第14話 赤の音
ベンチに座ってのんびり日の傾きかけた空を眺める俺の元へナオがやってくる。
「ふう、いっぱい動いて楽しかった。」
満面の笑顔を浮かべて言う。
良い気分転換にもなったな、と、思いながら、ナオに伝える。
「良かったね。この後、画材屋に行っても良いかな。切らしてるトーンがあって。」
ナオは元気に頷く。
立ち上がり、画材屋に向けて歩き出す。
ナオは俺の隣に並んで、尻尾を腕に絡ませてくる。
こんな日々が続けば良いと、素直にそう思った。
私は画材屋に来ていた。
何となく、家では集中できなくて、漫研で書き溜めたアイディアの整理をしながら、漫画の構想を考えていた。
休日ということもあり、部室には誰もいなかった。
シュウジくんでも来てくれたらな、と、考えて、以前画材屋への道の途中で会ったな、と、そう思って画材屋に来ていた。
「……まあ、居るわけ無いよね。」
ぼやきが零れる。
特に必要なものがあるわけでもなく、店内を見て回っている内に空が赤く染まっていた。
……帰ろう。
何かあるかな、と、見ていたけれど、必要な物は揃っていた。
お店から出て、駅の方へと向かう。
休日の学生街の、まだ夕方の時間帯は人も少なかった。
角を曲がったところで、道の先にシュウジくんとナオちゃんが歩いているのが見えた。
あっ、と、つい嬉しくなった。
私は駆け出していた。
周囲の喧騒が消えている事に、私は気付いていなかった。
「……準備はできている。いつでも空間隔絶できる。」
旦那と通信しながら、駅の屋根からナオとシュウジの姿を確認する。
過去移動への副産物として生まれた空間隔絶技術。
時間軸上の距離を固定し、その分だけを反転させる過去移動技術。
その技術の理論化の際に、虚数時間へ位相をずらす、と言う理論が導かれ実用化された。
この隔絶空間で流れる時間は実時間に影響を与えない。
対象を決めて隔離する。
隔絶に依るズレが補正できない存在は隔絶に巻き込まれる。
ナオを対象にして、シュウジが一緒に入り込むように。
これも世界のエラー訂正機構だ。
視界から、離れたところにいる人が消えても、誰も気にしない。
勘違いや見間違いとして、処理される。
小石が、川の流れを変えないように。
葉巻を吸いながら隔絶タイミングを狙う。
通信越しに早くしろ、と、声が聞こえる。
「……旦那もせっかちだねぇ。」
煙を吐き出しながら区画内にナオたちが入るのを確認し、隔絶を行う。
周囲の音が消え、静寂が訪れる。
赤い空を見上げ、どう引き上げるか、今後、旦那をどうしていくかを考える。
……旦那は俺より過去の存在だ。
消すわけにもいかない。
視線をナオたちに戻すと、民間人が二人に駆け寄るのが見えた。
「旦那!民間人を巻き込んだ!中止だ!」
叫ぶと同時に、民間人がナオを突き飛ばすのが見えた。
その横から、ナオを捕まえようと空間の裂け目から伸びてきた手が、民間人に当たる。
押される形になった民間人が、コンクリートの壁に倒れ込む。
頭を打ったように見えた。
「チッ!」
屋根から飛び降り、走る。
襲撃が失敗するよう、近くに控えさせていた部下に伝える。
「強引にでも良い。直ぐに旦那たちを撤退させろ。」
隔絶を解除し、撤退の準備をする。
嫌な予感がした。
悪い予感は当たるんだよな、と、思った。
「シュウジくん!ナオちゃん!」
名を呼ばれ、声の方を向く。
「あっ、サキ。」
サキが笑顔で駆け寄って来る。
しかし、途中からその笑顔が消える。
止まらず、逆に速くなったように見えた。
そのままナオを突き飛ばす。
「……えっ?」
呆けた声が漏れた。
直後、サキが横に倒れる。
壁に頭を打ち付け、がっ、と、鈍い音が聞こえた。
サキは動かなかった。
頭から血が流れているのが見えた。
血液が衣服を汚していく。
夕焼けの中に、真紅が広がっていく。
俺は、何が起きたのか分からず、立ち尽くしていた。
「エラー率急上昇。上昇値5.3%です。現在5.5%を示しています。」
管制局に声が響く。
これまでの観測から、エラー率は10%を超えてはならない、と規定されている。
5%を超えると、干渉結果が何らかの形で残る。
超過傾向が見られれば、即時排除が求められる。
それが、時空管制局の役割だ。
歴史を、時間を崩壊させない事。
その為の組織。
時間崩壊が観測されることは無い。
発生すれば、観測しているこの時間が消えてしまうからだ。
管制局員が慌ただしく動く。
「発生源特定。部隊を向かわせます。」
隊員たちが整列し、消えていく。
発生原因の特定と、状況によっては緊急排除の必要もある。
オペレータがエラー率を見ながら指示を出していた。
あ、サキだ。
私はサキの笑顔を見て、手を振ろうとした。
サキは、そのまま私を突き飛ばした。
「えっ?」
私の居た場所の横から腕が生えていた。
私を突き飛ばしたサキが、私の代わりにその腕に当たる。
サキが横に押され、倒れていく。
私は、身体を捻り、反射的に手をつき、回転して着地する。
視線を戻すと、腕の主がそのまま空間に出てくるのが見えた。
狼型の獣人。
以前襲ってきたやつの一体だ、と思った。
私を捕らえようとした腕が空を切る。
私は、襲撃に気付いていなかった。
きちんと音を聞いていれば気付いていたはずだった。
つい先程まで聞こえていた話し声や、自動車の音も聞こえていない。
ここは隔絶された空間だ。
サキは、私を守ろうとしてくれた。
……自分のせいで、サキに怪我を負わせてしまった。
奥歯を噛みしめる。
握った手が震えていた。
「シュウジ!救急車を呼べ!」
叫びながら民間人の負傷部を救護膜で覆う。
「えっ、コトシロさん……?」
シュウジに目を向けると、はっとした顔でスマホを取り出すのが見えた。
急いで状況を確認する。
旦那の獣人は部下が回収済み。
旦那を見つけたところで管制局の部隊が現れる。
「クソッ。」
旦那に飛びつき、小脇に抱えて時空の穴に飛び込む。
管制局が現れたということは、この怪我は既定路線ではない。
奥歯を噛み締めながら、俺は撤退した。
突然現れた、同じ制服を着た人たちが、コトシロが撤退すると一人を残して消える。
残った一人の服装がカジュアルな物へと変わる。
救急と連絡したままのシュウジに、彼は何かを見せ、私の方へと近付いてくる。
「時空管制局だ。ここはタキムラくんに任せ、君は隠れた方が良い。案内しよう。」
シュウジに目を向けると、こちらを向いて頷く。
私も頷き、管制局員に従う。
サイレンの音が聞こえてくる。
管制局員に案内されながら、私は尋ねた。
「……私を連れ戻さないの?」
管制局員は答えなかった。
私達は、二人でそこから離れた。
サイレンの音と、管制局員の靴音だけが響いていた。




