表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/6

呪いが届かぬ男

昨夜の求婚は夢だったのか。そう思う私の前に、鬼神・黒焔は再び現れた。彼は結界をものともせず、私を外の世界へと誘う。その強引な優しさに、私の閉ざされた心は戸惑い、揺れて…。

昨夜の出来事は、きっと悪い夢だったのだ。あまりの孤独に、私が見てしまった幻。そう自分に言い聞かせ、私はいつも通りの一日を始める。冷たい食事を口に運び、誰とも会わずに書物を読む。変わらない、灰色の日々。けれど、心のどこかで、あの金の瞳の残像がちらついていた。

陽が傾き、離れに夕暮れの影が落ち始めた頃。その静寂は、いともたやすく破られた。


「息災か、俺の巫女よ」


縁側に、昨日と全く同じように、黒焔が立っていた。幻ではない。彼は悪びれもせずに中へ入ってくると、私の前に風呂敷包みを一つ、ことりと置いた。


「都で評判の菓子だ。食え」


「……なぜ、ここに」


私は風呂敷包みには目もくれず、彼を睨みつけた。昨日あれほど近づくなと言ったはずだ。私の呪いを、本当に理解していないのだろうか。


「言ったはずだ。お前を嫁に貰いに来たと。夫が妻の元へ通うのは、当然のことだろう?」


「妻ではありませぬ! それに、あなたには私の呪いが効かなかったとしても、この離れの調度品や、あなたが持ってきた菓子に私の不幸が移ったらどうするのですか!」


私の必死の訴えに、黒焔は心底おかしそうに喉を鳴らした。


「案ずるな。俺の物に触れられるほどの呪いなど、この世には存在せん」


その絶対的な自信。彼は本当に、この世の理の外側にいる存在なのだと思い知らされる。彼は構うことなく、私の隣にどかりと腰を下ろした。近すぎる距離に、私の心臓が跳ねる。肌が触れ合わなくても、彼の体から発せられる熱が、私の冷えた空気をじりじりと侵食していくようだった。

それからというもの、黒焔は毎日のように私の離れへやってきた。ある時は美しい絹の着物を、ある時は見たこともない異国の果物を。私はその度に彼を追い返そうとするが、彼は柳に風と受け流し、私の隣に居座り続けた。

その日、都の方角で小さな火の手が上がったのを、私は予知した。蔵が一つ燃えるだけの、小さな火事。けれど、私は役目を果たすため、その方角と時間を紙に記し、本殿へと知らせる。すぐに、私の手柄を自分のものにした神官が、さも自分が予知したかのように振る舞い、褒賞を受けている気配が伝わってきた。いつものことだ。私の力は、こうしてただ搾取されるだけ。

やりきれない思いに俯いていると、いつの間にか隣にいた黒焔が、静かに言った。


「腹立たしいか」


「……いいえ。これが私の役目ですから」


「嘘をつくな。お前のその瞳の奥では、怒りの炎が揺らめいている」


彼の金の瞳が、私の心を見透かすように細められる。私は唇を噛んだ。そうだ、腹立たしい。悔しい。けれど、それを口にしたところで何が変わるというのか。


「お前ほどの力を持つ巫女が、このような場所に閉じ込められているのは、宝の持ち腐れだ」


黒焔は立ち上がると、私に向かって手を差し伸べた。その手は、大きく、節くれだっていて、けれど不思議な力強さに満ちていた。


「来い、静月。俺がお前を外へ連れ出してやる」


「外へ……?」


「そうだ。都の祭り、夜空を彩る花火、美味い酒。お前がまだ知らぬものが、この世界には溢れている。それらを、俺が一つずつ見せてやる」


彼の言葉は、甘い毒のように私の心を痺れさせた。外の世界。私がずっと昔に諦めた、手の届かない場所。もし、この手を取れば、そこへ行けるというのか。

けれど、怖い。私が外へ出れば、誰かを不幸にしてしまうかもしれない。その恐怖が、私の足を縫い付ける。差し伸べられた彼の手と、私を縛る見えない鎖の間で、私の心は激しく揺れ動いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ