第7話 鈴の音
回収した獣人の報告書を見て男が手を震わせる。
ソファーには、脚を組み、コーヒーを飲むスーツの男と、その後ろに体格の良い男が立っていた。
コーヒーの湯気は、霞のように朧気に見えた。
「1匹は即死。1匹は内臓破裂で死亡。1匹は、生きているが、頸椎損傷でもう使い物にならん。」
そう言ってカップを口に運ぶ。
その声を、込められた力で震える手と、こめかみに青筋を浮かべた男が聞いていた。
「2匹は骨は折れてるが、まあ使えるだろう。残り3匹は、脳震盪だ。」
そう言って、大袈裟にかぶりを振る。
手に持ったカップは、ゆらりと湯気を上らせていた。
その声も態度も、落ち着いたままだった。
「くっふふっ、ははっ。素晴らしい性能ではないか!圧倒的だ!」
血走った眼でそう言う。
ソファーから、横目でその男を見る。
カップを置き、ソファーに寄りかかりながら言う。
「……圧倒的すぎる。これでは賭けにならん。稼げんぞ。」
意に介さぬ様、目を血走らせた男が笑みを浮かべて言う。
「……リミッターの機構は、調べてあるのだろう?段階的に、性能を解放できれば良い。」
ソファーの男は少し考えた後、言葉を発する。
「……段階的解放構造を持つ、リミッターの設計図を送る。……まだ、実物は無い。」
そう言って、男は指先で宙を軽く弾く。
「くく、回収すれば幾らでも稼げる。勝ちが決まっている投資だ。」
その言葉を、ソファーの男は静かに聞いていた。
その目は、既に別のものを見ていた。
部屋を、笑い声と沈黙が支配していた。
カップのコーヒーは、温くなっていた。
あの襲撃から、ナオは落ち込んでいる様に見えた。
大学へ行く準備をしながらナオの方を見る。
寝そべり、尻尾が床を撫でていた。
「ナオ、大学に行って来るよ。」
そう言うと、ナオはすっと起き上がる。
りん、と、鈴が鳴る。
「……私も行く。」
そう言って、ナオはするりと腕を絡ませてくる。
溜息を吐きながら答える。
「ナオ、学内ではあまり目立たない様にしてくれよ?」
そう伝えると、ナオは、うん、と、頷く。
ともに部屋を出る。
ナオは、俯いたまま、俺の腕を掴んでいた。
大学に着き、一限目の講義室に入る頃には、気付くとナオはいなくなっていた。
深い溜息を吐き、ぼやく。
「……いつも、気付くといなくなってるな……」
まあ、そう遠くへは行かないだろう。
前も、ふらりと戻ってきていたし。
そう思いながら講義ノートを取り出し、準備をする。
グラウンドで自主練をしている運動部の姿を、近くの草の生えた斜面で見ていた。
風に花が揺れているのが見えた。
……私は、遺伝子操作で作られた愛玩動物。
人に、愛されるために造られ、それが、人の癒しとなる。
胸がチクリと痛んだ。
では、私の戦闘能力は何なのだろうか。
シュウジを守る。
その一心で戦った。
けれど、私の力は、相手の獣人たちを一方的に蹂躙できるものだった。
顔を膝に埋める。
りん、と、鈴の音が響く。
その音を聞くと、少し、心が軽くなる様な気がした。
「あら、あなたは……」
不意に声をかけられる。
漫研にいた女子だ。
サキ、と、言っただろうか。
何か、面白いネタは無いか、青春物を描くなら運動部だろうか、と、グラウンドの方に足を向けていた。
そこで、流れるような銀髪と透き通るような白い肌。
そして、特徴的な猫耳と尻尾の少女を見掛ける。
思わず声をかける。
「あら、あなたは……」
言った後で失敗した、と、思った。
少女はこちらを向き、その顔に疑問が浮かんでいた。
「……えっと、ナオちゃん、だったかしら。私はサキ。シュウジ君と同じ、漫研部員よ。」
そう挨拶をする。
彼女は、なんだか落ち込んでいるように見えた。
「……うん、私はナオ。よろしくね、サキ。」
そう言う少女は、相変わらず元気が無い様に見えた。
その隣に座る。
「何があったのかは知らないけれど、思いは言葉にしないと伝わらないし、人は分かり合えないから、悩むし、時に争うんでしょう?」
そう言うと、少女は驚いたような顔をしていた。
そして目を伏せ、話を始める。
「……私は、悩んでいるのかな……」
そう言う少女が、少し愛おしく思えた。
私は笑顔を向けて話す。
「どう見ても、悩んでいる女の子だよ、ナオは。」
そう言うと、また、少女は驚いた顔をする。
そして、はにかんだ表情を浮かべて言う。
「……うん、そうかもね。」
りん、と、澄んだ鈴音が響いた。
その後も、私は少女と話し続けた。
少女は、話してみるととても明るく、愛らしかった。
妹の様な親しみやすさを感じた。
……そして、その愛らしさが、少し、胸に刺さった。
研究室に行くと教授が話しかけてくる。
「あ、タキムラ。今日は一人なのか?」
そう言って教授は周囲を見渡す。
「ええ。あ、ナオですか?あいつは直ぐどこかに行ってしまうので……」
そうか、と、教授は納得する。
「あ、タキムラ、服に糸が付いているぞ。」
そう言って、教授が服に着いていた、長い銀髪を取ってくれる。
教授はその糸をくるくると巻いて、白衣のポケットにしまう。
……きっとナオの抜け毛だろう。
「あ、すみません。」
少しの気恥ずかしさが胸を満たす。
ゴミ取りの粘着テープを買わないとな、と、思った。
教授は笑顔で話す。
その横顔に、真剣な眼差しが見えた。
「タキムラ、この前のレポート、なかなか良かったよ。生命倫理と交雑による環境への影響。まさに、生命科学分野が直面している課題だ。」
教授は自席に戻り、窓の外を見ながら話す。
その顔は、とても真剣なものに見えた。
教授の話を聞きながら、新たに思った疑問を、教授と話し合っていた。
窓の外には青空が広がり、雲が漂っていた。
研究室棟から出ると、以前傘をくれたスーツの男が向かいのベンチで缶コーヒーを飲んでいた。
「あっ!」
そう声を上げると、彼はこちらに顔を向け、よっ、と、片手を上げる。
俺は少し、警戒したまま話しかける。
「……あなたは……何の用ですか。」
そう言うと、彼は口角を上げて言葉を発する。
その目元は、サングラスに隠れて見えなかった。
「少し、話さないか?知りたいことも、あるだろう?」
そう言って、彼は学内のカフェを指差し、奢るぜ、と言う。
俺は、断る理由も思い付かず、頷きその後ろをついて行く。
コーヒーを二つ頼み、俺たちは席に着く。
「……さて、何から話そうかね。」
男はそう言って考える仕草をする。
俺は、名前を知らないことを思い出し、自己紹介をする。
「あの、呼び方が分からないと不便で……俺、タキムラシュウジと言います。あなたは?」
そう言うと、一瞬呆然とした顔を浮かべた後、笑いながら話す。
「くく……それもそうだな。俺のことは……コトシロとでも呼んでくれ。ま、商人だ。そう思ってくれて良い。」
……はぐらかされたのだろうか。
しかし、呼び名があるのは便利だ。
「コトシロさん、ナオは、あの子は何者なのでしょうか。彼女は、自分を愛玩動物だ、と、言っていました。」
その言葉を、コトシロは静かに聞いていた。
お待たせしました、と、コーヒーが運ばれて来る。
コトシロはコーヒーを口に付け、カップを置いた後に静かに話し始める。
「予想は付いているだろうが、俺たちは未来の人間だ。」
その言葉に、あまり驚きはなかった。
カップの湯気が真っ直ぐ上に伸びていた。
シュウジは、かなり頭が切れるようだ。
こちらの素性を明かしても驚く様子もない。
やっぱり、と、俯くその姿を見ながら思う。
「で、ナオ、だがな。こちらの時代では人に別な動物の遺伝子を組み合わせた生き物を、ペットとして飼っている。……意思の疎通もできるからな。それが、あの子だ。」
彼はその言葉を静かに聞いていた。
俺はカップのコーヒーを口にする。
……古い品種の豆のブレンドだ。
向こうでは高級品だろう。
カップを置いて尋ねる。
「で、知りたいのはなんだ?名前と、正体を知りたいだけではあるまい?」
シュウジは少し俯いた後、覚悟を決めた様に聞いてくる。
「なぜ、彼女は、俺に尽くすのでしょうか。……彼女は、その、俺の、所有物だ、と。」
そう話す彼は、少し震えている様に見えた。
「……ふむ。彼女は、君と契約をしている。所有者と所有物の関係だ。主従関係、と、受け取ってもらっても良い。その契約は、手で直接食べ物を与えることで成立する。まあ、ペットだからな。餌は生殺与奪権そのものだ。」
そう伝え、再びコーヒーを口に運ぶ。
この品種の味は悪くないな、と、考える。
カップの向こうに、驚いた表情を浮かべるシュウジが見えた。
その顔は直ぐに俯く。
彼の握られた手は震えていた。
ぴくッとナオの耳が動く。
私はナオに尋ねる。
「……どうしたの?」
ナオは周囲を見渡した後、微笑んで私に伝える。
「ちょっと、用事ができたみたい。ありがとう、サキ。またね。」
そう言ってナオは走っていく。
鈴の音が遠ざかっていく。
私は呆然とその後ろ姿を見送った後、草原に寝転んで、呟く。
「やっぱり可愛いなぁ、あの子は。」
笑顔が浮かんでいた。
心に刺さっていた棘は、もう無かった。
見上げた空は、どこまでも青く澄み渡っていた。
「シュウジ!」
ナオが喫茶スペースに飛び込んでくる。
俺とコトシロの間に満ちていた沈黙に、鈴の音が響く。
俺の隣に立ち、コトシロを睨み付ける。
「……シュウジに、何をしたの?」
その尻尾は膨らみ、猫耳の毛も逆立っていた。
コトシロは両手を軽くあげ、やれやれ、と言った風に言葉を発する。
「何もしてないさ、なあ、シュウジ。……ただ、話をしていただけさ。」
そう言って、コトシロは立ち上がる。
「シュウジ、これだけは言っておく。彼女の存在は時間の歪みを引き起こす。取り換え時のつかない破局を引き起こす可能性がある。」
「……えっ?」
俺は、その言葉の意味が分からなかった。
コトシロは、片手をひらひらと振りながら去って行く。
完全に見えなくなるまで、ナオは警戒を解くことは無かった。
商人が去った後、警戒を解いて、シュウジの方を見る。
「……シュウジ?」
シュウジは、私の顔を見た後、その顔を伏せる。
握られた手が、震えていた。
「俺……そんなつもりじゃなくて、ただ、お腹を空かせているのかなって……」
その声は震えていた。
言い終える頃、シュウジの目から涙が零れる。
私は、どうすれば良いのか分からなかった。
ただ、俯いて、声を殺しながら泣くシュウジを、その隣で見守ることしかできなかった。