第131話 悪魔は人間の日常を楽しむ
私の名前はアルグレット。
少し前にこちらの世界に召喚された、悪魔。
なんやかんやあって、こちらの世界に八百年も捕らわれていた兄を救ってくれた、レスク・エヴァンテールという人間に、兄同様に助けられた。
これも運命なのかしらね……。
そして、彼の仲間であるアリスさんやマイスさん(二人揃って、人間の国の上層部だった)の援助も受け、人間の国の一つ、リスガイ王国の王都に部屋をもらったわ。
レスクからは、当分は何もせずとも暮らせそうなだけのお金を貰ったけど、いずれ尽きるのは目に見えるわ。
幸いにも、職はすぐに見つかったわ。
家の近くの弁当屋。
人間の弁当は工程が楽で、すぐに覚えられたわ。おかげで、怪しまれることなく、穏やかな日常を過ごせているわ。
それでも、私の正体を隠しきるには、まだ足りない。
より自然な人間に近づかないと。
召喚された悪魔特有の、肌が黒く変色する現象。
それが私には、四肢に現れてしまっているおかげで、隠すのが大変。つくづく、私って運が悪いと感じたわ……。
おまけに夏だし。猛暑って気候じゃないけど、暑いには暑いわけで、長袖なんで着れたものじゃなかったわ。
……のだけれど。
そこは天下のレスク・エヴァンテール様のお力添えね。
彼の繕ってくれた、夏でも着れる服。
それには幻術が込められていて、肌の色を変えて見せることができる代物。
おまけに見た目もいい。
幻術も、着用者の皮膚に薄く纏わりつくものらしく、皮膚に目をくっ付けでもしないと肉眼では見破られないらしい……。
正直、有能すぎて彼は、実は他の次元から来たんじゃないかと疑うわ……。
それと、なんだかよくわからない効果がいろいろと付与されたネックレス。
どんな効果が込められているのか、詳しく知りたかったけど、彼も忙しかったらしく、離さずに持っておくように、とだけ言われた。
まあ、彼がそう言うのなら、そうしておいた方がいいんでしょうね。
「アルグレットさん、一番弁当一つと三番弁当二つねーー!」
「はい、ただいま!」
そろそろお昼ね……。忙しくなりそう。
まだ手に馴染んでいないから余計にね。脳死でやるにはまだ経験が……。
まあ、そこらの人間よりも体力はあるし、今のところ問題はないけど。
一番弁当は日替わりメニュー。
今日はハムカツサンドウィッチ。日替わりメニューの中でも特に人気の品ね。今日は売れそう。
三番弁当は野菜多めのヘルシーメニュー。
これを買うのは若い女の人が多い。今日みたいな週末は、王都にショッピングに来る人も多いから、これも今日は売れそうね。
私は軽く焼いたパンを取り出し、そこにほかほかのハムカツを挟む。
パンには切れ込みが入っており、そこに野菜と一緒に突っ込むだけでいい。
作る側としても、一番簡単で優しいメニュー。
三番弁当は、冷やした野菜を魔法で軽く湿らせて、瑞々しさを持たせる。
それを容器に詰め、ドレッシングを入れた小さな容器を隅に入れる。
あとは、それぞれの弁当に諸々の具材――栄養バランス大事――を詰め、カウンターに並べる。
「はい、ありがと!」
それを接客係の先輩が受け取り、お客さんに渡す。
これが一連の流れ。
まだ初めて一週間程度しか経っていないけど、一週間もあれば何となく読めてくるものね。
「アルさん、一番三つ、二番四つ、三番三つね!」
「はい、ただいま!」
先輩は忙しくなると、私の呼び方をだんだんと短くしてくる。
アルグレット、アル、最終的には注文だけ。
これからこんな流れが、二時間から三時間続く。
今日は週末だし、忙しい時間は短くなるけど、忙しさも段違いになる。魔力で肉体を強化しないとしんどいわ。
まあ、そのおかげで重宝されているのだけれど……。
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夕方になり、夜勤勤務の人と交代し、家に帰る。
その前に食材を買って帰らないといけないわね。夕ご飯は何にしようかしら。
魔界に帰る前に、いろんな料理にチャレンジしておきたいわ。
向こうで料理屋を開くためにもね。
王都の端にある小さな集合住宅。
私は、そこの一室を借り受けている。名義はレスクだけど。
初期費用はマイスさんやアリスさんも負担してくれた。
ほんと、至れり尽くせりだわ。
「――お姉さん、どうですか? 試着だけでも」
「いえ、結構です」
こうして道を歩いていると、服屋の呼子によく声を掛けられるのよね。
レスク曰く、人間の優れた本能が異質さを感じ取ってそれが魅力的に……だから一層の注意を……だとか。
本当なのかは知らないけどね。ただ、私が美人なだけなのかもしれないし。
そして、家に帰って、料理本を捲りながら献立を作り上げていく。
味見をしながら、味を調整していく。調味料の配分に関しては、やっぱり自分の舌が頼りね。
……うん、いい出来。
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夏休みも終わり、街が賑わいを見せ始める。
どうやら、学園の二年生と三年生が、隣国のティシザス帝国の学園と合同演習が行われるらしい。
レスクは一年生だからこちらでお留守番、と喜びを含みながら話していたわね……。
てっきり、戦えないことを嘆いていると思ったのだけれど。
「アルグレットさん、二番弁当四つ!」
「はい、ただいま!」
私の胸元で、黒い宝石が揺れる。
霊力の質を高めるこれは、彼からの贈り物。
霊力の使い道がそもそもないのだけれど……。強いて言えば、疲れにくくなったかしら?
でもそれ以上に、霊力を戦闘で使う彼やマイスさんからすれば、かなり使い勝手のいい物でしょうね。