第3話 作り物の心
論文を読み、ゲノム研究の現在を改めて調べていた。
先程見た、タキムラが連れていた少女が、気になっていた。
デザイナーチャイルドはまだSFの世界。
遺伝子改変も、植物に対してのみ、限定的。
それでも、あの少女の精巧な美しさと、異質な耳と尻尾が、自分を動かしていた。
「今の技術ではやはり不可能。研究も、倫理的な問題から停滞中。」
声が出ていた。
自分に言い聞かせたかったのかもしれない。
やはり、あれはコスプレだ。
化粧にカラコン、幾らでも見た目は変えられる。
そう、自分に言い聞かせていた。
それでも、胸に不安が広がるのを抑えることはできなかった。
研究室の窓から見上げた空に、呑気に雲が漂っていた。
講義に出ていると、男子の会話が聞こえてきた。
猫耳と尻尾を付けた、コスプレ美少女の話だ。
……シュウジくんの連れていた子の話だ。
それ以外に考えられない。
胸が、痛んだ。
あの子はとても綺麗だった。
人形の様な、と形容せざるを得ない程の、完璧な美を持ち、そして、可愛さを象徴する猫耳と尻尾。
「……あざとい。」
思わず呟いた。
周りから見たら酷い顔をしている様に見えるだろう。
気持ちを切り替えないと。
頬を叩く。
……痛い。
でも、少し気が晴れた気がした。
哲学の講義では、先生がニーチェを語っていた。
ニヒリズムの極致。
その先にある超人思想。
難しいなぁ、と思いながら、ノートを取っていた。
ノートの隅に、猫耳少女の落書きが描かれていた。
「まだ見つからんのかっ!」
重厚に仕立てられた室内に怒声が響く。
高い天井に、大理石を思わせる艶のある壁と床。
磨かれた木材の机に映る男の顔に焦りが浮かんでいた。
怒声を受けた端末が感情の無い声を返す。
「現在、行動確率の再評価中。進行度、78%。」
落ち着かなく机を指先で叩く男に、黒い革製のソファーに座った、中折れの帽子を被ったスーツの男が言う。
「あの時空の狭間を取引場所に指定したのは、あんただろう?」
葉巻の煙を吐き出し、良い葉だ、と呟く。
その表情は、黒いスマートグラスに隠され、読み取れなかった。
「そもそも、お前たちがっ……。」
その言葉に、ソファーに座る男の後ろに控えていた男が体を向ける。
「ひっ……!」
威圧され、男が怯む。
ソファーの男が、落ち着いたまま煙を吐き出し、言う。
「代金を貰っている以上、商品がどうなろうが、我々は知らん。が、あんたのミスで管制局に目をつけられちゃあ、こっちも困る。」
そして、また煙を吸い込む。
――時空管制局。歴史の改竄を監視し、防ぐための国際機関。
歴史に影響を与えることは重大犯罪になる。
「……こっちでも探している。追加の料金は、頂くぜ?」
その目は、スマートグラスに流れる文字を追い続けていた。
「行動確率、再評価完了。各仮説の尤度を評価中。確率の高いルートから検索します。」
無感情な声が響く。
ソファーの男が咥える葉巻から上る煙が、ゆらゆらと揺れていた。
「愛玩、動物……?」
何を言っているのか分からなかった。
それは自分はペットである、と、言っているのだろうか。
言葉が通じるのに。
人の姿をしているのに。
……猫耳と尻尾はあるが。
その言葉を受け入れることは、できなかった。
どうしても、対等な存在としか思えなかった。
落ち着かない心を抱えていると、彼女は笑顔を作る。
「そ。つまり、シュウジは、私のお世話をするの。飼い主の義務、でしょ?ね?」
鈴が、りん、と澄んだ音を立てる。
彼女の顔に、もう悲しみは見えなかった。
自分は、どんな顔をすれば良いのか、分からなかった。
シュウジが困っている。
元気付けてあげないと。
それが、私の存在意義だから。
そう思い、笑顔を作る。
自分の世話をするのだ、と伝え、ウインクをして見せる。
シュウジは曖昧な表情をする。
うーん、困った。
少し考えたが、まあいっか、と軽く捉えることにする。
考えてもしょうがない。
頭を使ったらお腹が空いてきた。
伝えると、少し悲しそうな顔をしたまま、シュウジは台所に向かう。
物に、そこまで悲しむ人がいるなんて知らなかった。
外を月が照らし、遠くに重い雲が広がっていた。
重い雲は時折光り、沈んだ音を響かせていた。