第22話 喪失
「エラー率六.二%です。増加傾向にあります。」
管制局本部で、計器を見つめる局員が報告する。
「戦力三十五%無力化されました。無力化された隊員を回収します。」
指揮官が報告を聞き、モニターを見ながら指示を出す。
「獣人部隊を投入。ターゲットはコトシロだ。向こうの獣人を縛り付け、直接コトシロを狙う。暗殺部隊を出せ。」
言い終え、少し目を瞑る。
向こうも、こちらの狙いは読み取る筈だ。
目を開き、モニターを見る。
自由に踊る様な動きのツートンヘアの獣人と、ワルツを舞う様に滑らかに動く銀髪の獣人。
その二人の動きに翻弄される局員を見ながら、まるで踊っている様だな、と、呟いた。
獣人部隊に対し、二人の動きは完璧と言って良いだろう。
自由に暴れる様に動き回るミケに、滑る様に動きながら獣人を無力化していくナオ。
噛み合わない様なスタイルだが、互いに補い合いつつ、相手のリズムを崩している。
旦那もサポートに徹している。
シュウジは固まったままだが、こちらは想定通り。
シュウジはただそこに居てくれれば良い。
……これで良いのか?
不安が脳を掠めた。
俺が管制局ならどうするだろうか。
あの二人は厄介だ。
まともにやり合いたくはないだろう。
なら貼り付けて、直接俺を狙う。
俺をこの場で強制排除することが第一目標なのだから。
感覚を研ぎ澄ます。
何処から来るだろうか。
何を、出してくるだろうか。
違和感を感じ取り、自然と右に動く。
頭のあった場所の、後ろの壁に穴が空いていた。
音は聞こえなかった。
向かいに目を向ける。
狙撃手の姿は確認できなかった。
同じものを感じ取り、咄嗟に叫ぶ。
「ミケ!跳べ!」
ミケは直ぐ声に反応して跳ぶ。
壁を利用し、速度を落とさずに距離を取る。
ミケの居た場所の地面に、小さな穴が空いていた。
ミケは排除しても問題無い、と言う判断だろう。
やはり狙撃手の姿は確認できなかった。
厄介だな、と、思った。
その瞬間、背中に冷たい衝撃が走った。
何かが内部を貫く感触。
背後から声が聞こえた。
「ターゲット、排除。」
葉巻が口から滑り落ち、帽子が視界の端で転がる。
声は出なかった。
地面が失われた様な感覚がした。
シュウジが気付いて寄ってくる。
「コトシロさん!え……耳……?」
……しくじってしまったな。
たが、これで良かったのかも知れない。
俺が守る時間は、シュウジにとって、辛い未来の果てだ。
人に、分かっている一つの滅びを避けさせるのも、俺の役目なのかも知れない。
口許に無理やり笑みを作り、シュウジに顔を向ける。
「……シュウジ、すまない。だが、聞いて欲しい。……お前の未来は、誰かに決められるものでは無い。それは、お前自身のものだ。」
ぼやけるシュウジの顔を見ようとするが、よく見えなかった。
「え、一体、何を言って……それより、血が……」
心配する様子を感じたが、そのまま話を続ける。
「……すまない。……シュウジに、ナオと一緒に居させてやれなかった。そういう約束だったのにな……」
もう、何も見えなかった。
ただ、謝っておきたかった。
約束を違えてしまったから。
人に、不誠実をしてしまったから。
こんな時でも、自分は獣人なのだな、と、思った。
そう思うと、少し、気が楽になった様な気がした。
「エラー率急上昇!二十%超過!」
管制局が騒然とする。
オペレーターの手が止まり、言葉を失う。
エラー率だけが上昇を続けるのを、その場の全員が固唾を飲んで見守る。
指揮官が立ち上がり、焦りを浮かべた顔で叫ぶ。
「何故だ?!コトシロが原因では?!」
叫んだ後、糸の切れた操り人形のように、椅子に崩れ落ちる。
力無く、言葉を絞り出す。
「……コトシロは、排除してはいけなかった……奴が、要石だったのだ……」
モニターで、コトシロの傍にしゃがみ込む若き日のタキムラ博士の姿を見る。
画面に一瞬ノイズが入った気がした。
画面に残されていたのは、一人でしゃがみ込むタキムラ博士の姿だけだった。
エラー率は三十%を超えていた。
誰も言葉を発さなかった。
一体何が起きたのか。
誰も、それを覚えていなかった。
ただ、理由も分からず、時間崩壊が起こる、と言う確信だけを与えられていた。
管制局員の動きが一瞬止まる。
しかし、目の前で繰り広げられている管制局の獣人と別の獣人。
局員の一人が通信機に叫ぶ。
「何が起きている?!本部、応答を!……クソッ!」
分からないが戦闘が起きている。
であるなら、相手は敵だ。
そう判断し、戦闘を継続する。
そうするしかなかった。
「シュウジ!何をしている!離れると私が狙われる!」
ハッとして周囲を見る。
カガリが、物陰に身を隠しながらナオとミケのサポートをしていた。
カガリの許へ戻る。
分からない。
何をしているのだろう。
なんで、戦っているんだろう。
一瞬、ナオと目が合う。
ナオは対峙していた獣人を蹴り飛ばし、こちらに向かってくる。
「ありゃ?ナオちゃんどうしたの?」
ナオの動きを見て、ミケが言う。
首を傾げる仕草を見せるが、ミケは戦闘を継続する。
ナオが、俺の前で立ち止まる。
銀髪がなびく。
その唇が、そっと触れる。
「……ナオ?」
嫌な予感がした。
不安を掻き消して欲しくて、その名前を呼んだ。
ナオは満面の笑顔を作る。
「シュウジ、ありがとう。」
長い銀髪が、陽の光に輝いて見えた。
その姿に、思わず見惚れていた。
カキーン、と、野球部のバットの打撃音が聞こえた。
周囲には会話をしながら歩く学生達。
「――。」
何かに声をかけようとした。
その名が出てこない。
その顔が分からない。
それが、なんであったのかも、失われていた。
何か、大切なものを、どこかに落としてきたような気がした。
膝から力が抜け、その場に座り込んだ。
通り過ぎる学生達が、ちらりとこちらに目を向ける。
けれど、気にすること無く歩き去っていく。
俺は、その場から動けなかった。
ただ、呆然としていた。
私は、学生からのレポートを鞄から取り出し、机の上に重ねていた。
レポートを取り出した後、ファイルに入れられた遺伝子解析結果の紙に気付いた。
「これは……?」
記憶には無かった。
取り出して、それを見る。
人に、猫が混ざったような結果。
「……?不純物が混ざったものかな。……なんでこんなものを?」
それを見ながら暫く考えたが、思い当たるものはなかった。
「まあ、プライバシー情報だしね。」
そう呟き、溶解処理する廃棄物として、その紙を処分する。
外は明るく、晴れた空は、変わらない日常そのものを示していた。
暗くなった頃、部屋へと帰った。
「……ただいま。」
誰も居ない部屋に、挨拶をする。
そう言えば、いつからただいま、と、言う様になったのだろう。
一人暮らしを始めてから、言ってなかったはずだ。
部屋の明かりを付け、鞄を下ろす。
ふと、床に出されたままの、青い猫じゃらしが目に入った。
それを見た瞬間、何か、心にぽっかりと穴が空いたような気がして、涙が溢れた。
泣いたまま、俺は部屋を飛び出した。
何か、それが何かは分からないけれど、それを見付けないといけないと思った。
河川敷や画材屋を巡り、雑貨屋で同じ猫じゃらしを見付けた。
「……なんで……猫なんて飼って無いのに……」
涙が止まらなかった。
迷惑にならないよう、店から出た。
朝が来るまで、涙は止まらなかった。




