第11話 未来への舞曲
広い部屋の中、ソファーにコトシロが座っていた。
積み上げられた様々な時代の書籍や文献。
それらは、以前からそこに置かれていたものだった。
清掃ドローンが定期的に埃を払い、整理し直す。
清掃の際に全ての内容はアーカイブされているため、原本を残しておく必要はないのだが、コトシロは古い書籍を読むのを好み、時折それらを読んでいた。
コトシロがデジタルアーカイブにアクセスする。
「遺伝子工学について。シュウジ、と言う名に関連する、遺伝子工学初期の人物の情報を出してくれ。」
その言葉に、部屋のスピーカーが応じる。
感情の抑えた女性の声が響く。
『タキムラシュウジ博士。医学、理学、工学、法学博士。』
随分と多岐にわたるな、と、思った。
『遺伝子操作における基礎理論を、ミゾグチ担当教授と学生時代に確立。』
コトシロは眉をひそめる。
『その後、医学的応用の道を拓きつつも、生命倫理上の問題を国際法としてまとめあげる。学生時代に師事したミゾグチ博士とは同じ志を持ち、生涯の前半は遺伝子操作技術に対して非常に保守的な立場を示す。』
保守的。
遺伝子操作の危険性を認め、警鐘を鳴らしていた側。
コトシロは情報をそう受け止めていた。
『晩年、方針を転換し、数多の遺伝子操作技術を発表。デザイナーズチャイルドを始め、遺伝的別種の融合技術、後の獣人技術の基礎理論を発表。後に、遺伝子操作の父と呼ばれることになる。』
「もういい。そこまででいい。」
コトシロが声を上げる。
『わかりました。情報提供を終了します。』
コトシロはソファーに身体を沈め、咥えていた葉巻の煙を吐き出す。
葉巻を外し、灰を落としながら呟く。
「……こっちが既定路線か。」
で、あるならば、管制局はどう動くのか。
それとも、干渉の有無に関わらずこうなっていたのか。
葉巻を口にし、煙を吸い込む。
充分に味わい、ふう、と吐き出す。
「……過去を学ぶ楽しさを、俺はいつ失ってしまったんだろうな。」
そう言って、近くの本を一冊拾い上げる。
ぱらぱらと捲り、そっと閉じる。
閉じた本の表紙には、擦り切れた活字で、存在と時間、と刻まれていた。
コトシロはしばし、その文字を懐かしそうに見つめていた。
そうした後、ふっと笑いを漏らし、立ち上がる。
「さて、行きますかね。」
言葉と同時に空間に穴が生じる。
コトシロがその中へと進んでいく。
その後ろを、彼に付き従う大柄の男がついて行った。
その日はナオが大学についてきていた。
講義の後、研究室に寄るから、と、ナオを漫研か別なところに行っておいてもらおう、と、思っていると、教授が、君も来るかい、と、ナオを誘っていた。
ナオは、うん、と、返事をし、三人で研究室に向かっていた。
「君は、確か、ナオちゃん、と、言ったかな。ああ、シュウジくんがそう呼んでいたからね。」
教授がナオに話しかける。
ぴん、と耳と尻尾を立てたまま、ナオが答える。
「うん、私はナオ。あなたは?」
「す、すみません。こら、ナオ、教授に失礼だぞ。」
教授が笑顔を浮かべながら答える。
「構わないよ。フランクに接してくれて構わない。……私もまだ若いつもりだしね。威厳も無いだろう。准教授だしね。」
教授は柔和に笑う。
俺はナオに耳打ちした。
「……俺の研究室のボスなんだからさ、頼むよ。」
ナオは分かった、とだけ言う。
「名乗っていなかったね。私はミゾグチケンジ。今は生命科学の研究室を任されているが、専門は有機化学だ。」
そう言って教授が手を差し出す。
ナオがそれを取り、握手をする。
「ナオくんも、自由に遊びに来て良い。今日会わなかったメンバーには私から紹介しておこう。」
「ありがとうございます、教授。」
ナオの代わりに頭を下げる。
ナオは、ありがと、と軽く答えるだけだった。
その尻尾はゆっくり揺れていた。
研究室に着くと、先輩方が物珍しそうにナオを見ていた。
教授がメンバーに簡単に紹介してくれる。
ナオも軽く礼をして応じる。
俺は急いで培養している細胞の様子を見に行く。
俺はテーマをまだ持たず、先輩に教わって細胞の培養をしていた。
その中で、アポトーシスに興味を惹かれ、それらの先行研究をまとめた上で教授とディスカッションを行っている。
今日はナオもいるので、先輩の手伝いをしたらレポートだけを渡して帰らせてもらおう。
そうしているうちに時間は経つもので、気付けば二時間経っていた。
「ごめん、ナオ。遅くなった。」
「ううん、大丈夫。教授と話していたから。」
教授も頷く。
「ありがとうございます。あと、これ、まとめてきたレポートです。」
鞄から取り出して渡す。
教授はさっと目を通して言う。
「よく調べているね、関心するよ。ディスカッションは、また今度かな。」
言いながらナオに目を向ける。
「そう言っていただけるとありがたいです。」
頭を下げる。
教授が笑いながら言う。
「私も楽しい話ができた。ナオくんも、また遊びに来てくれ。」
礼をして、研究室を去っていく。
「……教授と、何を話したんだ?」
「ん、色々。」
ナオは特に興味無さ気に答える。
ぴんと立ち上がった尻尾が、特に不満は無いことを示していた。
窓の外には夕暮れの赤い空が広がっていた。




