11.地雷原無自覚走行
1/16 誤字訂正
白い枠の窓。
装飾タイルで飾られた壁。
赤い屋根にはカラフルな風見鶏。
花壇には子供達の育てる赤や黄色の花が揺れ戦ぐ。
険呑な雰囲気の男に連れ込まれるにしては、あまりにも場違い。
てっきり倉庫の裏にでも連れて行かれると思っていたのでしょう。
センさんは唖然としています。
あれはもう少し突けば恐慌を起こしそうですね、と。
センさんを観察しながら、私達も後に続きます。
ハテノ村の孤児院は、誰だって出入り自由の場所です。
此処の子供は村人皆の子であり、村の子供皆の兄弟。
魔族から預かった孤児用の家というモノがない時代から、そういう風潮で。
孤児院を建てた時代の村長が、それを村の決まりとして明文化しました。
みんなで育てているという意識が村人の根底にはあります。
言ってみれば村全体が孤児院の関係者で。
だから職員でなくとも自由に立ち入れるのです。
村の子供の家出先、人気No.1の称号は伊達じゃありません。
それに出入りを制限しなくても、誰ものこの孤児院…
――この村に手出し、しませんしね。
何しろこの村は歴代魔王の庇護下にあります。
そして孤児院に、そこに済む子供に何かしようものなら……………………………………………………………魔族さん達が、黙ってはいませんから。
村に孤児院ができた時、誰よりも喜んだのは魔族さん達だったといいます。
ひょいひょい拾ってきますからね、彼等。
彼らは子供に害為す大人を徹底的に軽蔑し、目に余ると思えば攻撃することもあります。
そんな彼らが預けた、子供達の暮らす場所。
…この世に、こんなに安全な建物も他にありません。
この世の中には、悪人が決して手を出してはいけないモノがあるのです。
そして多分、私もその一つです。←自覚アリ。
孤児院の敷地内に入ると、たちまち目敏く気付いた子供達に囲まれました。
魔族さんがひっきりなしに子供を拾ってくるので、常に一定数以上の子供がいます。
数ヶ月~数年の期間で子供も拾った魔族に引き取られていくので、回転率は高いのでしょう。
「リス兄ぃ! リス兄、おかえり!」
子供達が口々に、リス君にお帰りと声をかけてきて。
その瞬間が、次に私達へと衝撃をもたらす。
いつ見ても、衝撃的で。
いつ見ても、背筋が薄ら寒くなるほど凄まじいのですが。
その瞬間、私達は孤児院職員歴三年目の男の本気を目にしました。
「みんな、ただいま」
べ、別人っ
これこそ、別人………っ!!
え、誰コレ。
何、このキラキラ笑顔。
優しげに見えるのは、どうして?
私達、いつの間に異次元に迷い込んだの、と。
いつも通り、つい咄嗟に思ってしまいましたが。
「何度見ても、見る度にどきっとして心臓に悪いよぅ…。怖いよぅ、まぁちゃん」
「驚くよな。ついに質の悪いドッペルゲンガー出現!?って」
ひし、とくっつき合って驚いた驚いたと口にする私達。
あまりの凄まじいギャップに、全身鳥肌です。
だってイメージと違って不気味なんだもの。
とても、髪を逆立てて他人の鶏に凶悪ペインティングしていた男と同じ人間には見えません。
「失礼な奴らめ」
いま、同じ室内。
子供達の傍にいなくなったリス君の顔は、もうあのキラキラ笑顔を振りまいてはいません。
いつもの、睨みのきいた不機嫌顔があるのみです。
大変失礼ですが、常と変わらぬその顔に非常にホッとしました。
現在こちら、孤児院内のリス君の部屋。
リス君が子供の頃に使っていた部屋は今では別の子供が使っています
ですので、職員用の少し大きめの部屋です。
資金も敷地も潤沢にあるので、ただの職員でも不自由のない広さです。
むしろ孤児院が尊重されすぎているので、魔族軍人の独身宿舎よりも大きくて綺麗な部屋です。
しかも家具付き。
マットの効いたベッドに、チェスト、鍵の付いた書き物机。
それに椅子とテーブル、そして小さな本棚があります。
窓から差し込む日に照らされて、本棚の背表紙がよく見える。
キラリとラメの効いたピンクと紫の文字が煌めいた。
「……………」
まぁちゃんが、そっと私の頭を掴んで視線を本棚から逸らしました。
「まぁちゃん、リス君の本棚ってとても男らしいよね……」
「駄目だ、女の子は見ちゃいけません」
「背表紙だから文字しか見えないのに」
「卑猥な文字列ばっかりじゃないか…!」
リス君の本棚は、一番上が堂々と某画伯の著作で占領されていた。
憚るモノなど無いと、隠さない男リス君。
子供達に見られたらどうするの…?
え? 難しい字だから子供には読めない?
敢えてわざわざ子供達の背が届かない一番上の段に並べてる?
………その対処で、大丈夫なんでしょうか。
一緒くたに子供向けの動揺歌集や童歌、子守歌の本が並べてあるのが何とも物悲しい。
植物事典や料理の本も、一緒に並べるのは可哀想だと思う。
孤児院の職員として頑張っている形跡と一緒に、独身男性の業が本棚に収まっている。
せめて隠せと思う私は、間違っているのでしょうか?
隠さない男、リス君(どうやら好みのタイプは獣耳属性)。
今度、この惨状を改善させようと思いました。
じっくり話をするにも必要だろうと、リス君とセンさんは向かい合う形で椅子に座っていて。
野次馬の私とまぁちゃんは、二人をよく観察できる場所…リス君のベッドの上に座っています。
部屋の主よりもくつろいだ私達。
勝手にお茶とお菓子を用意して見物する姿勢を完成させました。
「ベッドに菓子屑こぼすなよ…?」
嫌そうにしながらも、止めさせないリス君。
やっぱり、どうあっても場に留まって欲しいのでしょう。
微妙に縋るような目をしているので、私は二人にもお茶を出してあげました。
茶器と茶葉と水はリス君の部屋の物なのですが。
「……………茶、飲めねぇんだが」
「「あ」」
そう言えば、まだセンさんを縛り上げたままでした。
リス君のここ十年は、激動の忙しなさでくるくると姿を変えて。
振り返ってみると、随分とやんちゃな半生だと苦笑が浮かびます。
十五歳でグレ荒み、田畑を荒らしたりしていたリス君(若気の至り時代)。
十八歳の時には度胸試しだと魔王城に忍び込み、六日迷った挙げ句に運悪く、りっちゃんの部屋に迷い込み……更正の為という名目で、軍に叩き込まれたリス君(やんちゃ時代)
それからは予備役部隊への移籍を賭け、将軍の一人と決闘を繰り返し、五年後二十三歳の時に謀略でもって勝利をもぎ取り、自由を勝ち得たリス君(軍人時代)。
そんな彼が、あんなに清々しく笑えるなんて誰が思うでしょう。
私も実際に見るまで、欠片も信じていませんでした。
だけど
一番荒れていた時代も、それ以外の時期も。
魔境での彼を知らないセンさんが受けたのは、私達とは全く違う印象で。
「……俺は、逆にあの笑顔で納得がいった。ああ、此奴はトリストなんだ…って」
神妙な顔で、静かに腹をくくった声で。
だけど何かを諦めるような眼差しで。
あの笑顔で、ようやっと素直に話を聞こうという気になったのでしょう。
センさんが、そう言ったのです。
気を取り直し、心を立て直したのでしょう。
その顔には、態を潜めていたカラッとした爽やかさが戻りつつありました。
「トリスト。俺はお前に聞きたいことも、話したいことも沢山ある。
お前がこうして魔境にいて、納得のいかないことだって沢山だ。
だけどまずは、話を聞いてみたい。でもお前もそうなんじゃないか?」
「………つまり、何が言いたい」
「俺は色々聞きたいけど、お前も聞きたいことあるんじゃないか?
だから先にトリストの方から疑問があれば言ってくれ」
「そう言ってもな。俺の方は特に別段聞こうと思うことも…」
「何か、あるだろう」
まさかそこまで俺に無関心じゃないよな、言わないよな、と。
センさんの顔が、捨てられかけた忠犬っぽく見えてきた。
リス君の顔が、少し引きつって。
「別に俺、今日までお前のこと忘れてたし…」
センさんが、がっくりと、膝をついた。
リス君の顔が、流石に気まずそうに視線を彷徨わせています。
…仮にも今の貴方を受け入れようとし始めた幼馴染み相手に、その相手は酷いよ? リス君。
リス君は、警戒心が高くて。
そして一緒にいて大丈夫と判断するまでが長くて。
判断を下していない相手には、とても無情。
親友だと断言する相手に、見せるその顔。
気にかけつつも何かが引っかかっているような…
それでいて、関わり合いになるのを避けたがっているような…
何とも言えない顔だけど、どうしたいの?
何かが気に入らないけれど、それをどう言って良いのかわからない。そんな顔です。
私達はリス君が何かが嫌だと分かっても、何が嫌なのかわからない。
それを私達はリス君に尋ねなかったし、リス君も答えないでしょう。
でも。
確実に警戒されているセンさんの奮闘を、私達は期待しました。
しかし気まずい二人は、会話の導入さえ糸口を掴めない様子で…
センさんに至っては、再度自分から踏み込む気力もないようで。
何かを切り出すのなら、ここはリス君が行動を見せるしかありません。
私とまぁちゃんは、不器用な幼馴染みに励ましを兼ねた目配せを送ります。
話を促された立場にあるリス君は、一応、自分でも分かっているのでしょう。
口元を引きつらせながら、何度も言葉を飲み込んで。
「あー…と、お前、いま何やって?」
まずは何でもない方面から切り込むことにしたようです。
気にかけるような言葉を振られて、センさんが目を輝かせました。
「俺な、お前の仇を討とうと思って剣士になったんだ。我ながら強くなったんだぜ? お前はこうして生きてたのに、馬鹿だよな、俺」
「……………」
あ、リス君がコメントに困っている。
気分はすっかりお見合いを見守る仲人さん。
しかしセンさん、まずいよ。
うっかり話が地雷に踏み出しつつあることに気付き、緊張感が高まります。
私とまぁちゃんはワクワクするのを止められません。
「ちなみに仇ってなんだ?」
「魔族に決まってんだろ。お前、魔境にいるのは魔族に攫われたからなのか?」
室内の空気が、6℃くらい気温を下げた気がした。
うっすらと、リス君の目が細められる。
センさん、貴方は本当に期待を裏切らない…。
踏み抜かれた地雷の存在にも気付かず、彼は爆死五秒前。
だけどリス君は、何も言わなかった。
センさんはいつ爆死してもおかしくないけれど。
リス君は、取り敢えず他の話も聞くことにしたようです。
怒りを見せないのが、とても不気味でした。
「それでお前、何で魔境にいる?」
「いや、ライ…勇者へのお使いを頼まれてきたんだ」
「…それは済んだのか?」
「ああ。だから俺は今、何をするでもない状態だ。
折角だから腕試しもかねて、魔族ってのがどんな感じか腕試ししてみようと思ってる」
「………何処に滞在してるんだ?」
互いに聞きたいこと、聞かれたくないこと、色々あるでしょうけれど…
リス君は油断ならない相手だから、うっかり気を抜くと喉笛に食いつかれますよ。
センさん、気をつけて! 思うけれど、特に注意はしない私。
「ああ、今か。勇者もいるだろ? 村長さんの家にお世話になってるんだ。あの家、大きいよな」
「村長の…あの家に? 迷惑をかけてはないのか」
リス君が、心持ち身を乗り出して話の続きをせかす。
……口では言わないけれど、リス君って父さんのことを尊敬しているんだよね。
「それが滞在し始めた数日は余裕もなくて、うっかり礼儀のなってない振る舞いをしちまった。
迷惑かけたってのに、鷹揚な村長さんで助かったぜ」
そんなことには一切気付いていないセンさんが、二個目の地雷を踏み抜きました。
だけどやっぱり、怒っているだろうに。
それなのに目を細めるだけで大きな反応を見せない、リス君。
爆発しかけた地雷を爆発させないリス君が、不気味で仕方ない。
忍耐強くなったのは素敵なことだと喜ばしく思うのに。
彼の静けさがどうにも嵐の前的な予兆に思えてしまう。
これが爆発した時、果たしてセンさんは無事で済むのか。
隣で成り行きを見守るまぁちゃんが、私に囁く。
「………地雷、何個目で爆発すると思う?」
「センさんが死ぬ勢いまで溜め込むのかな、リス君」
「リスの怒り、別に溜め込み方じゃねぇよな」
「どっちかっていうと短気だったよね」
「ああ、キレたら格上相手でも噛み付いてたよな。狂犬時代」
「今は穏やかになったんだねー……でも全然心休まる気がしない」
「それで、地雷いくつ行くと思うか?」
「あと一個か二個くらいじゃない? まぁちゃんは?」
「そーだな。更正しても根は変わんねーとして、六個くらいまでいけねーかな」
「それはどうかなぁ…」
私達はいざ爆発した時に備えて、ほんの少しリス君から距離を取りました。
と言っても、リス君は殴る蹴るは得意でも魔法は使えません。
特に怒りの対象外なら危険はないと思うのですが…
まあ、用心に越したことはありません。
私達はそっと息を殺して成り行きを見守りました。
結果。
センさんの踏み抜いた地雷は、二つでは済みませんでした。
その後も、幾つか踏み込みまして。
踏んだ地雷を纏めると、以下の通りとなりました。
・魔族への的外れな復讐申告
→リス君は魔族の養子(親子仲は円満)
・村長宅への礼を失した振る舞い
→リス君は村長を尊敬している
・画伯に襲いかかろうとしたことがある
→本棚を見る限り、リス君も画伯の顧客の一人
・リス君への的外れな心配
→どうやら彼の中では未だに『過去の』リス君像が幅をきかせている
・孤児院の子供達への的外れな心配
→近辺に魔族がいる環境を案じ、癖のように罵りの言葉
→孤児院の主な出資者:魔族 建設費用の寄付:魔王
不穏さを増していく、空気。
そして気付かないセンさん。
大事に思う親友との思いがけない再会で頭のネジが緩んだのでしょうか。
余程、嬉しいのでしょうね。
笑顔で色々と口を滑らせています。
「そうか。もうわかった。もう何も言うな」
やがてリス君が、もう良いと静かにセンさんの言葉を止めます。
その時には、更に二つばかりの地雷が踏み抜かれていました(→案の定魔族の侮辱)。
困ったような笑みを…見たこともない優しい笑みを、その顔に浮かべて。
「知らないのだから、仕方ない。仕方ないよな」
労るような優しい声音は、何故か空虚に響きました。
「大体、世界での認識はこんなもんだ。ああ、忘れちゃいなかった」
そう言いつつも、リス君の目が不穏な光を宿しています。
これ以外は目に見えないと言わんばかりに、視線はセンさんにがっちり固定。
それでも彼の不気味さは、爆発の時を後に待ちながら更なる忍耐を見せる。
にっこりと。
常には絶対に、子供の前でしか見せない笑顔で。
リス君はセンさんに言います。
「お前の方も、色々と俺に聞きたいことがあるんだろう?
今日の今、この時だけ答えてやる。ただし今日を逃せば答えない………俺に何を聞く?」
提案は親切なのに、根底に傷つけてやろうという嗜虐心があるような…。
リス君のその声だけが、凍ったアイスクリーム並に冷たかった。
流石に何か様子がおかしいと気づき始めたセンさん。
だけど違和感を言葉にすることもできず、彼は口を開き…
新たな地雷を踏んだ。
彼の質問は、簡潔に言えばリス君の半生を問うています。
国が魔族に襲われ、自分達とはぐれた後のリス君を案じているのでしょう。
どうしていたのか、どうなったのか。
それを知りたいと全身で訴えています。
聞かれると分かっていたのでしょう。
リス君が話し始めたのは、淡々と纏められた言葉。
抑揚なく、説明が始まります。
感情の差し挟む隙間を、自ら排除して客観的に語る声。
話の口ぶり、内容には確かに感情が含まれている筈なのに。
語る声からは完全に、人間くさい感情の色が排されていて。
感情的にならないよう、気をつけているのでしょう。
それは、私達も初めて聞く内容でした。