4話 苦い憧れ
驚いて声も出ない。それは今のような状況のことを言うんだろうと頭の片隅で思いながら彼の姿をまじまじと見てしまう。白い騎士団服が映えるすらりと長い手足をしているが背はイチヤの方が高いかもしれない。光沢のあるさらりとした黒髪はイチヤより長いが肩に付かず耳にかかるくらいの程良い長さ。顔立ちを見ると年齢はアザミの方に近いように見えるが彫りの深さ故か圧、いや大人びて見える。声や年齢、背丈が違えど髪や瞳が同じ色で顔の造型も同じで、脳内でイチヤの顔と
重ね合わせてみるとぴたりとはまった。
(イチヤの若い頃に会えたとしたらこういう姿なんじゃないかな)
無言で凝視されているのをどう捉えたのかあからさまに不機嫌そうに眉を寄せた。
「いつまで座ってる。手を差し出さないと立てないのか?」
声の温度は他者をつき離すかのように冷たい。細められた瞳もつき刺す氷のようで比較するならイチヤは青空を映す温かく穏やかな夏の海、青年は北極の海に浮かぶ氷山のよう。
「立てます!」
立ち上がる時に腹に力を入れると鈍痛が襲ってきたが、痛みに顔を歪めれば次に青年になんて言われるかが想像つき、向きになって奥歯を噛みしめて耐えた。
「助けてくれてありがとうございました。じゃあこれで」
床に落とした剣を拾い鞘に戻すと最低限の礼儀として小さく頭を下げる。イチヤと似ている容姿でシクラム騎士団員だったからできるなら話がしたかったけど、この短時間の様子から穏やかに会話できる相手ではなさそうで、見ず知らずのアザミ相手に自分のことを話すような人にも思えなくて。
踵を返し歩を進める。すると背後から青年の声が聞こえた。
「女のお前が、何故剣を持っている」
「え?」
青年の唐突な問いに足を止め思わず振り返る。
「何故って、」
先刻とは逆に青年がこちらを見ているがその顔は変わらず
不機嫌そうに眉を寄せていて、とても癪だが威圧的な青年の目に怯んでしまう。
(そんな怖い顔で聞かなくても・・・)
問いの答えを考えていると青年が先に次の言葉を投げる。
「女は非力で、後々さっきのように助けられることになるのに、何故剣を持っている」
今度はアザミが顔をしかめる。
「さっきは本当に助かったけど“女だから”、非力だから、持ってはいけないなんてないでしょう。私は父に憧れて騎士を」
「剣を持つ資格もない奴が、お飾りで腰に下げるな」
低い声で唸るように言われて、思わず挙に力が入る。
青年ははじめからちゃんと答えをきくつもりはなかったらしい。固まるアザミを置いてその場を 去って行った。青年に言われたことが頭から離れずのど奥に込み上げてくる苦いものを飲みこんで、剣の柄をそっと握りしめた。
◇◇◇◇◇
男爵の家に戻るとイチヤの知り合いの医術師が先に到着
しており男爵を着てもらっているようで、メイド達が忙しなく動
き回っていた。アザミの姿を見たイザベルは微かに目を見開く。
「何をしに行っていたの…怪我してるじゃない」
「え、どこ?」
「ここ。服も何か汚れてるわよ」
イザベルの手がそっとアザミの左頬に触れるとぴりっと痛みが走る。腹の鈍痛に気が向いて気づかなかったが顔に切り傷があったらしい、自分の服を見ると言われた通り砂埃に汚れていて苦笑した。
「さっきの男がまだ近くにいると思って…結局見失なっちゃったんだけど」
玄関外で服の汚れを払うようにはたいてから男爵邸宅内へ入った。するとイザベルに手首を掴まれ、そのまま男爵の部屋とは違う方向へと引っ張られる。イチヤといた時に入ったのは男爵の部屋
のみだったがイザベルに連れてこられたのは淡い緑色のカーテンやベッドシーツが印象的な部屋で、中央のテーブルの上にはふたが開いた裁縫箱や裁断された布切れがいくつか重ねられていた。
「私の部屋よ、散らかっているけど。そこの椅子に座ってちょうだい」
椅子を指差した後イザベルは棚の上から木箱を持ってきた。この部屋に通された理由がなんとなく分かり、椅子に腰かけつつ遠慮がちに話す。
「このくらい大丈夫だよ、擦り傷切り傷は慣れてるから」
「手当てさせて。小さい傷でも女性の顔に傷があるのは、見ていて少し心が痛いわ」
イザベルの言葉に目を瞬かせるとふと目が合った。
「傷を見られてご家族には何も言われない?」
「兄によく言われる。日常茶飯事だけど、"あまり心配かけないでくれって」
「お兄様のお気持ちはわかるわ。はい、消毒するからこっちを向いて」
ほんのり頬を緩めたイザベルは布にアルコールを垂らし、アザミの頬に軽くあてる。ピリっと頬に痛みが走り反射的に身動きすれば「じっとしてて」と右頬を掴まれた。
「あなた、剣をしているの?」
イザベルの目がちらりと腰の剣を見たのが見えた。
「うん。さっき一緒にいた薬師の、イチヤに習ってるの」
「あの人も剣扱えるのね。あなたは騎士を目指しているの?」
何気なく、平然と投げられた問いにどきりとした。
正直騎士を目指したい、父やイチヤと同じシクラム騎士の服を着たいという思いは幼い頃から持っていた。14歳でドレスを着て、舞踏会デビューしてからはやはりドレスよりも剣の方が好きなのだと自分の中で認識していた。けれど
『じゃーネ、おせっかいなお嬢さん
『剣を持つ資格もない奴が、お飾りで腰に下げるな』
先刻の出来事が脳裏に浮かぶ。初めての恐怖、父や
イチヤが過去に所属していたシクラム騎士団の青年からの厳しい言葉。
剣を所持していたことで回避した場面もあるが、イチヤに言われた言葉の通り、剣を持つことで伴う危険もある。それでも"騎士になる"という憧れは消えることはなかったが助けてくれた青年の言葉が深く胸に刺さり、イザベルの言葉に真っすぐ頷くことができなかった。言葉を詰まらせるアザミの頬に薬をぬりながらイザベルが話す。
「会ったばかりの私があなたに言うことではないかもしれないけれど、目指しているわけじゃないならやるべきことがあるのではないの?結婚して子を産みたいなら尚のこと女性には年齢っていうタイムリミットがあるのよ」
「イザベルのやりたいことは?」
「玉の輿ね。伯爵や候爵家に嫁いで、趣味で服を作って売りながら幸せに暮らすの。だから位が高くて優しい相手に出会う為に社交会での交流やお父様の出かけ先へいていくことは欠かせないわね」
悩む素振りを一瞬も見せずにすらすら答えた姿にアザミは目を見張る。
「すごい、はっきり言えるんだね」
「自分のことだもの」
「私はまだはっきり言えない」
「なぜ?」
「女の私が望んでいいのか分からないし、無謀だと言われそうで」
「 …」
木箱を閉じたイザベルは真っすぐアザミを見つめる。
「いいのよ。どう言われようとどう思われようと、目指すのはあなたの勝手、あなたの人生だもの」
あっさりと答えが返ってきて思わず目を見開いた。一聴しただけでは投げやりにも思えるその言葉の真意を、イザベルの目が物語っていた。
「気が動転していたとはいえ、貴女にあたってしまって本当にごめんなさい。でもあの時、偶然居合わせたとはいえ、見て見ぬフリをしないで声をかけてくれた。男を追うよりも真っ先に私に大丈夫?と駆け寄ってくれた。
そんな勇敢な貴女が"女だから”っていう理由で諦める必要はないと思う」
贈られた言葉が深く入り込み胸に刺さっていたトゲがするりと抜けていく。
「初対面の私が言うことではないかもしれないけれど」
長く言葉を紡いだことを照れ臭そうにしながら、ほんの少しだけイザベルは微笑んだ。
見知らぬ青年の言葉にも、初対面の青年の言葉1つでもやがかかったように歩く道を見失いかけた自分にも、腹が立っていた。でも、いとも簡単にイザベルの言葉がもやを払い、アザミ自身を尊重してくれた。
父のように騎士になりいつか勇敢の騎士の称号を、と願っていたアザミにとって 勇敢"という言葉を与えてもらったことはとても特別なことだった。
「ありがとう イザベル。もやもやがすっきりした気がする」
「なら良かったわ、どういたしまして」
自分の考えを貫き、はっきり伝えてくれるイザベルの人柄が好まし<思えてアザミは笑みを溢した。