐れる使者達は、今☆

「もうすぐ、辿り着くのね…」


 生まれ育った故国と…人々の営み過ごす場所と比べ、あまりにも違う環境。

 異常とも言えるほどの魔力が(ほとばし)っている。

 だけど此の地ではこれが異常でも何でもなく、常のことだという。

 精霊が舞い踊っているのだろうか。

 天から降り注ぐ燐光が、淡くあたりを照らしていた。

 人間の国々では見られない光景が、此処では普通に見られるのだという。

 初めて見聞きする物ばかりの旅路は、確かに面白く興奮する。

 しかし此処まで己の持つ常識と懸け離れてしまえば、常軌を逸した光景にしか見えない。

 人間のいるべき場所じゃないとしか思えなくて恐れが浮かんだ。

 弓を片手に、エルティナは周囲の警戒から立ち戻る。

 軽快な足取りで野営の地へ戻れば、其処には焚き火を囲む見知った顔。

 ようやっと日常に戻れたような、そんな錯覚に胸がほっと緩んだ。


「どうでした、エルティナ。道は見つかって?」

「ええ。大丈夫そうみたい。途切れてはいたけれど、木々の向こうに轍の跡を見付けたわ。

倒木で隠れていたみたいね。問題なく通れると思うわ」

「お疲れ様ー。ワイン、温めてありますよぉ」

 人当たりの良さそうな軽やかな声で、簡素なカップが手渡される。

 にこっと人懐こく笑うのは、つい最近行動を共にするようになった男。

 騎士を名乗る三人組の一人であり、一番人当たりの良い青年。

 だけどどことなく得体が知れない気がして、エルティナは彼が苦手だった。





 彼女達はたった三人で、遠く離れた故郷から魔境を目指した。

 自国の王子が勇者と選ばれ、旅立ってから遅れること少し。

 彼女達は王子と合流し、行動を共にする為に選ばれた従者であった。

 しかし王子は先に行ってしまった。

 追いかける彼女達を、まるで引き離すように。



 此処よりも手前の地で、彼女達は魔境へと足を踏み入れた。

 それまで足取りは緩く足並みは悪くとも、それでも力を合わせて旅路を共にしてきた。

 当然ながら道中では魔獣や魔物に襲われることもあり、困難も協力して乗り越えてきている。

 この長い道のりを踏破したのだという自負が、無かったとは言わない。

 自分達は選ばれただけの力量を持っている。

 早々滅多なことでは値を上げない自信があった。


 だが、そんな自信の(ことごと)く、完膚無く粉砕してくれたのが、魔境という地だった。


 本来ならば人間が足を踏み入れない地だ。

 当然、人間にとって歩きやすく地がならしてあるわけでもない。

 魔境に生息する人型種族の者達は、道に頓着しないだけの能力を有している。

 地ならしをせずとも平然と自然のままの険しい道を乗り越えてしまう。

 彼らよりも身体能力に劣る人間が歩きやすいように工夫された道は、当然ながら少ない。

 それでも数少ない行商や、必要に迫られた人間が使う道があった。

 使用者が少ないので、道は悪かったが…

 女の足で歩けないことはない。

 道を見付けた彼女達は、何とか魔境を進もうとした。


 難点は、道を外れると即座に困った事態になること。

 難所という前評判は大当たりだった。

 森は鬱蒼と暗く人間を拒み、大地は決して味方ではない。

 行商の道は村々を巡る為か、人間を恨みに思う獣人の里でも平然と目指して続く。

 村々を繋いで蛇行する道は、一向に先を急がせてくれない。

 遅々とした歩みに気が急くが、道を無視する勇気はなかった。


 そして魔境には、道の問題だけではない。


 出てくる魔物、魔獣、その数と強さがそれまでとは段違いだった。

 今まで遭遇した一番弱い魔獣でも、人間の国では村一つを簡単に滅ぼすような強さで。

 人間の国だったら、討伐隊が組まれるような強さだ。

 たった三人だけの彼女達は、自分達はやれるという自信も打ち砕かれ。

 情けなく、悔しくも背を向けて逃走するしかなかった。

 道々、出てくる外敵は多い。

 しかしその(ことごと)くを避け、逃げなければならない。

 しかも完全に逃げ切ることも難しい。

 疲弊は溜まり、行っては引き返すという状況に焦りが募る。

 先へと進めない疲労で、彼女達は倒れそうになっていた。


 味方はない。

 助けてくれる手などない。

 お嬢様育ちを抱える道行きで、そんな状態が長く続くはずもなかった。


 肉体的な負荷と精神的な負荷。

 それらが余裕を無くし、冷静さを失わせる。

 死んで共倒れるか、生きて内部崩壊を起こして散り散りとなるか。

 予想が付きながらも回避する術の見あたらない先行き。

 何れ来ると思えた未来に、不安と恐怖は今にも爆発しそうだった。




 歩みを進めるのに一番の足手まといとなったのは、修道女上がりの令嬢だった。

 ミリエラと呼ばれる彼女。

 幼少期、自国の美しい王子に一目惚れした。

 伯父の侯爵が開いた、園遊会でのこと。

 互いに子供ではあっても、王子の抜きん出た美貌は誰より目を惹き付ける。


 伯父が身内に当たる自分を、王子に宛がいたいと考えていたのは知っている。

 幼い彼女はそのことに理解もなく、特に何も思っていなかった。

 王子その人に、直に対面するまでは。

 そして彼女の心を固めるのに、紹介の場の一瞬があれば十分だった。


 たった一度、微笑みかけられただけ。

 それだけで他の全てが見えなくなった。

 当の王子の微笑みが義務に殉ずるものであり、引きつっていたことは記憶から抹消されていた。

 恋は盲目。

 ミリエラは王子以外の他全てが見えなくて、微笑まれたことだけが重要で。

 しかし叶わぬ恋と諦め、一度は修道院に入った経緯を持つ。

 王子に許嫁が選ばれたと聞いて枕を濡らした、翌日のことである。


 その許嫁が王子に出会った一日で事件を起こし、婚約解消に至るとは夢にも思っていなかった。

 それでも一度神の道を志したことには変わらない。

 彼女は、愛の神へと深い祈りを捧げるようになった。


 修道院で愛の神を信奉し、敬虔な態度と優しげな態度が印象的な彼女。

 傍目には、誰よりも完璧な神に仕える娘。

 だが、綺麗に整った微笑みの下では………


 恋敵を滅し、思い人を振り向かせよと、黒い祈りを日夜捧げていた。


 外見は白い百合のように清らかなのに、何たる黒さ。

 まさか内心ではそんな罰当たりな祈りを捧げているとは知らず。

 清楚で信仰深い修道女は、多くの信頼と憧憬を集めていた。


 ――神よ、我が恋を哀れみ給え。


 しかし愛の神は寛容で、恋に惑う者たちを守護する。

 その祈りが黒くとも。

 それが恋愛に由来するものであれば、愛の神には充分だ。

 愛の神は、ミリエラの強い祈りを許容した。


 祈りが天へと届いたのか、信仰の道に入って数年で、ミリエラに変化が訪れる。

 神に由来する能力の幾つか……主に、癒しの術を会得したのだ。

 修道院の者達はミリエラの信仰心を褒め称え、良き手本と憧れの目を向けた。

 修道女の鏡と呼ばれる彼女の目には、王子しか映っていない。

 そのことに気付いた者は、誰一人いなかった。


 その人格と能力を買われて、今回の旅路に…勇者の伴に抜擢された。

 表面上平静を装いながらも、内心で狂喜乱舞していたことは言うまでもない。

 苦難多き道のりは、彼女にとって幸いでしかない。

 親類縁者に、貴族の有力が複数いたことも利していた。

 有力者に直々に還俗を促され、今回の任務を仰せつかった。

 これぞ正に神のご加護と、ミリエラの信仰心は鰻登りだ。

 今では気力だけで足の速い旅路について行っていたが…

 道程が一層困難となった魔境にて、とうとう限界が近づいている。

 だが王子を慕う一心で、彼女は肉体の苦痛を忘れつつあった。


 三人の中では最も年長で、精神的に頼られるリーダー格。

 でも身体能力的は並の少女よりも少し劣ってしまう。

 忍耐と持久力はあっても、ミリエラの歩みは遅かった。




「ミリエラ、あなた大丈夫? もう一度、湿布を代えておいた方が良いんじゃない?」

「いえ、大丈夫です。私には癒しの術もありますから……

本来、このようなことに使うべきではないと、気は咎めるのですが…」

「何を言っているんですか、ミリエラ様。我々の目的を考えれば、タイムロスを少しでも減らすという意味で充分に有用な使い方です。今は些末なことは気にせず、ご自身を労ってはいかがですか」

「ちょっとネレイア、あなたまた言葉がきついわよ」

「すみません…」

「良いのよ、二人とも。確かにこれ以上、足手まといになるわけにはいかないもの。

今夜は自分の治癒に努めるとします。一刻も早く、あの方の元へ駆けつける為に…」

「そうですね。私も賛成です」

「全く、貴女達って………本当に、王子様をお慕いしているのね」

「当然です」

「ええ、当然でしょう?」

 焚き火を囲む少女達は、気安くはなくとも親しくはあるようで。

 互いに同じ目的を持つ為か、互いの協力に惜しみはない。

 ミリエラの精神がぎりぎりで保っているのは、二人の仲間が気遣ってくれているからだった。

 特に、他の二人は山歩きや行軍で足腰が鍛えられている。

 きしむ自分の体を情けなく思いながら、ミリエラは自分以外の少女達をチラリと眺めた。

 自分とは趣が異にしながら、それぞれ魅力的な少女達である。

 道なき道を歩む際、誰よりも役に立つエルティナ。

 さり気なくミリエラを庇い、荷物を持ってくれるネレイア。

 健康的な二人の肉体を…特に足腰を、ミリエラは羨むしかない。




 ミリエラが途中で脱落せず、辛うじて付いて行けていた状況。

 それに一躍勝っていたのが、剣を携えた凛々しい令嬢である。

 さり気なく気遣い、庇い、支えているのは元々女性を護衛する立場にいる為か。

 名前はネレイア、王に仕える筆頭騎士の娘。

 自身も父に倣って剣の道を志す娘であるが、内心は仄かな恋心に揺れていた。


 田舎の領地にいた頃、いくらかの手ほどきを父に受けたことはあった。

 しかし自身が剣の道に進もうなどとは、十年前には露程も思っていなかった。

 その彼女の考えを変え、剣の道に進ませたのが誰あろう王子であった。


 父や父の弟子達の剣を見る為、彼女はあの日、王城へと足を運んだ。

 訓練場では多くの兵や騎士達が鍛錬に励んでいた。

 だけど彼女の目を奪い、他に向けさせなかったのは父でも、父の弟子達でもない。

 他のどんな剣の使い手でもなく、日の光の下で誰より輝いていた王子。

 その凛々しい横顔の、目を見張る麗しさ。

 まるで鮮烈な光を目にしたように、一時(いっとき)目が眩んだ。

 その王子の剣技が、訓練場の誰より優れた物だと気付いてからは夢中になった。

 来る日も来る日も王城へ通い、訓練場へ詰めかけて王子が鍛錬に来るのを待った。

 その視線に王子が怯えているとも知らず。

 熱視線に晒されることの多い王子は、女性の視線に危機感的な意味で敏感だった。


 ネレイアの熱すぎる視線に曝され、王子が訓練に来る時間は日増しに短くなっていく。

 そして、時間帯も夜へとずれていった。

 夜、王城の中にいられるのは限られた者のみである。

 外部の人間は退去の時間だ。

 しかし王子の姿に憧れ、胸を焦がす少女の決断は早かった。

 王子の希望虚しく、少女は諦めるのではなく一歩踏み込んだ。

 そう、剣の世界へと………王子の姿を、より傍で垣間見る為に。


 似たようなことを考えた者が多いのか、近年、王城に仕官を望む女性が増えているという。

 剣の道を選んだ少女達の中で、抜きん出た実力を目覚めさせたのがネレイアだ。

 その才能に上層部の者が目を留めるのに、時間はかからなかった。

 残念ながら女性騎士やその見習いの職分は高貴な女性の護衛と限定されている。

 とある王族の夫人付き護衛にはなれたものの、王子に近づくことは敵わなかった。

 でも夜の訓練場で、他の令嬢達よりも多く王子の姿を拝見できた。

 今ではそれが、何よりの楽しみである。


 当の王子は、夜の訓練場で女性と接近することに危機感しか感じていない。

 あまり近寄りたくなかったので、鍛錬の場所を他に移すことを検討中であったが。


 王子が剣だけでなく多少の魔法も使えると耳にしてからは、更に魔法の研鑽にも手を伸ばした。

 少しでも共通点を得て、近づきたかったのである。

 珍しいことに、彼女には僅かに魔法の才能があった。

 魔法が使える人間は、滅多に見つかるものではない。

 更なる才能を見せた彼女は、初級に限ってではあるが、ある程度の魔法も使えるようになった。

 今は魔法剣士と名乗れる自分を目指し、修行中である。


 だが、剣に加えて魔法まで使えるという自信は、本人が気付かぬ間に高く育っていた。

 その自信を粉々にしてくれた魔境を前に、悔しさは底知れない。

 自分であれば、この鍛えた体であれば、容易く踏破できると考えていた。

 それが浅はかな考えであったと突きつけられる苦しみ。

 未だ追いつけない王子が、この道を単独で乗り越えたのかと思うと……

 自分が追いつけない寂しさ、置いて行かれる辛さに苛まれる。

 それと共に王子への憧れが更に募るのだから、乙女心はどうしようもない。



 

 ネレイアは焚き火を眺めるふりをして、チラリと仲間……仲間であり、恋敵である二人を見る。

 たおやかで穏やか、そして淑やかなミリエラ。

 若木のようにしなやかで、身ごなしの洗練されたエルティナ。

 いずれも有能であり、自分とは違う才能に溢れている。

 この険しく苦しい道を踏破するのに必要な人材でなければ…

 そして身分が上の相手でなければ、ネレイアがここまで庇い、気を遣うことはなかっただろう。

 だが必要だと分かっているからこそ、敢えて助け合いに身を委ねる。

 王子の前に魅力的な他の二人を連れて行かなければならない。

 渦巻く葛藤を抱えながらも、ネレイアはそれを表面に出さない。 

 親切ぶって気を遣いながら、複雑な感情を抑えて感情を制御する。

 そんな自分を苦々しく思いながら、ネレイアは己の態度を変えられずにいた。


 ネレイアのコンプレックスは、己が令嬢らしくないことだ。

 こればかりは好みの問題だが、王子が令嬢らしい女性を好きだったとしたら…

 王子を見つめていたいという自分の欲求ばかりに気を取られ、自己研鑽を積んだ日々。

 ネレイアは王子の好みを探ることも、それに自身を近づけようと努力することもなかった。

 思い至らなかったとも言う。

 もしも万一、王子の好みにこの二人の何れかが合致してしまえば…

 ……その時、ネレイアは、己が何をするか自信がなかった。



「ところで、あの方々は…?」

「ああ、あの二人(・・)ね」 

 夕餉の支度を調えながら、青年が顔を上げる。

 サイと名乗った彼は、ゆっくりと鍋をかき混ぜ微笑んだ。

「アスター達なら、エルティナさんが道の確認行っている間に別の方向を見に行ったよ」

「別の方向…? 何か必要があったの?」

「うん。悲鳴が聞こえたんだ」

「悲鳴!?」

「うん、悲鳴。とは言っても随分遠くからだったし、そこまで切羽詰まった叫びじゃなかったから。でも一応、様子見だけはしとかないとね」

 ゆったりと言いながら、サイが笑う。

「それで僕は、この場に待機して皆を庇うよう言われている訳」

「そこまでしていただく必要など…」

「あれ、ネレイアさんは有事の際に他二人を一人で守り抜く自信があるの?」

「……………」

「エルティナさんは弓を使うでしょ。でも接近戦は弱い。

だからもしもの時は僕と、ネレイアさんで二人を守らなきゃ。一人で一人ずつ、丁度良いでしょ?」

「私、そこまで足を引っ張るつもりはないけど。

戦うのに不安があっても、逃げるのならこの健脚でどうにかするわ」

 あまりにも自分達が見くびられている気がして、サイの余裕の笑みが腹立たしかった。

 剣と弓を有する二人の少女は面白く無さそうな顔をする。

 露骨に不服と描かれた表情に、サイは緩く笑うのみ。

 少女達が裏側で、恋敵の陥れ方をじっくりと練り込んでいることなど、まるで気付いていない顔。

 あまりにも凡庸に見えて、ネレイアは眉をしかめた。

 そんな態度を見せながら、この男の実力は自分以上。

 敵を前にした時、それを思い知らされる。

 より実力を有する騎士達を前に比較され、自分の実力が貶められるのではないか。

 一方的な不安から、ネレイアは強くサイを睨んだ。

 ほんの少し前、相手が自分達の命を救ったことも投げやって。



 邪悪な思惑を有する、彼女達の視線。

 巧みに表の顔で覆い隠され、決して露骨に見えはしない。

 それに気付く者はいないかと思われた思惑。

 だけどそれに気付きながら、黙って様子を見守っている少女が一人。

 弓を携えて森を歩くに熟達した少女、エルティナである。


 彼女は獣のような勘でもって、己に向けられる悪意を一瞬で把握してしまう。

 加えて、エルティナは一度も自国の王子に会ったことがなかった。

 その為、彼女の頭は他の二人に比べると冷静に冴えていた。

 このまま王子の元を目指すのが、危険ではないかと考えるほどに。


 エルティナは王子を見たことがない。

 いくら話で美しいだの強いだのと聞いても、実際に見ないことには理解できない。

 その言葉や眼差し一つで一喜一憂する仲間達の心情が理解できずにいた。

 エルティナの目から見ても、ミリエラやネレイアは魅力的だ。

 その魅力を持ってして、靡かない男がいるとは信じられなかった。

 そしてそんな価値を見抜く目もないような男は、願い下げてしまえばいいのにとも。

 そう口にしたエルティナへ向けられたのは、仲間達の「わかっていないな」という失笑である。

 どうしてそこまで首っ丈になれるのか、実物を知らないエルティナには分からない。

 ただ、会ったら自分も変わってしまうのかと恐ろしく思った。


 エルティナは貴族とは名ばかりの、森の領主の家に生まれた。

 幼少の頃から森に親しんだ暮らし。

 放蕩者の叔父が森番として暮らしており、その生活に転がり込んだのが十歳の時。

 以来、叔父の後にくっついて森の中を動き回る生活だったのだが…

 母方の親戚に、どうやら大物がいたらしい。

 淑やかな令嬢ではなく戦闘に耐えうる貴族令嬢を探すという、奇特な状況下。

 森に親しみ、弓で獲物を追い過ごしていたエルティナに白羽の矢が立った。

 選ばれてしまったエルティナは、初めて見聞きする物や得難い体験に目を輝かせはするけれど…

 王子に宛がわれるという立場が、嫌で、嫌で仕方がなかった。


 エルティナの両親は、恋愛結婚だ。

 自由奔放に森で育った彼女にしても、結婚は恋愛前提なのが当たり前である。

 だというのに、実際に会ったことのない王子など興味を持てるはずもない。

 いや、最初に話を聞いた時には、年頃の少女らしく胸をときめかせもした。

 だが実際に王城へ上がってみると、既に王子は選ばれた少女達を置いて出立した後。

 しかも王城にはいる、いる、わんさと王子に懸想する女であふれかえっているのである。

 自分よりも余程魅力的な少女達が、王子に夢中で他に目を向けもしない。

 男達は頭を抱え、それを女達が冷ややかに見下す。

 そんな状況を作り出した王子という男は、どれだけ節操がないのか。


 エルティナは、王子は女たらしだという大いなる誤解をしていた。


 そして今も、その誤解に包まれたままである。

 それを好都合と取ったミリエラとネレイアも、特に訂正することはなかった。


 幾ら話に聞いてはいても、実物を見たことのないエルティナは話半分にも信じていない。

 噂に聞く様な、そんな人間がいるとは思えなかった。


 それでも国に命じられれば、従うしかない。

 エルティナは旅慣れない二人を引っ張る形で、国を出た。

 しかし道を進めば進むほど、旅は困難になっていく。

 とうとう魔境に辿り着いた時には、自分達の実力不足でいつ誰が死んでもおかしくない状況だ。

 森に潜むに長けたエルティナ一人であれば、生き延びる自信はある。

 だけど身を隠すどころか、敵の気配にも鈍いミリエラやネレイアがいては……

 何とか場を改善せねばと思っても、上手くいくはずもなかった。


 そんな彼女達を折良く救ってくれた相手が現れるとは、思っていなかった。

 実際に頼れる相手を前にして、精神的に縋ってしまうことはおかしいことじゃなかった。

 エルティナは、噂だけで知る王子よりも目の前にいる青年達に目を向けた。

 彼女にとっては王子よりも、窮地を救ってくれた相手の方が輝いて見えた。




 ほんの少し前、時間にして一月程前に出会ったばかり。

 それでも彼ら(・・)と行動を共にしようと決めたのは、命が惜しかったから。

 少しでも生き延び、助かる確率を上げたかったから。

 険しい道、強い敵。

 引き返そうにも意地になり、引き返せないジレンマ。

 仲間達は先へ先へとそればかりで、自分達の危険を顧みない。

 このままじゃ危ないと、誰もが分かっていたはずなのに。


 行き詰まっていた彼女達の、そんな窮地を救ったのが彼らだった。


 魔境の魔物に襲われ、逃げ切れないという局面。

 死を覚悟した彼女達の窮地を颯爽と駆けつけ、救ってくれた青年達。

 救世主の如きその振る舞いは、女性の悲鳴を聞きつけたが故。

 救われない女性がいれば助けるべしと、男達は馬を駆けさせた。


 丁度危地に居合わせ、助力してくれた彼ら。

 辺境の国々は、魔境に接する分強い魔物に悩まされている。

 自然と騎士達は鍛えられ、強いとは聞いていた。

 だけど…実際に目の当たりにすると、その姿の格好良いこと。

 殺されそうなところを駆けつけ、救って貰ったと言うだけでも眼鏡に色が付いてしまう。

 この上更に男達は、若く、たくましく、そして親切で紳士的だった。

 顔も、それぞれ悪くない。

 エルティナ以外の二人…王子に心を奪われているミリエラとネレイアは見向きもしないが…


 エルティナは、彼らの内の一人が気になって仕方なかった。

 窮地に一番に駆けつけ、そして一刀のもとに魔物を倒してくれた男。

 あの時の昂揚が、今でも忘れられない。


 女だけでの旅という、無謀の極み。

 重ねて向かう先が魔境の奥地だという危険。

 放っておけないと感じたのか、男達は同道を申し出てきた。

 どうせ向かう先が同じだということもあった。

 下心や含む物がないかと、年頃の女性達は強い警戒心を持ったが…

 最終的に、必要に迫られるほどの危機感が物を言った。

 この過酷な魔境、女達だけで渡り歩くには確かに危険すぎる。

 命を落とすような目に…死に目に遭いそうになったことは一度や二度ではもうきかない。

 そんな彼女達の前で、男達がその強さをまざまざと見せつけたのも効果的だった。

 危険を少しでも減らし、より確実に安全に先を急ぎたい。

 そんな彼女達の思惑を考えれば、男達と道行きを同じくすることは必然であった。


 こうして、今は六人。

 王子を追う貴族の令嬢達は行きずりの騎士と合流し、魔境の奥を目指す。

 エルティナ達を救い、行動を共にする騎士達。

 彼らは自身を、シェードラントの騎士と名乗った。

 魔境を歩むその目的は、彼女達と同じく王子に……勇者にあるという。


 …彼らは以前カーバンクルの狩り祭騒動で、勇者達と縁を結んだ。

 名前をアスター、ベルガ、サイ。

 リアンカが兵士A、B、Cと呼ぶ、三人の騎士達であった。



「…あ、戻ってきた」

 サイの呟きに、令嬢達は顔を上げる。

 見れば、確かに木々をかき分けて歩いてくる男達がいる。

 背の高い二人の青年は、誰か見知らぬもう一人を連れていた。

「………どなたですの、その方」

 おっとりと首を傾げながら、困惑がミリエラの声に混じる。

 それは焚き火を囲んでいた全員の持った疑問。

 疲れたような顔で、戻ってきた青年の一人…ベルガが、応じる。

「この先で丸太に縛り付けられ、傾斜のきつい坂を転がっていた。一応…人間らしい」

「まるた………丸太? え、転がってって、どんな?」

 想像してもしなくても、異常な光景だ。

 困惑がより強まり、見知らぬ人間への警戒が高まる。

 だけど警戒を向けられた男は、向けられた警戒にも無頓着で。

 想像以上の軽さでもって、大きく口を開けた。

「あーもう、変な光景だったよ! 我ながらアレはないと思ったね」 

 丸太で転がるという苦難を乗り越えた男の口調は、どこまでも軽く明るい。

 泥だらけの汚れた姿をやんちゃ坊主のような印象へと変えてしまう。

 誰に勧められるよりも先に焚き火の前に腰を下ろし、体を懲りほぐすように背伸びを一つ。

 きょろりと周囲を見回し、留守番をしていた顔ぶれを確認する。

 自分が上手いこと美少女二人の間に腰を下ろしたことに気付いて調子の良い笑顔を浮かべた。

「お姉さん、美人だよね。よく言われない?」

「え、えぇ?」

 いきなり軽口を叩かれても、ネレイアだって戸惑うだろうに。

「凄いな、背筋もビシッとしてて、鍛えてるって感じ? 戦うお姉さんなんだ、格好いいよね~」

 誰に同意を求めているのだろう、この男は。

 途惑いと正気を疑う目が、殺到している。

 注目を受けた男はへらりと口元を弛めて笑った。

「あ、そういや助けて貰ってありがとね。助かった~」

「いや、それは良いが…あんた、大丈夫か?」

 言外に頭は大丈夫かと、アスターは尋ねたつもりだった。

 だけど男はへらへら笑うだけ。

 ああ、これはかなりキてるなと、アスターは勝手に判断した。

 別に丸太で転がった後遺症ではない。

 この男は、元からこういう男なのだ。

「あの、あなたは…?」

 恐る恐ると、得体の知れない男に正体を問う声が上がる。

 へらへら笑っていた男は懐から手ぬぐいを取り出し…

 それもまた泥まみれだったことに顔をしかめ、近くにあったサイのタオルを勝手に使う。

 厚かましい。

 しかしそんな行動が何となく様になっていて、憎めない。

 タオルで顔を拭い、泥を落とした顔は想像以上に若く、整っていた。

 美青年と呼べるほどではないが、精悍に引き締まっている。

 よく見れば細い体躯も程良く筋肉が付いており、体を普段から使い鍛えているのが窺えた。

 出るところに出れば、それなりにもてるのではないか。

 魔境で遭遇するには場違い感のあった男は、素顔が更に場違いだった。

 注目される中、複数の視線にも(ひる)みなくニッと笑う。

 男は名乗った。


「俺はサルファ、軽業師のサルファだ。よろしく☆」


 男の肩書きは、更に場違い感が凄まじかった。



 


サルファが丸太で転がっていた経緯


 ある日の崖の上、サルファとマルエル婆。

「ばあちゃんっ ごめん勘弁してっ!!」

「五月蝿いわ、この馬鹿孫! 次に修業さぼったら勘弁しないって言ったのにフラフラと! おまけに妖狼族のお嬢さんに声をかけまくってるんだって!?」

「なんで知ってんの!?」

「妖狼族から苦情が殺到してんだよ! うちの娘に軽薄な男がちょっかいかけてるって! 祖母(ばあ)ちゃん、もう情けないったらないよ!」

「もうしない! マジもうしないって!!」

「往生際が悪い! 観念しな!」


「あぁぁぁぁぁああああああああああああっっ!!」


「転がって反省するんだね! まったく!」

 こうして、サルファは坂の下へと消えた。


 Q.どうしてサルファは丸太で転がってたの?

 A.マルエル婆の過激な愛の鞭



 次回予告☆

 

「勇者様、なんで木から吊されてるんですか…!?」


 次回、いつものノリとテンションに戻ります。

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