十年ぶりの再会
彼と会うのは十年ぶりだろうか。
「田崎、ひさしぶり」
飯島はそう言って笑った。
こんな奴だったっけ?
最初に違和感に気が付いたのは二か月前。
中学で別れてから十年会っていない。
俺の勘違いかと俺はその違和感を流した。
「だからさあ。田崎」
飯島は俺の肩を抱いて、もう一つの手でビールジョッキを掲げる。
「ほら、乾杯」
「あ、ああ」
俺の知っている飯島は、こんなフレンドリーなタイプじゃないし、あいつは、俺が嫌いだったはずだ。
なのに、なんで?
「田崎」
俺に微笑みを向ける。
眼鏡をかけた細身の男、小さい時から細くて、虐められていた。
だから、俺は何度も奴を庇った。
でも奴は、庇う俺に対して礼をいうこともなかった。
むしろ、迷惑だったのかな。
偽善者!
そう言われたことがあって、俺は奴を助けるのをやめた。
その代わり先生に言った。
苛めはなくなった。
初めからそうすればよかったんだ。
俺は奴を救う自分にうぬぼれていたかもしれない。
「やめろ、いやだ!」
ごみを焼却炉に捨てて、体育館の裏を通ったら、そんな声が聞こえた。
駆け付けると、服を脱がされ、乱暴にされそうな奴がいた。
真っ白な肌が晒され、女みたいだった。
「いやだ!」
「このホモやろう。本当は好きなんだろう!」
苛めはなくなっていなかった。
見えないところで、陰湿に続いたみたいだ。
「やめろ!何してんだ。お前ら!」
「げ、田崎じゃん!なんだよ。お前正義漢ぶりやがって。お前も興味あるんだろ?」
「あるわけないだろう?お前らどうかしている。精神科に入院するか?」
「ふざけんな!」
中島たちは怒鳴り返すと、その場を逃げ出す。
「飯島!大丈夫か?まず服着ろ。俺が保健室へ連れていくから」
駆け寄りたかったが真っ裸だ。俺は後ろを向いて着替えるのをまった。
「い、飯島?」
急に背中を抱きしめられた。
温かい感触が伝わってくる。
「田崎も、俺とやりたいの?」
「はあ?ふざけるな?」
「うそばっかり。変な目で俺をみたただろ?」
「見てない!俺はホモじゃない!早く服着ろよ!」
背中から伝わる感触が奴が服をきていないことがわかった。
「うそばっかりだな。偽善者め!」
飯島はそう吐き捨てた。
眼鏡をはずした飯島は、妙に色気のある少年だった。
細くて弱弱しい少年。
中島の奴も最初は虐めていなかったはずだ。
それがいじめに変わったのはいつだったか。
それから、飯島と俺は口を利くことはなかった。
飯島がおかしな目に合う場面にも遭遇しなかったので、俺は気にしないようにした。
中島が飯島を強引に連れてどこかに行くとき、思わず目で追ってしまったことがあって、飯島と目が合って嘲笑われた。
嫌な気分になって、俺は目を逸らす。
飯島は俺が本当に嫌いらしい。
いや、俺が嫌いだったのか。あんな風に見られるのはたまらなく嫌だった。
「終電なくなったなあ。家に泊めて」
「嫌だ。勝手にどっかのホテルに泊まれ」
再会してから飲みに誘われることがあり、一緒に飲んだ。
あの時とは違う陽気な飯島。
俺を嘲笑うこともない。
だけど、家に泊めるなんてとんでもない。
俺は、奴の白い肌をまだ覚えている。
俺はホモじゃない。だけど気持ちをかき乱されるのはごめんだ。
「そうか。じゃあ、泊めてくれる人を探す」
「おい、なんだ。それ、やめろよ」
「じゃあ、泊めてくれる?」
「わかった」
仕方なく、俺は奴を泊めることにした。
下着は貸せないが、服を俺のものを貸した。
シャワーから出てきた奴は腰にタオルを巻いただけで、火照った肌はピンク色にも見えた。十年たつのに奴の肌は女みたいなままだった。
「服を着ろよ」
「ちょっと体かわかしてから」
そう言われると何も言えない。意識してるなんて思われるのは嫌だ。
俺はそれ以上言わず、奴から目を離す。
話した瞬間、俺は違和感を思い出す。
飯島の背中にはほくろがあった。
けれども、今の飯島の背中にはない。
ほくろだ。
たかがほくろだ。
俺はそう自分に言い聞かせた。
「何か飲みたい。何がある?」
「麦茶がある」
「え?麦茶か。嫌いなんだ。水でいい」
麦茶が嫌い。
おかしい。奴は麦茶が好きだったはずだ。
何かがおかしい。
だけど決定的な事実がない。
なので、もうやもやしながらもコップにミネラルウォーターを入れてから、奴に渡す。
「俺もシャワー浴びてくる」
「ん、ああ」
着替えとタオル持って浴室へ向かう。
シャワーを浴びながら考えをまとめる。
十年だ。
十年が彼を変えたかもしれない。
俺はそう思い込むようにして、浴室から出た。
「田崎」
居間で飯島はテレビを見ていた。俺の服を着ている。
「ここ座って」
飯島は自分の隣の席を指定する。
「なんで、わざわざ」
「だってテレビ見やすいだろう」
「そうだけど」
テレビなんてほとんど見てない。
興味ないけど、飯島が俺が座るのを待っていて、仕方なく、その隣に座る。
「い、」
すると、ぺろんと首をなめられた。
「な、何するんだよ」
「美味しい」
「ふざけんな。気持ち悪い」
俺は立ち上がろうとしたけど、抑え込まれる。
俺より細いのに、奴は力が強かった。
顔が近づいてくる。
奴の瞳が眼鏡越しに見える。
茶色?
俺が覚えている飯島の目は黒色だった。
茶色も遠くから見れば黒色の目に見えることも多い。
だけど、俺は、奴の瞳が黒色なのを知ってる。
偽善者と俺のことを罵ったやつの瞳は真っ黒だった。
「好きだ。田崎」
奴は俺に唇を重ねてきた。
俺は必死に抵抗する。
気持ち悪い。
なんで男同士なのに。
「逃げないで。俺、ずっと」
そんなわけがない。
飯島は俺が嫌いだ。
奴の瞳は真っ黒だ。
再び口づけされる。
今度こそ、俺は抵抗しなかった。
本当は、俺は飯島が好きだった。
あの白い肌、偽善者と思われてもおかしくない。
俺も中島と同じだ。
ただ手を出さなかっただけ。
「田崎」
熱に浮かれたような声で俺を呼び、飯島はキスを続ける。
こいつは、飯島じゃない。
だけど、俺は……。
結局俺は飯島の言われるまま、彼を抱いた。
朝起きると、奴の姿は消えていた。
電話番号も変わっていた。
俺は、捨てられたのか?
なんだったんだ?
わけがわからくて、でも奴に会いたくて、奴の実家に電話した。
「謙太?謙太は亡くなったよ。二年前に。あんたは誰だ?」
電話先で、おそらく親御さんにそう言われた瞬間、俺はショックで電話を切ってしまった。
亡霊?
そんなわけがない。
奴が使ったものも残っているし、痕跡もある。
となると、奴は飯島謙太ではない?誰だ?
なんで飯島のフリをした?
俺はわけがわからぬ相手に翻弄された。
……飯島の復讐か?
俺は、俺の汚れた気持ちを認めなかった。
否定し続けた。
それを暴きたかったのか?
でも奴は死んでる。なら、奴の友人が俺のことを知って、俺を弄んだのか。
馬鹿らしい。
だけど、俺は奴の痕跡を消したくなくて、シーツをそのままにした。
幻ではなく、奴がいたことを感じたかった。
「随分痩せた?」
一年後、奴と再会した。
随分印象が違う。
だけど、声でわかった。
茶色の髪に眼鏡はしていない。
「……俺をからかいにきたのか?」
「そうだね。謙太は馬鹿だ」
「……お前は飯島のなんだ?」
「恋人だった」
「……そうか」
それで俺は黙る。
何を言っていいかわからなかった。
やはり復讐だったのか?でもこんな手間をかけて。自分の体も差し出して?
「……謙太は、君のことが好きだったよ」
「は?」
何を言ってる。こいつは。
「ずっと君のことを話していた。謙太の目を盗んで君のことを見に行ったこともある。普通の平凡な男だ。君は」
「そうだ。何が悪い」
「別に悪くない。ただつまらない男だと思った。謙太が交通事故で死んでから、俺はずっと謙太のことを忘れられなかった。だから、謙太の気持ちが知りたくて、謙太に成り代わってみた。’俺たちは同じような背格好だったしね。君は見事騙された」
「愚か者だと笑え」
「笑えない。笑われるのは俺の方だ。会うたびに君に魅了された。なぜか謙太が君を好きなのかわかった。だから、君をものにしたかった。だけど、いざ、してみるとがっかりした。だって、君は俺を謙太だと思って抱いた。身代わりだ。だから、俺はもう一回君とやり直したい」
奴はそう言って微笑む。
その笑みは俺が最初に違和感を持った微笑みだった。
あまりにも優しい笑みだ。
飯島がしたこともない。
「わかった。だったらあんたの本当の名前を教えてくれ」
「…亀田文夫だよ」
「亀田か。俺は田崎竜太郎だ」
「竜太郎。よろしく」
俺はホモじゃないって思っていた。
だから飯島に対して覚えた感情を気づかない振りをした。
だけど、今、俺は自分の嗜好を認める。
「亀田。好きだよ」
「……び、びっくりした。なに、突然」
「気持ちを伝えることにした。誤魔化すことはやめたんだ」
「そっか。それはいいと思う」
そう言って、亀田は俺にキスを落とす。
優しい啄むようなキスだ。
(終)