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遊び人 彦麻呂の奇妙な体験

作者: ユクミチ
掲載日:2025/02/14

 男、彦麻呂(ひこまろ)は遊び人であった。

 地主の四男坊として生まれ、土地を継ぐこともできないので家の畑仕事には精が出ず、かと言って勉学の方もからっきしであるので町へと繰り出して遊んでばかりいた。


 長月の逢魔が時のこと。

 その日の賭けで大負けを晒した彦麻呂は、ぐうぐう不満を訴える下っ腹を押さえつけるように背中を丸めて自分の村への帰り道を急いでいた。

 近頃はお天道様も姿を隠すのがめっきり早くなってしまった。

 提灯を買う銭すら賭けに突っ込んでしまったので、今の彦麻呂は本当の一文無しである。まだ目のきく今の内に、さっさと家に帰り着いてしまわないといけない。

 不真面目であったとしても、彦麻呂は山の生まれである。たとえ狙った場所に矢を届かせることができずとも、いつまでも薬草と毒草の違いも分からずとも、夜の山がどれほど危険であるかくらいは承知していた。


 しかし、そんな時に限って一向に村へと辿り着くことができない。

 彦麻呂は生粋の遊び人である。村と町を繋ぐ道は片道だけでも何百何千と歩いてきた。彼自身、村と町を繋ぐ道は俺が踏み固めたのだ、と豪語するくらいにはこの道を熟知している。いまさら迷うことなどあろうはずもなかった。

 だがいつまで歩いても村に辿り着くことができない。分かれ道すらなかった。彦麻呂はまっすぐに伸びる山道をひたすらに歩き続けている。


 日はとっくに暮れてしまった。

 彦麻呂は遊び人である。山の生まれであっても、山と生活を共にすることを選ばなかった。

 故に、夜の山が危険である事実は知っていても、それに対処する(すべ)を持たない。無力な彦麻呂は、ただ一縷の希望を求めて愚直に歩みを進める他なかった。


 やがて、希望が見えた。

 道を少し外れた位置にポツンとではあるが、確かに、一軒の家が建っていたのだ。

 さらには明かりまで灯されている。誰かが住んでいることは間違いなかった。


 助かった、仏はまだ己を見捨ててはいなかったと急ぎ足で彦麻呂はその家に駆け込んだ。


「もし、よろしければ一晩泊めてはくれぬか」


 戸口の前に立って言うと、奥から大層美人な一人の女が顔を出した。


「おや、こんな山奥までまあ大変だったでしょう。みすぼらしい家ではありますが、どうぞ上がっていってください」


 そして通されたのは座敷であった。

 丁度夕飯時だったのだろうか。中央の囲炉裏では鍋いっぱいの汁物がぐつぐつと音を立ててうまそうな匂いを漂わせている。

 しかし女以外の者が一人として見当たらない。あれだけの別嬪で、あの年頃であるならば婿の一人でもいるものだと彦麻呂は思っていたが、どうやら違ったらしい。

 思わぬ光景に立ち尽くした彦麻呂を、女は案内を待っていると見受けたのだろう。


「外はとても冷えたでしょう。丁度お味噌汁もお煮えになったことですし、どうぞ一杯召し上がってくださいな」


 というと、彦麻呂は自分の行動が誤解を与えてしまったと恥入り、慌てて


「お宿を貸していただいた上に飯まで恵んでいただくとは、申し訳ない。しかしせっかくのご厚意を無下にしてしまっては角が立つ。ここは言葉に甘えさせていただこう」


 といって仰々しく座った。

 父や上の兄弟たちの言葉遣いを聞いたままに真似て取り繕ったに過ぎない言葉であるが、これがまたずいぶんとそれ()()()

 賭けの才はからっきしであるが、役者や芸者の兆しはあったのだろう。彦麻呂自身はそのことを一切自覚しないが。


 さて、お調子者の彦麻呂はとてもよく口が回る。

 初めは当たり障りのない身の上話から、果ては遠い異国の占いの話まで、とにかく彦麻呂は賭場で見聞きした知識で相手を飽きさせない。

 酒まで出てきた日には自分の賭けの自慢話までし始める。しかしそれが相手の興味を一層強く惹きつけるものだからもう始末がつけられない。酒の勢いに任せてあることないこと全て喋り倒して、そしていつの間にか眠りについてしまった。


 次に目を覚ますと、見慣れぬ場所にいる。

 酒を飲み別嬪の女と夕餉(ゆうげ)を食らった座敷は見る影もなく、そこにはここらで育つはずもない葛の葉が散らばっていた。

 そして、それらを踏み固めるように座り込む狐がいる。野生の獣なんぞ、普段なら恐ろしくて目に入った瞬間に逃げ出す彦麻呂であるが、この時は不思議と狐に見入ったまま動かない。


「人の子よ」


 やがて狐の声が彦麻呂の頭に響く。


「汝の口はよく回る。お陰で久方ぶりに退屈しない夜を過ごすことができた。

 我が身は御上の御使いなれど、並大抵の望みは叶えられるだろう。申してみよ」


「は、はぁ……」


 彦麻呂は理解が追いつかない。

 追いつかないが、それでも彼には確固たる己がある。ならば答えは決まっていよう。


 彦麻呂は遊び人である。


 それは己に不都合なものを見ないが故に、この世ならざる者であろうと相手取ることができる。できてしまう。彼は目先の快楽に飛びつく生粋の破滅志向人間である。


「なら、また別嬪の女になって、俺をもてなしてくれや」


 彦麻呂の、夜の楽しみがひとつ増えた。

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