穴との出会い
アメリカ、西部開拓時代。
私は真っ赤な燃えるような夕焼けの中、馬を走らせていた。ここ一帯は人が全然いない土地だ。だがそれ故に、何かがある可能性も高い。私たち開拓者はそういう所を駆け回るのが仕事みたいなものだった。
先ほどまで斜面が多く、木もまばらに生えているだけだったが、今は比較的フラットな地形で、馬も走りが軽くなっている。木もそこそこ生えている。日暮れ時と言えど、まだまだ日光は暑い。だから木陰が増えたのはありがたかった。ここら辺で休憩することにしよう。
私は馬の紐を引っ張って走るのを止めさせると、鞍から降りた。後ろにつけてある荷物いれから水袋を探していると、かすかだが、唸り声が聞こえた。聞いたことのない動物の鳴き声だ。最初は狼かもしれないと警戒したが、周囲には空を飛び去っていく鳥のシルエット以外、動物なんて見当たらない。唸り声が近づいてくる様子もない。その声はずっと続いた。かすかな声だ。かなり離れているのかもしれない、と私がようやく手探りで見つけた水袋を飲もうとした時、言葉が唸り声の中から聞こえた。
「八...ハロー......」
私は本当にびっくりして腰のリボルバーに手を伸ばした。よくよく聞いてみると確かにこの声は唸っているだけではなく、何かを喋っている。そして再び、あの声がはっきりと聞こえた。
「ハ...ロ......八...ハロー......」
シャイ過ぎてずっと挨拶しかできない奴が実はどこかに隠れてる、なんて流石にそんなことは考えられない。私は馬の紐を木の枝に素早く結ぶと、リボルバーに手をかけたまま周囲を警戒しながら、声がする方向へ進んでいった。このままだと気味が悪い。狼に頭を食われておかしくなった奴の助けを求める声だったら、見殺しにしたようなものだ。私は慎重に進んでいった。そして慎重に周囲に気を配りすぎて、逆に地面に開いた穴に気付かなかった。私は驚き、思わず後ずさって、その拍子に尻餅をついてしまった。
四角い穴だった。明らかに人工のものとわかる四角い穴。大きさは棺より一回り大きいぐらいか。無人の土地に、それはぽっかりと黒い口を開けていた。
「なんだよ、これ、、?」
私が呟くと、またあの声がした。
「ハロー......ハロー.........」
穴の中からだ。明らかに私に対して言っている気がした。そして先ほどまで聞こえなかった、じゃらじゃらという重い鎖の音。
人が繋がれている、、?まさか、奴隷か?
私はしばらく尻餅をついたままの姿勢でいたが、意を決して立ち上がると穴の中を覗き込んだ。だが暗すぎてよく見えない。梯子がかかっているのは見えた。しかし梯子の終着点が見えないのだ。私は石を投げてみた。すると思ったより早く、カツン、と音がした。深さは約二から三メートルか。私は一旦馬に戻り、ランプを持ってくると梯子を降りていった。降りていくにつれて、嫌な匂いが強まってくる。死体の腐敗したような匂いと、汗の匂いが混じりあっている。やがて予想どおり、すぐに足が地面を踏んだ。私はゆっくりと両足を地面につけると、すぐに梯子に背を向けてランプで周囲を照らした。右手はリボルバーに添えたままである。鼻を摘まみたいが、口呼吸で我慢する。しばらくそのままの姿勢で、暗闇にじっと目を凝らしていた。
するとやがて目が慣れてきた。暗闇の中に何かが浮かび上がってくる。
はじめはぼんやりとした人のシルエットだった。壁に背を預け、力なく床にへたり込んでいる誰かのシルエット。私は息を殺してじっとその者を見ていた。鎖のようなものが、そいつの手足首に繋げられているらしいことはわかった。鎖の金属質な表面が時折光を反射して私の眼球を撫でる。
やがてまたあの声がした。今度ははっきりと、目の前の人物から出ているのがわかった。
「八.....八...八ロ......」
「お前、それしか言えないのかよ。」
私は思わず声をかけてしまった。声の高さ的に男か?すると鎖のじゃらじゃらとした重そうな音が響いた。暗闇でもわかる。あいつはもがいているんだ。鎖は決して長くない。だが彼(?)は必死に手を伸ばしてくる。はっきりと見えた。黒ずんだ手。伸びきって鉤状になった爪。鎖の限界の長さまで、必死に手を伸ばしている。しかし限界まで伸ばしても、私とは二メートルもの距離がある。私はひとまずその事に安心した。
そいつはしばらく手を必死に伸ばしていた。ハロー、はもう言わなくなり、代わりに唸り声だけが響いている。光がギリギリ届く範囲まで近づいてきた彼の顔を、私ははっきりと見た。顔が黒く汚れている、年齢不詳の男だった。そしてその目は完全に獣のそれだった。彼は人とは考えられないほど尖った牙を剥き出しにして、私を睨んでくる。捕食者の目だ。闇の中でも爛々と輝いている。服装は酷いものだった。擦り切れ、汚れ過ぎて元々何を着ていたか全く判別できない。痩せ干そって薄汚れている腕は、長い間拘束され続けてきたことによって出来た赤い跡がいくつもついていた。
「お前、酷い有り様だな。」
私はそう言うしかなかった。彼は私に相変わらず必死に手を伸ばしている。あの太い鎖が、実は錆びていてこいつが鎖を引きちぎって襲い掛かって来たらどうしよう、という考えが一瞬、頭をもたげたがすぐに追い払った。こんな太い鎖、そうそう切れまい。誰がつけたのかもわからないが、可哀相な奴だ。私は水袋の中身を携帯用コップに入れて、木の枝を拾いそれでコップを彼に押し出してみた。男はすぐにそれに飛び付き、一瞬で飲み干した。そしてコップを投げ捨てて再び唸り出した。だがもう私に手を伸ばしてはこない。諦めと限界を知っている獣だ。私は梯子の下に座りこんだ。なんだか酷く疲れた。穴を見つけてからまだ五分も経ってないのに。鼻をつく異臭にも大分慣れてきてもうほとんど匂いを感じない。
「なあお前、名前は?...まあ答えるわけないか。俺はジョニーだ。二日前からここら辺一帯を見に来たんだ。一攫千金ってやつを狙ってな。両親は随分と反対したし、俺も既に後悔しかけてるけど、、、まあいい.....お前、肉食うか?干し肉がそういやあったんだよな。」
私は腰につけている物入れから干し肉の塊を取り出し、一部を切り分けて男に投げてやった。男はそれに飛び付き、夢中になって食べている。牙を突き立ててろくに噛みもせず、肉が口に入ると間をおかずに喉仏が上下する。
「相当腹が減ってたんだな」
私がそう言って笑うと、男は一瞬だけ目をあげて、「...ハロー、、、」というとすぐにまた肉をやっつけ始めた。私は食べている彼に話しかけた。
「お前、人食うだろ。その目、その口。見開拓の所にはとんでもねえ化物がいるもんなんだな。なあ、お前、何日、いや何年餓えていたんだ?」
男はようやく肉を食べ終え、私を見上げて首を傾げた。私は苦笑した。
「まあ質問の意味がわからないか。なあ化け物さん。外は今すごい燃えててさ。ほんとに火事みたいなんだよ。真っ赤な夕日だ。お前は最後に夕日を見たのはいつだ?」
男はじっと私を見ている。そして時折思い出したように手に付いた肉の味を舐めた。私はそんな彼を眺めていると、なぜか無性に喋りたくなった。荒野で何日も、ずっと一人だった。自分では気付いていなかったが、私自身もかなりの孤独という闇を抱えていた。
「八、ハロー、、」
男が再びそう繰り返したのをきっかけに、私は座り直して口を開いた。
「俺はさ、元々農家の息子だったんだ。一人息子ってやつだ。善人と凡人しかいない町に住んでたんだ。将来は農家を継ぐことに決まっていた。暗黙の了解ってやつで。でも結局、未来なんて誰もわからないんだ。数年前のある日、カウボーイに会ってさ。色んな外の話とか、金稼ぎのこととか教えてくれたんだ。だから俺は意味もなく貯めてた金で装備一式買って、馬に飛び乗ったってわけさ。両親はすげえ怒ってて、特に親父は最後まで口をきいてくれなかったな。......なあ、お前は夢とかあるのか?...まあ答えられないか。じゃあ俺が当ててやるよ。お前の夢は、ここから出ること。そうだよな?」
男は私をじっと睨んでいるままだ。子供の頃、よく餌をやっていた野良猫を思い出す。酷く痩せた黒猫で、いつも他の猫や犬に苛められていた。餌をやりに来た私をいつも警戒して物陰から私が肉などを置くのを睨み、私が去るとよろよろと出てきて
餌をもそもそと食べるのだ。こいつの目はその黒猫によく似ている。
「すまんが、俺はお前を出してやれない。そもそもその馬鹿でかい鎖をどうやって解くんだって話だよな。」
私はそう言って小さく笑って見せた。男は再び唸り出した。今度は力なく。
「う...うぅ......は、ハロー、、」
「ああ、ハローだな。」
私はそいつに小さく手を振った。すると男の鎖で繋がれた右腕がゆっくりと持ち上がった。そして小さく揺れた。じゃらじゃら。私は目を少し見開いた。手を振り返してくれているのか?だが彼の腕はすぐに重力に引きずられるようにして落ちた。じゃらじゃら、と鎖も一緒に落ちる音がする。
「重そうだな、それ。」
私は呟いた。すると心なしか、男は悲しそうな目で私を見つめ、
「......ハロー、、、」
と言った。まさか、私の質問に同意したのか?さっきの手を振る仕草といい、こいつには知性がわずかにあるのかもしれない。
私は彼としばらく見つめ合っていた。その目から知性の欠片を探りだそうと思って。だが男はパチパチ、とまばたきすると、ぷいと顔を背けてしまった。そしてすごすごと元いた奥の空間に這うようにして戻ってしまった。彼が動いていることを示す鎖の音が間もなく止んだ。おそらく長い時を過ごしたあの定位置に再び座り込み、ぼんやりとしているのだろう。外も暗くなってきたのか、この奇妙な空間の中はいよいよ、光が届くはずの穴の真下でさえ十センチメートル先も見えなくなってきた。ランプの光だけが、ぼんやりと、冷たい液体のような質感の暗闇の中に浮かんでいる。
「...暗くなってきたな。そろそろ上がるか。......お前はずっとここにいるもんな。夜とかは寂しいんだろうな。...ま、でも俺はたまたま通りかかっただけだ。変な同情とかは抱いてやれないぞ。だから、せいぜい頑張れよ。」
私は梯子に片足をかけ、軽くランプを上げると、にかっと笑ってみせた。すると暗闇の中、獣の目が反射したような光がチラッ、と見えた。
「ハロー、、、」
男は掠れた声でそう言った。
「またな」
私はそう返すと、梯子を登り始めた。




