第20話 隠すべきもの
※エリオ視点の短編と一部内容が重なります。
既にお読みの方は、文中の「※ここから」まで読み飛ばしていただいても問題ありません。
山から戻った翌朝は騎士見習いの訓練の日だ。
「次、エリオ! 構えろ!」
「はいっ!」
俺はいつものように木剣を構え、教官と向かい合った。
この教官は元・近衛騎士で、見習いの俺たちからすれば手も足も出ないバケモノだ。いつも通り、数合打ち合って転がされるのがオチだろう……と、思っていた。
「遠慮はいらん! 全力で打ち込んでこい!」
「いきます!」
ダンッ!!
踏み込んだ瞬間、自分でも信じられないほどの推進力が生まれた。
「は?」
俺の口から、間抜けな声が漏れる。すでに俺の体は、教官の目の前まで迫っていた。
体が、異常に軽い。昨日の過酷な肉体労働の疲労など微塵もなく、魔力と筋力が内側から無限に湧き上がってくる。
(嘘だろ!? あのパン食ってから、もう一晩経ってるぞ!?)
「なっ……!?」
教官が驚愕に見開いた目で、慌てて防御の姿勢をとる。俺は慌ててスイングの威力を極力殺そうとした。それでも遅かった。
ガァンッ!!
「ぐっ、おおおっ!?」
重い衝撃音とともに教官の木剣がへし折れ――受け止めたはずの教官が、ズザザッ!と数メートルも後ずさり、たまらず膝をついた。
静まり返る訓練場。同期たちが、亡霊でも見るような目で俺を見ている。
「エ、エリオ……お前……っ」
痺れた両腕を抱え、荒い息をつく教官が震える指で俺を指差した。
「たった数日の休暇で……一体、どんな死線をくぐり抜けてきたんだ……!?」
(死線……?)
俺は無傷の自分の木剣を見つめながら、引きつった笑いを浮かべるしかなかった。
(妹と石窯作って、パン食っただけです……とは、絶対に言えない)
一晩経っても腹の底にしっかり残っている、異常に持続時間の長いパンの恩恵を感じながら。
俺は改めて、あの山にいる規格外の妹の秘密を、何が何でも隠し通そうと心に誓うのだった。
(なあ、セラ。お前の作ってるそれ、もう『素朴な手作りパン』じゃなくて、伝説のアイテムなんじゃないか? いや、それ以前に――お前、もしかして本物の『聖女』なんじゃ……?)
◇
※エリオの短編お読みの方はこちらからどうぞ。
◇
訓練を終えて、屋敷に戻る。
すれ違う使用人たち。その中で一人だけ、気になる動きがあった。
主のそばにいるはずの侍女、アリシアが一人で歩いている。
それ自体はおかしくない。主であるセラがいないのだから当然だ。
――だが。
ふと、記憶がよぎる。
セラが山に向かった、あの朝。門のそばに立っていたアリシア。見送りにしては遠すぎる位置で、ただ静かに見ていた。
その目が、引っかかる。今と同じだ。
周囲を見ているようで、その意識はどこにも向いていない目。
――初めてじゃない。
だからこそ、見過ごせなかった。
エリオは何気ない様子で足を止め、少し距離を取り視線だけを向けた。アリシアはそのまま廊下の奥へ進み、角を曲がる。人気のない場所だ。
エリオは音を消して、その後を追った。
◇
曲がり角の先。アリシアは足を止めていた。
周囲を確認するように、ゆっくりと視線を巡らせる。誰もいない。それを確認して、ようやく息を吐いた。
エリオはさらにその奥の影に身を潜める。距離はある。声は、かすかにしか聞こえない。
「本日も、大きな変化はありません」
小さな声だった。誰かに向けているが、その場には誰もいない。魔道具か、あるいは魔法による念話か。
「セラ様は山に向かわれたまま、まだお戻りでは」
向こうからの指示を聞いているような間がある。だが、返事は聞こえない。
「……はい。引き続き」
そこで、言葉が途切れた。
アリシアはすぐに姿勢を整え、何事もなかったかのように歩き出す。足音が遠ざかっていく。
◇
しばらくして、エリオはゆっくりと壁から背を離した。
全部は聞こえていないが、あの侍女は、誰かにセラの事を報告している。
どこに繋がっているのか。今はまだ分からない。
セラが山に行く前から動いていた話のようだが、もしかするとセラは何か知ってるのだろうか。
どう動くべきか。下手に手を出せば警戒される。かといって、見逃すわけにもいかない……
しばらく泳がせてみようか。
◇
部屋に戻ると、フィンが入り口で待っていた。
「お姉さま、まだ帰ってこないの?」
「そうみたいだな」
「ルーカス兄様から聞いたよ。お姉さま、お山ですっごく楽しんでるんだって」
「そうだな」
「ずるい! お山なんて絶対危ないはずなのに、お姉さまだけ楽しんでるなんて! 僕も行きたいなぁ」
置いてけぼりを食らって完全に拗ねていた。
「まあ、そのうち連れてってやるよ」
「ほんと!?」
「気が向いたらな」
フィンの顔が、ぱっと輝く。と思ったら、すぐに眉を寄せた。
「そのうちって……どうせ危険だとか言って絶対連れてってくれないやつだ」
「失礼だな」
エリオはわざとらしく肩をすくめてみせた。
「大丈夫だよ。ここだけの秘密だけど、頼もしい相棒がいるからそこまで危険じゃないし」
「相棒?」
「そのうち分かる」
「まーた『そのうち』だ」
フィンはため息をついたが、その顔は少しだけ明るくなっていた。




