第4話 引き出しの奥
記録室の引き出しは、全部で三段ある。
一段目と二段目は、誰が使ってもいい。三段目だけは、あらかじめ用途が決められている。
私はその日、三段目を開けた。
開ける理由があったわけではない。確認日でもなかったし、特別な指示も出ていない。ただ、必要な紙が見当たらなかった。それだけだ。
中には、古い記録簿が並んでいた。
表紙の色は揃っているが、角の擦れ方が違う。新しいものほど角が立ち、古いものほど丸くなっている。使われ方の差だった。
一冊を引き抜き、机の上に置く。
年度の表記はあるが、具体的な日付は少ない。途中でまとめて記入された形跡がある。空白の多いページも、そのまま残されていた。
私はページをめくる速度を一定に保った。
読むためではなく、確認するためだ。何が書いてあるかより、どう扱われていたかを見る。
多くは「問題なし」で終わっている。
保留の印がついているものもあるが、最終的には同じ扱いに移行している。規定は、昔から大きく変わっていない。
一行だけ、線が二重に引かれている箇所があった。
強調ではない。誰かが書き直した跡でもない。ただ、上からなぞられた線だった。
理由欄は、やはり空白だ。
空白のまま処理され、空白のまま保管されている。私はそこに違和感を覚えなかった。違和感は、判断を伴う。
昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴った。
私は記録簿を閉じ、引き出しに戻す。元あった位置から少しずれていたが、気にしない。正確さが求められるのは内容であって、配置ではない。
午後の授業は短縮だった。
教室を出る生徒の流れが早い。廊下が一時的に混み、すぐに空く。流れは、いつもそうやって解消される。
放課後、委員会室に戻ると、新しい申請は届いていなかった。
代わりに、棚の前に同じ委員の生徒が立っている。
「古いの、見てた?」
問いかけは軽かった。
私は頷く。理由は説明しない。
「変わってた?」
「変わってない」
それで会話は終わった。
変わっていないことは、安心でも不安でもない。報告事項として完結している。
彼女が去ったあと、私は机に戻った。
引き出しの奥を思い出す。二重に引かれた線のことではない。引き出しが三段あるという事実の方だ。
使われない段があることは、無駄ではない。
すぐに使わないという選択が、あらかじめ用意されている。
夕方、顧問の教員が通りかかった。
中を覗き、「整理してる?」とだけ言った。
「確認だけです」
私はそう答えた。
整理と確認の違いは、言葉にしなくても伝わると思った。
校舎を出る頃、空は少し明るくなっていた。
予報では雨だったが、降らなかった。予報が外れたわけではない。可能性の一つが、使われなかっただけだ。
私は歩きながら、引き出しの奥を思い浮かべる。
使われていない段。
だが、閉じられてはいない。
保留は、忘れられるためにあるのではない。
今は開かれない場所として、残されている。
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