毒の影を追え⑤
不気味な靄が森を覆い、腐敗した肉の悪臭が風に乗って広がっていく。そこに立っていたのは、まさに災厄の象徴だった。
全身が黒紫にただれ、皮膚はところどころ剥がれ、腐った筋肉がむき出しになっている。骨の一部は露出し、白く変色した肋骨の隙間からは、ぶくぶくと泡立つ毒液がこぼれ落ちていた。
身の丈は優に三メートルを超え、常に体中から紫色の毒霧が漏れ出す。眼窩に光る真紅の光が、あらゆる生を嘲笑うようにゆらめいている。
それが、瘴毒巨屍――死と毒が融合したようなアンデッドの巨人だった。
「こいつの毒は強力でな」
仮面の男が嘲るように言う。
「早く倒さないと、辺り一帯が毒ガスで満たされる。……その女も、じきに死ぬぞ」
カイの視線がリーナに走る。まだ意識はあるようだが、動けない。痺れが残っているのか、指一本さえ動かせず、必死にこちらを見ていた。
(くそっ、時間がない……!)
カイは腰に差していた麻痺毒のナイフを抜き、勢いよく投げつける。ナイフは瘴毒巨屍の右肩に突き刺さった。しかし巨人はまるで気にも留めない。のっそりと右手を振り上げると――。
ゴオォッッ!
その一振りで、太さ数十センチの木々がまとめてなぎ倒された。触れた木々は毒に侵されて紫色に変色し、じゅうじゅうと音を立てて蒸気を上げながら、溶けて地に崩れ落ちていく。
(毒の浸食……ここまで強烈なのか)
だがカイは怯まなかった。巨体が踏み込んできた瞬間、間合いを一気に詰める。
「毒なら得意分野なのはお前だけじゃない」
毒を収束させ、手元に鞭を形作る。
《毒鞭》。溶解毒を鞭状に変形させたそれを、カイは思い切り巨人の膝に叩きつけた。
ジュウッ!!
手応えがあった。腐肉が焼けるように崩れ、骨まで浸食していく。
「……効いてるな、これは」
しかし、その喜びはすぐに打ち砕かれた。瘴毒巨屍の傷口から、腐った肉がにゅるにゅると再生し、数秒で元通りになっていく。
「再生能力持ちかよ……ふざけんな」
カイが舌打ちしたそのとき、瘴毒巨屍が胸元を膨らませた。次の瞬間、毒の濁流が吹き出すように吐き出される。ブレス――強力な毒の奔流が一直線にカイを襲った。
しかし――。
カイはその場に立ったまま、目を細めてそれを受けた。紫の霧が全身を覆い尽くすが、肌に異常はない。むしろ、懐かしさすら感じる毒の匂い。
「効かねぇんだよ、俺にはな」
「……毒が、効かない?……やはり君は面白い……まだ壊すには惜しいな。もう少し、その毒の可能性を見せてもらおうか」
男の声が一段と愉悦を帯びたものになる。
毒霧の中、カイは一瞬、むせるように息を吸い込んだ。そのときだった。
――《ユニークスキル:狂気の科学者》により毒性構造を解析中。
――毒の摂取を確認。スキル再現条件を満たしました。
――《瘴毒霧》が再現可能となりました。
頭の中に、電子音のような声が響いた。カイは目を見開いた。
(……吸っただけで摂取扱いかよ。だけど、ありがてぇな)
「……《瘴毒霧》か。瘴毒巨屍と同じ毒を、俺自身が操れるってわけだな」
さらに脳内に走る毒の情報。瘴毒巨屍の毒が、単なる攻撃手段ではないことをカイは理解する。
(……なるほどな。こいつ、毒を吐き出し続けることで、自分を保ってる。毒そのものが、こいつの生命活動……つまり“エネルギー”ってわけか)
通常の生物が血液や魔力を巡らせるように、瘴毒巨屍は“毒”を循環させ、体を動かし、再生している。ならば――。
「毒が命そのものなら、逆流させてやればどうなる?」
カイの目がぎらりと光を宿した。毒の理解は終わった。次は、毒を支配する番だ。