第6話 朱
りん、と鳴る鈴の音と共に、ナオが蹴り飛ばされて来る。
「ナオ!」
また立ち上がろうとするナオに駆け寄る。
ナオはゲホゲホ、と咳き込み、血を吐く。
「ナオ、どうして……」
こんなにボロボロになりながら、自分を守ろうとしてくれるのか。
視界が歪んで、ナオの顔がはっきり見えなかった。
無力さが、その手で震えていた。
「シュウジ、酷い顔。」
そう言ってナオは笑う。
そして、静かに言う。
「……ごめん、シュウジ。私じゃ、勝てなかった。」
彼女は俯く。
鈴の音が鳴る。
「そうだ、この鈴が。」
鈴の音が、ナオの居場所を相手に知らせていた。
ナオが、素早く動く度に、鈴の音が響き、相手に対応される。
「ごめん、ナオ。それでも、俺は、君に逃げて欲しいんだ。助かってほしいんだ。」
そう言ってナオの首輪を外す。
手の中で、りん、と澄んだ音が響く。
月が雲に隠れ、辺りが闇に包まれる。
「ふんっ、面倒をかけおって。」
そう吐き捨て、倒れているペットと、盗人に向かって歩む。
「窃盗は、この時代でも犯罪であろう?罰を、与えねばな。」
ペットを躾ける時に使う、電流の棒を右手に転送する。
月明かりが雲に隠れ、棒が放つ光が際立つ。
りん、と鈴の音が聞こえた。
ペットが消え、盗人だけが残されていた。
後ろから、獣人の倒れる音が聞こえた。
身体が熱い。
指先まで、力が入る。
感覚が研ぎ澄まされる。
周りにいる狼型獣人の位置が分かる。
全部で8匹。
群れを率いている1匹が、感覚で分かる。
シュウジを、守らないと。
その思いが身体を動かす。
先程までとは比較にならない程身体が軽い。
群れの長が気付く前に鳩尾に一撃。
がっ、と短く声を上げ、崩れる。
長が倒れ行く間に、続けて3匹を気絶させ、1匹を蹴り飛ばす。
残り3匹。
相手が気付いて反撃をしてくる。
動きが読める。
打撃を躱し、その捻った身体の勢いのまま蹴り飛ばす。
警戒と混乱を感じる。
頭部の猫耳が、第6の感覚器として、敵の混乱を、感情を伝えていた。
後ろから2匹が時間差で狙ってくる。
1匹目の打撃を躱すと、そこに2匹目の蹴りが待っていた。
上に跳躍し、2匹目の頭の上に倒立する形になる。
尻尾が動き、バランスを取る。
そのまま体を曲げて、後頭部に膝を入れる。
めきっ、と音を立て、膝がめり込む。
回転の勢いを利用して後ろに飛ぶ。
片手で軽く地面を押し、足を地面につけ、力を入れて前に蹴り出す。
まだ打撃の体勢から戻り切っていない、最後の1匹を蹴り飛ばす。
ピンと伸びた尻尾が、その体勢を無理なく支えていた。
そして、シュウジの方へ向かう。
「これはこれは。」
少し離れた屋根の上から、戦いを見ていた。
これが軍用。
兵器としての獣人か。
「個人所有が、禁止されるのも納得だ。」
葉巻を取り出し、火を付ける。
闘技場に出すにしても、これでは一方的すぎる。
ただの蹂躙だ。
賭けにならない。
ふぅ、と、煙を吐き出す。
「……段階的制御が、必要か。」
呟きは、煙とともに消えていく。
「な、何が起きている?!」
従えた獣人が次々と倒れていく。
相手を捉えることもできず、一方的に蹂躙されていく。
盗人に向かって走る。
あいつを捕らえて、脅せば止められる筈だ。
月明かりが差し、光が訪れる。
目の前に、朱い光が見えた。
「ぐふっ!」
腹部を蹴られ、後ろへと吹き飛ばされる。
防御膜が衝撃を吸収し、直接の衝撃は無かった。
が、そのまま食らっていたら内臓が破裂していただろう。
吹き飛ばされ、地面を転がり、盗人の方を見る。
防御膜が音を立てて砕ける。
盗人を守るように、朱い目の猫型獣人が立っていた。
「……ナオ?」
ナオに声をかける。
向こうに、地面に伏しながらこちらを見ている男がいる。
「……す、素晴らしい性能だ。金額以上だ!」
男が声を上げる。
不意に、街灯が光を取り戻す。
「旦那!時間切れだ!おたくの獣人は回収してある。撤収だ。」
以前、傘をくれたスーツの男が言う。
「あ、あの時の!」
そう言うと、スーツの男が軽く、また会ったな、と笑う。
「あの性能を前に撤収だと?!捕らえろ!」
そう言う男を、体格の良い男が担ぎ上げる。
「やめろ!放せ!あれは私のだ!」
そう喚く男を肩に乗せ、歪みの中に消えていく。
その後を、スーツの男が手をこちらに軽く振りながら続いていく。
呆然と見送った後、そうだ、とナオの前に出て、その顔を見る。
青く澄んだ瞳は、その色を朱に変えていた。
その目に、涙が浮かんでいた。
「……シュウジ、私……。」
ナオは、震えていた。
その姿に、言葉が出なかった。
「……お願い……。……首輪を、私に首輪を付けて……。」
涙が頬を伝う。
「あ、ああ……。」
それに従い、ナオに首輪を付ける。
ナオは、目を閉じ、その鈴に触れる。
りん、と澄んだ音が響く。
ナオの目から涙が溢れる。
声を上げ、抱き着いてくる。
ナオは、そのまましばらく泣き続けた。
俺は、泣き続けるナオの頭を優しく撫でていた。
それしか、できなかった。
――第一楽章 朱のカデンツァ 完