19.従者襲来そのに
正気に戻った勇者様の行動は迅速でした。
いつの間にやらその手には、準備万端と中身の詰まった肩掛け鞄。
「ちょっと女性の足では到底到達できそうにない場所まで修業に行ってくる!
そうだな、帰りの予定は二ヶ月後で!」
「逃げる気だ、此奴!」
「リアンカ、良い場所を知らないか!?」
「えーと、それじゃレディ・ウルスラの谷はどうでしょう。谷全体にレディの呪いがかかっていて、結婚願望のある女性は谷に足を踏み入れることができないそうですけど」
「地図は!?」
「此処にありますが」
「助かる!!」
しゅたっと清々しく走り去ろうとする勇者様。
だけどその逃亡は阻止されてしまいました。
勇者様の服の裾をがっちり掴んで離さなかった人がいたからです。
それは、意外や意外、アディオンさんで。
「お待ち下さい、殿下!」
「う、裏切るのか、アディオン…!?」
「いえ、そうではありませんが」
そう言いつつも、彼は勇者様の服をがっちり掴んで離さない。
それどころかもう片方の手で勇者様の腕を掴み、拘束を強めます。
戸惑う勇者様に、誠実な顔で従者さんは言いました。
「そうではありませんが、お待ち下さい。お伝えすべきことはまだあるのです」
理性的なその目に冷静さを取り戻したのでしょうか。
まだそわそわしながらも、勇者様は再び着座しました。
あまりにもそわそわしているものだから、まぁちゃんなんて呆れ眼も露骨です。
「そんな取り乱さなくとも、まだ最低三日はあるって言ってたろ。
今ほんの少し話を聞いても、あんま差し支えないんじゃねーか?」
「まぁ殿には分からない。この身の内側から燃やし尽くそうとする焦燥なんて…!
今までは自分を宥めて出方を見ていたが、実際に近づいているとなったら危機感が半端ないんだ!」
「………いや、そんな深刻になるよーなことか?」
勇者様の抱える不安は、私達には一生分からないと確信しました。
共感できない恐怖に襲われる勇者様を、何とか取り押さえ。
というか、埒があかないとまぁちゃんが簀巻きに縛り上げ。
その扱いに従者さんが抗議するというドタバタを交えつつ。
再び今度は母さんが運んできたお茶で一服、呼吸を整えて。
…結構、私達も悠長ですね。
お茶どころではない勇者様に、強引にお茶を飲ませながら。
そんな私達に胡乱な目を向ける従者さんは、伝えるべきことを切り出しました。
「…あの時、殿下が勇者に選ばれた際。すっかり私も動転してしまい、殿下と二人、旅立たねば旅立たせねばと焦っていました。ですが私達は、急ぎすぎ、焦りすぎてしまったのです」
「勇者様ー、なんか従者さんが回想に入ろうとしてますよー?」
「しっ リアンカ、水は差さずにまずは聞いてみよう」
「………今頃、冷静になってきたんだが…なんで、まぁ殿までいるんだろうか」
「あなた方、話を聞く気があるんですか!? なんです、殿下まで…!」
水を差しまくった私達に、アディオンさんは驚愕顔。
この程度の自由さで驚いてたら、身が持たないよ?
私達はともかく、主の勇者様に向ける従者さんの目が凄い。
凄い、不信感に充ちています。
「………殿下、この数ヶ月、あなた様に何が…」
以前は決して、このような落ち着きのない方ではなかったのに、と。
そう仰る従者さんですが、落ち着きがないという意味ではあまり変わらないような…
結構前から、全力でコツコツとツッコミくれる人だった気がしますが。
………一緒にいるから変容に気付かないだけかな?
「それで従者さん、何があったんですか?」
「今更ですが、あなた方は無関係ですよね?」
「まあまあ、細かいことは気にすんなよ」
「そう言う貴方が何者かも私は知らないのですが…」
私はこの家の娘と紹介済みだけど、まぁちゃんに関しては誰も何も言っていません。
勇者様に至っては、とても言えないという風で顔を逸らしていますし。
その素性、耳にしたら度肝を抜くよ?
抜いてあげましょうか、勇者様の時みたく!
暴露してみようかと、まぁちゃんに視線をチラリ。
どうしようかと視線で問うと、まぁちゃんが微かに首を横に振る。
――ややこしくなるから、話を聞き出した後にしよう。
まぁちゃんの目が、そう言っています。
それもそうだと思ったので、私は話の聞き役に徹することにしました。
「…という訳で、此方は気にせず続きをどうぞ?」
「どうぞと言われて、早々気にせずにいられるようになるとでも…」
「アディオン、俺が焦りすぎていたというのは、一体どういう?」
「え、なるんですか!?」
私の言葉に応じて、最近会得したスルースキルを発揮した勇者様。
その反応に驚愕するアディオンさんは、それでも主に促されたからでしょうか。
私達のことを気にしながらも、先程言いそびれた続きを口にしました。
「私も人のことは言えませんが…殿下、お忘れでしょうか。今年がどういう年に当たるのかを」
「なに…?」
「此度の勇者の出立、女性の随伴から逃れる為に迅速なものとなってしまいました。
ですが本来であれば出立は来年、と祖国の上層部は考えていたのです」
「……………は?」
わあ、勇者様ったら超勇み足!
本来の予定より一年も早く旅立っちゃうとか!
勇者様ご本人は寝耳に水の話だったらしく、怪訝な顔です。
そんな勇者様に、アディオンさんは悲愴な顔で続けました。
「勇者様を追い、旅立った三人のご令嬢…彼女らは、旅の伴ではなく使者として旅立ったのです」
え、それって話と違う…ような?
勇者様と共に戦う為じゃないってどういうことですか?
何の使者なのかと私達も首を傾げてしまいます。
そんな此方の疑問など関係ないとばかり、従者さんは言いました。
「彼女達はその手に『双転石』を携え、殿下に王国へとお戻り頂く為に来るのです」
「…!?」
「え、双転石?」
「それはまた珍しいというか、金を使ったな」
驚く勇者様の隣で、私達はごちゃごちゃと。
それなりに驚いた、双転石の存在に意識を引っ張られていました。
魔境には、強い魔法の込められた様々な道具があります。
それぞれ、込められた魔法に応じて不思議を発揮する道具。
だけどそれとは別に、それ自体が不思議を有した物体がこの世にはあるのです。
いつから、どんな経緯でそういう存在であったのか、誰も知らない不思議な物質。
双転石も、その一つ。
人が弄らずとも、そのままそこにあるだけで、初めから不思議を有する石。
双転石は大陸南西の外れにある海岸線で採れると聞きます。
二つで一つの対になった緑の石で、引き離しても強く引き合う力を持っているそうです。
大きさに応じて有効範囲は変動するそうですが、不思議な力を一つ持っています。
それは、転送の能力。
石を引き離し、片方に強い衝撃を与えると、もう片方の石の傍へと『跳ぶ』のだとか。
それはまるで、危険から逃げる様に一瞬で跳躍する…つまり、瞬間移動ですね。
しかも石に接触している物も引きずって跳ぶといいます。
引き離さないといけないので時間と手間がかかりますが、それでも充分に便利です。
何しろ、遠く移動しても戻る時は一瞬で帰ることができるのですから。
遠距離移動や緊急避難用、運搬用に有効活用できる石として有名です。
使用するまで衝撃を加えないように注意しないとならないので、扱いには気を遣いますが。
石に衝撃を与えない為の専用の容器もあるといいます。
勇者様を追ってくるお嬢様達も、きっとそうして運んでくるのでしょう。
確実に、勇者様を王国に連れ戻す為に。
そんな不思議な小道具。
当然ながら、高いです。
量が採れる訳じゃないので、凄まじく希少だと耳にします。
しかも魔境から西の果てにある勇者様の国までの、超遠距離。
更に複数人の人間を転送できる石となると………
滅茶苦茶高いです。絶対にべらぼうに高いです。
数がない上に産地が遠いという理由で、魔境では見ない石です。
実物を見たことはありませんが、物のお値段くらいは予想できます。
似たような効果を宿した道具が代わりに普及しているので、魔境で需要はありませんけれど。
それでも自然とそういう力を持っている道具は、得てして効果が強い物。
実物が見られるというのなら、ちょっと見てみたい感じですけど…。
でも、そこまでして勇者様を王国に連れ戻したい理由って?
不安げに、落ち着かない勇者様。
焦る顔に、冷や汗が流れ落ちます。滴ってます。
息を呑む彼に、答えは示されました。
「殿下、もう一度言いますが、今年が何の年かお忘れですか?」
「今年…」
「では言い方を変えます。今年は、陛下の在位何年に当たる年でしょうか」
「…………………………っ」
勇者様、沈黙が長いよ…。
はっと顔を上げ、閃きを見せてくれましたけれど。
本気で忘れていたことを知り、従者も苦い笑顔。
でも、貴方も人のことは言えないんですよね?
「勇者様、今年は何か特別な年なんですか?」
「ああ…」
勇者様は、躊躇いなく肯定しました。
さて、その特別ってなんでしょう?
「今年は、父上……故国の王陛下が即位してより、十年」
「つまり?」
「在位十年目を祝う、式典がある年だ…!」
「わあ、式典ですかー。華やかで良いですねー」
「君の感想はそんなもんなのか!?」
「いや、だって私には遠い異国の他人事ですし」
「リアンカには他人事でも、俺にとっては身近なことだから。俺は、父上の子で王子。
世継ぎの王子がどんな理由であれ、自国の節目を言祝ぐ式典欠席なんて…!」
例年ならまだしも、在位十年の慶事を無視する訳にはいかないと、勇者様は頭を抱えます。
悲壮感たっぷりですね。
ばっくれることもできないんですか。
「…権威とか、面子の問題ですか?」
「それもあるのは否定しない!」
潔く認めましたね、勇者様。
認めたけれど、でもそれだけでも無さそうな顔です。
色々としがらみのある立場ですからね。
言葉にできないこともできることも、きっと沢山あるのでしょう。
国王の在位十年という節目を祝う、故国の式典。
勇者様は王子として、その式典に出席しない訳にはいかないらしく。
全然待って無いどころか逃亡したい、自国からの使者。
逃げ出したいけれど、使者と合流しないととても式典には間に合わないそうです。
逃げずに待っていなければならない状況に、身悶えするほど苦しんでいました。
式典に参加する為に、国が彼へと使わした使者。
その使者達が自分狙いの女性達だと、不幸にもわかっているせいで。
ドンマイ、勇者様。
良いことがあると、良いね…。
ゆうしゃ は にげみち を ふうじられた。
ゆうしゃ は にげられない!




