18.従者襲来そのいち
センさんがハテノ村に取り込まれてから、少し時間が飛びます。
そしてセンさんが存在を示唆していた、勇者様の従者の到着です!
夏が近づき、緑も青々と生い茂る。
爽やかで、とても過ごしやすい時期がやってきました。
春と夏の狭間の、束の間の平安。
そんな時、私達の村には新たな来訪者があったのです。
剣士センさんが魔境にやって来て心を折られてから、1ヶ月が過ぎ去りました。
センさんに追っ手の存在を示唆され、そわそわしていた勇者様。
でも一月もすると、気が緩んだのでしょうか。
今は情報を得た時ほどの取り乱しもなく。
また、センさんが来る前と変わらぬ生活を送っていました。
魔境に馴染めないと思っていた勇者様でしたが…。
それが自分より後に来たセンさんと比較して、自分が思ったより馴染んでいた現実に直面。
お陰で一時期、元気がありませんでしたが…今は、大丈夫。
勇者様は相変わらずメンタル面が弱くても、復活は早いので。
元気を取り戻すと言うよりも吹っ切れた感のある勇者様。
空元気か、あれから見違えるように前向きです。
魔境に慣れてきたと言うよりも、どことなく投げやりになっただけのような気……
…まあ、しなくはありませんけど。
馴染むのは良いことですよね。
勇者様、まだ魔王討伐を諦めてないみたいですけど。
無駄な気がするのは私だけでしょうか。
でも勇者様、どうするんでしょうね?
すっかりまぁちゃんと打ち解けているんですけど。
その関係を見るに、もう殺し合いとか無理でしょ?
――そう尋ねてみたら、こんなお答えが返ってきました。
「とにかく、実状はともあれ倒したという形式と名目がいる。生死の有無は別にして」
「それなら、こないだオセロで3連勝して綺麗な螺鈿の短剣巻き上げたのとかじゃ駄目なの?」
輝かしい勇者様の実績を口にしてみると、嫌そうな顔が返ってきました。
「流石にボードゲームの勝敗で『倒した』とは言えないだろう。
そう豪語するほど、俺は厚かましくなれないから」
素直で誠実で、ちょっと融通が利かなくて。
そんなところを目にすると、なんだか「ああ、勇者様だなあ」と思います。
『勇者』という肩書きを持って魔境を訪れる命知らずは時として現れるものですが。
私達にとって『勇者』とは目の前にいる彼、ライオット・ベルツ君を差す言葉。
その、代名詞となりつつあると自覚していました。
あまりにも穏やかに、ゆっくりと。
魔境の落ち行く夕暮れみたいに、ただただ大きく穏やかに。
私達ののんびりとした平和な日々は日常化して、緩やかに過ぎていました。
勇者様に女難という、大いなる災いが影を落とすまで。
魔境は、まぁちゃんやせっちゃんもいるし。
美形や魅了に対する耐性も、人間の国の人たちよりも遙かに高いし。
勇者様の心に受けた傷だとか、女性不信になった経緯だとか、その他諸々の厄災だとか。
その真髄を、私達は理解していませんでした。
何の気もなしに雑談の中、勇者様からお話を聞くことはありました。
でもそれらに私もまぁちゃんも、「え、そこまで?」と思って驚いて、首を傾げるばかり。
魔境では過激に発展することも少ないので、話半分の誇張前提で拝聴していたんですけど…
………まさか、誇張0だったとは。
まぁちゃんは、強いし魔王だし。
それに周囲の対人関係や自分の魅了効果について、重々注意してたから。
だから、悲劇に発展することなんて一度も無かった。
そんなまぁちゃんと、無力な人間の幼子 (過去の勇者様)を、一緒にしてはいけないと学んだ日。
勇者様をとっても振り回し、疲れさせた災いの日のはじまりです。
第一の来訪者は、朝早く。
警告知らせる雄鶏の時告げよりも、ずっと早く。
夜の明けきれぬうちに、村へと巳を滑り込ませました。
その来訪を知らせたのは、犬。
四軒隣のエリザベスさん(48)が溺愛する愛すべき馬鹿犬、アレキサンダーの盛大なる吠え声が、村中の犬の唱和を伴ってサイレンよりも過激に響き渡りました。
なんだ、何事だ。
火事か喧嘩か雷か。
近づく夜明けに覚醒間近だった村の衆が、一斉に目を覚まし。
蜂の巣をつついたような騒ぎになりました。
そして私達は、多分ミツバチじゃない。
敵の撃退よりも何よりも、先に興味本位と野次馬根性がぴこんと飛び出して。
まるでお祭りの様に、村全体で騒ぎ立てたのです。
人間の村とはいえ、特殊な立ち位置にあるハテノ村。
轟き渡る別名は『人類最前線』なんて村ですし。
何か有事の際には魔族も助けてくれるし。
何よりも、この魔境において私達の村を襲う馬鹿はいないと。
貴重な交易・交流の場所である、私達の村を襲う馬鹿はいないと。
私達は己で、きっちりとそれを知っていたのです。
1人だけ異常事態に身を固め、剣を握って警戒する勇者様。
周囲の状況に気づいた彼は、1人だけ浮いている事実に難しそうな顔をして。
次いで諦めたように溜息を吐くと、自分だけ場違いなことに気恥ずかしそうな顔をしたのです。
そんな彼がこの騒動の当事者であり、異変の元凶とは他人面をできなくなるとは。
彼が血相を変えるまで、あと十分。
それは、若い男性の声を伴って変化を促した。
「殿下、殿下はこちらにいらっしゃいますか!?」
興味本位と物見遊山、物珍しがって面白がった村のおじちゃんおばちゃんに取り囲まれて。
狼狽しきりのその声は、果てしなく困って取り乱していた。
その声を聞いて、勇者様の顔色が変わった。
目を極限まで開いて驚きを露わにした後、はっと我に返ると一目散。
慌てに慌てて、人垣の中へと飛びこんでいった。
どうやら変事の元凶は、勇者様の知っている方のようです。
勇者様(=村長宅)の客だということは、瞬く間に広まって。
面白がっていた村の衆は、途端に興味を失った様に三々五々。
だけどあれは、諦めた訳じゃなさそうです。
多分、後で詳細を村人という村人に尋ねられるのは確定でしょう。
…質問されまくって、その都度に答えるのも手間だよね。
取り敢えず、今回の騒動を詳細に観察して、レポートを書こう。
そしてそれを回覧板で回そうと、私は村人に囲まれないで済む方法を模索しました。
今回の、犬の吠え声騒動の顛末。
勇者様を捜して村に現れた何某が、勇者様と連絡を持とうと特殊な合図笛を鳴らしたところ。
人間の可聴域を超えるそれに、犬が反応。
特に自制心のない馬鹿犬アレキサンダーは反応が顕著すぎました。
過剰とも言える興奮を示し、制止を振り切って吼え始めた。…と。
私がそれを教えてもらい、回覧板が完成したのは翌日のことでした。
その人の名前はアディオンさん。
アディオン・ロベルと名乗りました。
年の頃は勇者様やまぁちゃんと同じくらい…20歳前後に見えます。
青いような緑のような、不思議な色合いの瞳が印象的でした。
そして全身から漂う、おっとりとした雰囲気。
まるで虫も殺せない、穏やかなだけの優男にも見える姿。
優しそうに見えるけれど…そうとは、限りませんよね。
姿形と内面の違う者なんて、魔境にはごろごろしています。
見た目通りではないと、そんな人達を多く見てきた目が感じ取っていました。
彼は遠い西の果てから、この魔境まで単身やって来た男です。
何となく、油断できない『できる男』なんだろうなって。
彼に接する勇者様の態度から、それを察しました。
勇者様を「殿下」と呼んだこと、そして勇者様が (村人の肉壁に)救援に向かったことからも察せられる通り、勇者様のお国の方で。
もっと具体的に言うのなら、王子としての勇者様の側近に当たる方だということです。
それってつまり、お国では結構な偉い人ってことですか?
なんでそんな人がこの村に…
それよりもっと偉い勇者様が滞在数ヶ月に及んでいることも、勇者様が主なら従ってもおかしくないことも。そもそも勇者様がお国では王子という事実さえ。
普段日頃ののほほんとした日常に毒されて、私の頭からはこの時すぽーんっと抜けておりました。
そう、勇者様を追いかけて従者やら追っ手やらが来るという話すら私は忘れていたのです。
胸中は、お偉いさん相手にやっちまったぜという気まずさで一杯です。
でもそんなことも気にしてられないので。
勇者様と側近さんの会話に当然のような顔で混ざることにしました。
場所はうちの応接間(つまりは居間)だし。
「お茶が入ったぞー」
三角巾にエプロン姿のまぁちゃんが、お茶を持ってきました。
「あ、まぁちゃん……あれ、何でまぁちゃんがお茶?」
「伯母さんが持ってけって」
「すまない。ありがとう、まぁ殿」
恐縮して受け取る勇者様に、お盆を渡し。
まぁちゃんは自分と私のお茶を回収すると、私の隣に腰を下ろしました。
「……………」
さり気なくまぁちゃんまでいるんだけど…魔王が聞いて、大丈夫な話なのかな?
勇者様も止めないあたり、まぁちゃんが近くにいることに違和感無くなっているんだろなー…
勇者様が『勇者』の使命を果たせるのか、色んな意味で心配になりました。
チラチラと私達の方を気にしながらも、気が急いているのでしょう。
アディオンさんはがばっと頭を下げて、開口一番叫びました。
「申し訳ありません、殿下!」
「………いきなり謝られても、意味不明なんだが」
まあ、茶でも飲んで落ち着けと。
勇者様がお茶を勧めるんですけど…
「それどころではありません! 足止めは、足止めは充分にこなすことができず…
後三日から一週間の間に、彼女達が来てしまいます!」
勇者様の手から、カップがこぼれ落ちました。
勇者様、硬直。
時が、確かに止まりました。
アディオンさんは悔やむ顔で、もっと長く留めてはいられなかったと詫びています。
いや、数ヶ月足止めした時点で、結構凄いと思うのだけど。
彫像と化した勇者様には、その謝罪も届かず。
そしてアディオンさんへの言葉も、出てくることはありませんでした。
完璧、埴輪勇者の再来でした。
この時になってようやっと、ですが。
私はようやく、先だってセンさんがお知らせしてくれた警告を………
勇者様を追って、三人の貴族令嬢が来るかも知れないという話を、思い出していました。
その直前、先触れとして現れるだろう、勇者様の従者の存在も。
つまり、此奴です。
アディオン・ロベル。
彼の引き連れた嵐は、村の直ぐそばまで迫っていました。