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2話 甘い匂い


 イチヤがグレイ邸に到着した翌日。アザミに強請られ何度か手合わせをしたイチヤは疲れきった顔で馬に乗っていた。同じく馬に乗っているアザミは並進しつつ申し訳なさそうに眉を下げる。


「ごめん、出かける前に手合わせ頼んじゃって…」

「本当だよ…言っとくが騎士引退して10年も経ってるし、今はただのしがない薬師だからな。おじさんの体をもう少し労れ。」

「そうだよね、10年経ってその分老けたし、もう少し」

「まだおじさんじゃないよって否定しろ!」


 ものすごい剣幕で必死に指摘され、お腹から声が出る程笑った。

 冬になる前に足りない食糧や追加の衣服・毛布を買うため、アザミとイチヤはそれぞれ馬に乗って王都の市へ買い出しに来ていた。可能な時は使用人へお願いするものの、今日手が空いている者がおらず、アザミは家庭教師の授業がなかった為買い出しをすすんで引き受けたのである。特に予定のなかったイチヤを引き連れて。


 グレイ邸のあるマツカゼ地区は草花が多く木々や草原が広がる自然の多い土地だが、王都が近づくにつれ白いレンガ調の建物が増えていく。聞こえていた鳥の鳴き声は段々と人のにぎわう声に変わっていった。市街へ入ってからは人の通りが多いため、2人共馬から降り、手綱を引いて歩いた。ふとイチヤがアザミの耳元へ顔を寄せる。


「アザミ」

「うわっ…びっくりした…何?」

「でけえ声出すな!お前本当にそれ持ったままでいるのか?」


 イチヤが指差したのはアザミの腰元に携えている剣。


「代わりに俺が持つか?」

「大丈夫、私が持つ。持ち慣れようと思って」


 アザミのマントの裾を掴み、小さな声で諭すように話す。


「ならできるだけマントの中に隠しておけ。

 ―――持ってると面倒事に巻きこまれることもあるからな。」

「…わかった」


 イチヤの言う"面倒事"が何かはわからないが、少し緊張しているようなあるいは辺りを警戒しているようにイチヤの目の色が変わったのがわかり、頷いて静かに短い返事だけを返した。


◇◇◇◇◇



 繋ぎ場に馬を預け、目的の市に辿り着くとイチヤは再び目の色を変えた。温度の低い声で話していた先程の緊張感は何処へやら、興奮気味にアザミの肩を叩く。



「ちょ、痛いんだけど!」

「アザミ!見てみろ、これ!いつも俺が持っている物よりも幾段大きい上に密封性がピカイチな瓶だぞ…!

 あっこれは採取した物をすぐ保管するのにいい上にベルト付き…!? 持ち運びできるのかっ」


 上機嫌に商品を褒めるイチヤの姿に市の店主もご機嫌になりガハハと豪快に笑った。


「兄ちゃんいいねえ~!嬉しい反応してくれるじゃねえか」

「欲しかった物が沢山あって思わずな。なあこの商品ってもう1つあるか?」

「ああ、あるぞ。その3つ買ってくれるんなら、兄ちゃんには特別にまけてやる」


 店主が立ち上がって商品を出している際にイチヤへこそっと耳打ちする。


「私隣の店を見てるから、思う存分に商品選んでていいよ」


 するとイチヤは歯を見せて子どものように笑った。

「おう、ありがとな」

 イチヤの思わぬ表情を見て目を丸くする。採取した薬草や種、実を保管する瓶や調合道具の収集が好きなことは知っていたが、ここまでだったとは…。

(年上なのに、今はまるで子どもみたいだな)


 数歩先の隣の店は動物の毛糸で編まれた首巻き、マント、カーペット、タペストリーが綺麗に陳列されていた。買い出しで頼まれていた品がこの店で見つかるかもしれないと、少し前のめりで商品棚を見る。


 その時、背中へ衝撃を打け前につんのめりそうになる。

「っ!」

 幸い前の商品棚に突撃することなく立て直し、咄嗟に振り返る。市で賑わう人混みの中を通り抜けようとした人が背にぶつかったらしかった。紫のマントにフードを被った人物だったが当の本人は詫びることも目を向けることもなく遠り過ぎていく。 


 その刹那、男の後を追うように甘い匂いがした。空気に溶けていきすぐに消えたものの、その一瞬で人を引き付ける魅惑的な香りはどこかで嗅いだ覚えがあった。

(――あれは確か、イチヤと森に入ったときに見せてもらったんだ。乾燥させると薬になるけど、一晩水に浸すと甘い独特の香りがする毒素が出て、その影響で赤い液体になるっていう… ――毒!?)


 アザミは我を忘れて身を翻し、男の行方を追った。人混みの中、幸い紫色のフードが見え、体を横にして人込みを通り抜けながら後を追う。真っすぐ進んでいた男が角を曲がったのが見えた。同じ場所に差し掛かった時、曲がった角の先に人の姿はなかった。そこは建物同士の間にある、人が2人通れるくらいの狭い裏道だった。

(ここに入っていったはずなのに、ひょっとして、撒かれた?)


 人の通りがない狭い道…目先には何もないが、辺りを警戒しつつゆっくり先へ進む。中に入っていくと人の賑わう声も遠くなっていく。音が消えていく中、足音を忍ばせる。

「―――。」

 微かに人の声がした。もう一つの角を曲がると、少し先の方で人の姿が見えた。

 足を止め壁に身を寄せ、息を潜めつつ様子を伺う。

 人は2人。1人はさっきの紫のマントの男、もう1人は茶色いロングヘアーのアザミと同じ年頃に見える女性。


 マントの男はフードに隠れ顔が見えないが、女性の方は横顔で分かる程に憔悴している様子だった。男が懐から何かを取り出し、女性へ差し出す。男の手の中にあったのは―――小瓶に入った赤い液体。


「あれって…!」

 気づいた時には飛び出していた。足音で男に気づかれ、男は小瓶を懐に戻し素早くその場を去っていく。マントを翻した男の勢いに驚いた拍子に女性がよろめき、その場に倒れこんだ。

「大丈夫ですか!?」

 女性に駆け寄ると、男がいた場所で甘い残り香が微かに鼻孔を掠める。女性へ目を向け手を伸ばす、が。

――パシッ

 勢いよく振り払われ、乾いた音が通りに響く。

 鋭く睨みつけてくる女性の目には涙が浮かんでいた。 


「あの」

「何故邪魔をしたの!?」

 悲痛な叫びに頭が混乱する。

「あの薬でないと、お父様は良くならないかもしれないのに…!」


 薬…?あの赤い液体が?じゃあ何故男は逃げたんだ。そもそも何故こんな場所で。

 頭に疑問ばかりが浮かぶが、泣きじゃくる女性の姿を見て言葉を飲み込み、もう一度手を差し伸べることもできず、ただ傍らに立っていた。

(あの独特の甘い匂いは確かにあの男からした。赤い液体も…イチヤに教えてもらった私の記憶が正しければ、薬ではなく毒のはず。)


 もし私の記憶が間違いだったら…?


 拳を握りしめ、男が去った方をただ静かに見つめていた。





 ふと後ろから足音がした。女性を庇うように前に出て剣の柄に手をかける。

 そこに現れたのは―。


「いた! アザミ、急にいなくなるから驚いたぞ!何でこんな裏道に…」


 緊張を解いて安堵したようにほっと息をつくイチヤの姿を見て、アザミは何も言わずその場を離れたことを反省した。


「気になることがあって思わず…心配かけてごめん」

 イチヤの手が頭の上に乗せられる。

「それで…一体何があったんだ?」

 次にイチヤはアザミの後ろで泣いている女性へ視線を向ける。

 アザミは市でぶつかった際に男から甘い匂いがしたこと、後を追うと小瓶に入った赤い液体を女性へ渡そうとしていたこと。毒だと思い声をかけると小瓶を持ったまま男が逃げて行ったことなど事の経緯を説明した。



 話を聞いていたイチヤの顔は徐々に曇っていく。話を聞いていた女性も“毒”という単語に目を見開き勢いよく顔を上げた。

「…恐らくアザミの予想は当っていると思う。なあ、その男には"薬"だって言われたのか?」

 後半は女性に向けて。女性は困惑しながらも泣き腫らした顔で小さく頷く。


「俺は薬師をしている。もし良ければあんたの父親の症状、見せてくれないか。

 何か力になれるかもしれない」

 イチヤを見つめていた女性は一瞬アザミを見るもすぐに視線を戻し、再度頷いて見せた。

「…わかったわ。――はしたない姿を見せてごめんなさい。家まで案内するわ」

 ゆっくり立ち上がろうとする女性ヘアザミが咄嗟に手を伸ばすと、今度は振り払わずにそっと手が乗せられる。

「あなたも…さっきは手を払いのけたりしてごめんなさい」

 泣き腫らした瞳は未だ困惑したように揺れている。けれど真っすぐに言葉を向けられて、アザミは頬を緩めて小さく頷いた。



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