第94話 相手を知ること
翌朝、私と王女は再び、昨日と同じ博物館の書庫を訪れていた。
館長が善意で、私たちのためにと、早めに書庫を解放してくれたのだ。
それだけ、この街が困っているということなのだろう。
とっくに海開きしていてもおかしくない時期だ。一日の遅れすら許されないのかもしれない。
急がなければならないのは、私だってわかっている。
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昼頃になって会長が合流し、一度屋敷に戻って昼ご飯にすることにした。
転移の魔法があれば一発だ。実に便利で効率的。
「レスク君、マイスさん」
食事中、会長が徐に口を開いた。
「今回の魔獣、家で文献を見ていたのだけれど……やはり、海龍エルゲレンで間違いなさそうだったわ。それで、一つ、希望が見えたわ」
「希望……ですか?」
希望?
あの巨大魔獣に勝てる……弱点か?
「ええ、それは……海神シーミンターネス様よ!」
「海神シーマハーネス…………?」
「シーミンターネスよ」
……長い名前。
王女が名前を間違えたが、即座に会長が正す。もう海神でいいじゃないか。
「この街に代々伝わる守り神の名よ。エルゲレンはその使い魔だったという話があるわ」
「その使い魔が存在したということは、必然的にその神も存在する、と……?」
「そうだけど、根拠は少し違うわ。……生まれて間もない私に、この精霊剣を授けてくださったのが、シーミンターネス様なの」
会長は腰に差した精霊剣を持ち上げた。
神が、ねぇ……。
「つまり、その精霊剣は特別製なんですか?」
「いや、元は普通の剣だったの。それに力を……三匹の水妖精を宿らせて、精霊剣にしてくださったの」
会長は、言葉に推測を意味する助動詞を付けていない。
それほど、その話に確かな信憑性があるのか……それとも、信じ切っているのか。
まあ、どちらでもいい。
会長が何を信仰しようと、私に害はない。
「そう、シーミンターネス様さえいらっしゃれば、丸く収まるかもしれないわ!」
「海神を呼び出すにはどうしたら?」
「それに関しては、博物館にある書物のどれかにあった……という文献を見たわ」
召喚の本か……。
神様を召喚……。しちゃっていいのかな。
「王女、昨日見た本の中に、海神シーミンターネスや召喚に関する記述はあったか?」
「海神シーミンターネスの本なら……さっき手を付けようと思ったけど、読めなかった」
「そうか、なら食べたら早速行こう。何かあるかもしれない」
そしてその日の午後、私一人、船に乗って海へ出た。
会長と王女はお留守番だ。探し物に夢中になっていたしな。
その結果として、海龍エルゲレンが今回の犯人であることが明らかとなった。
倒すべき敵は――見えた。
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一週間後。
ようやく博物館の書庫の本をすべて読み終えた。
海神シーミンターネスとその使い魔、海龍エルゲレンに関する記述は、十分な量が集まった。
だが……召喚に関する記述は一切、何一つとして集まらなかった。
「おや、もう読み終えたのですか?」
私が最後の一冊を棚に戻すのと同時に、館長がやって来た。
「目的の記述は見つかりましたか?」
「いえ……。召喚に関する記述だけ、一向に……」
「……召喚、ですか?」
「海神シーミンターネスの召喚方法です」
「…………長年、ここの館長を勤めておりますが……そのような記述は見たことがございません」
館長は嘘を吐いていないようだ。
だが……記述がない? どういうことだ?
「神と交流を計るような記述、一目見れば記憶に残っているはずです。いえ、そのようなもの、国宝級でございましょう、王女殿下?」
「……はい」
「となると……暗号化されているのか? ……仕方ない。今日は一度、気分転換に海に出てみるか? 会長も呼んで」
ここ数日、会長はウーゼンティシスの邸宅から出てくることが減った。二日前からようやく姿を見せ始めるようになった。
何も報告がないところを見るに、何も情報は出なかったのだろうが……。
疲れ気味な表情をしていた。知恵熱を出したか、夏風邪でも引いていたのだろう。
「うん、いいと思う」
「それじゃあ、早速向かいましょう」
海のど真ん中に転移してもいいが、船の残骸が残る砂浜をもう少し見ておきたい。
本を読む中、時々あの砂浜の光景が脳裏をチラついていた。きっと、何かを見逃している。
私の第六感は信頼していい。
「いってらっしゃいませ。……並び通りですね、綺麗にしていただき、ありがとうございました。また、いつでもお声がけください」
「ご協力ありがとうございました、館長」
お礼を述べ、私は〈全体転移〉を発動させ、一度会長を呼び、そして三人で砂浜に転移した。
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やはり、か……。
探索を開始して早や一時間半。
私は王女と会長と共に、砂浜に打ち上げられた船の残骸を集めていた。
「レスクくん、これの何がおかしいの? この燃えた痕、何か大きな衝撃で砕けたような傷……あのエルゲレンがやったものと見て間違いないんじゃないの?」
会長がそう言うが、私からしたら異様だ。
いや……こうして残骸を集めて、ようやく違和感に気づくほどの、小さな異変だった。
「よく見てください。この焦げ跡」
私は黒く焦げた木材を指差した。
王女と会長は、私が指差した部分を見る。
「あっ……切り傷がある……」
「こんなの、自然に起きたものじゃないの?」
「では、その隣の穴は? これはどう見ても、矢のようなもので貫かれた跡です」
そう、黒く焦げてしまっていてわかりにくいが、この船の残骸には、戦闘で付いたものと思しき傷跡が残っている。
もちろん、海龍との戦闘ではないだろう。おそらく、敵は人系統。
「それに……船が積んでいたと思しき漂着物が一切見当たらない、というのもおかしな話じゃないですか?」
砂浜に流れ着いているのは、どれもこれも船の残骸ばかり。
積み荷を入れていた箱の破片らしきものはあるが、それ以外はない。
投網の一つぐらいあってもおかしくない。
「流れ着いた遺体。どれも半分以上が消えています。これはエルゲレンの仕業と見て、間違いないでしょう」
「……レスク、つまり……あの怪物の裏には、何かがいるということ?」
王女が私の言いたいことに辿り着いたようだ。
「そう、その通り。……明日、出発して怪物……海龍エルゲレンを叩き、その裏にいる者を……――叩く!!」
戦闘に掛けられる時間は長い方がいい。だが、戦闘に入るませの時間は短い方がいい。
もう、明日でいいだろ。