第116話 メニタ領での賭け
ウェルダルでの依頼と休暇を終え、私は一人、メニタ領に来ていた。
そもそもこの夏休みの私の目標は、ワーグナーとガイオスに贈る誕生日プレゼントを探すことだ。
貴族たちの信頼を得ることを第一としていたが、それも私の考えすぎだっただけのようだしな。優先度は低くなった。
ウェルダルでは大した戦利品がなかった。
一応、海に浮かんでいた海龍エルゲレンの鱗四枚は手に入れた。
魔力、気だけでなく、霊力に対する耐性もある。
何かしらのプレゼントに埋め込んで、神力で保護すればお守りの完成だ。
神力をどれだけ付与できるかが要…………そもそも付与できるのかどうか……。
私がメニタ領に来た理由は、もちろん、プレゼントを探すためだ。
アルグレット? 適当に金と食料を渡して、宿を取らせておいたから心配ない。王女と会長が快く協力してくれたしな。
私が今いるのは、メニタ領西部に位置する都市アンウェン。メニタ男爵家の住む都市――領都だ。
そもそもメニタ領は、特にこれといった特色はない領だ。強いてあげるなら……農業?
年中穏やかで平和な領と言えば聞こえがいいだろうか。
だが、メニタ領アンウェンのある一点。
そこには、数年に一度開かれる、裏の競売所がある。オークションの日程は、限られた情報網を使わないと入手できない。
そこでは、表だって公開できないような物品が競りにかけられる。
会長の父――次期ウーゼンティシス当主から得た情報では、そこでは今夏、オークションが開催されるらしい。
夏休みは長い。
ここに可能性があるのなら賭けてみよう……と言うわけだ。
宿に関しては、シンシルスに頼んでおいた。
あいつは謎に領民に慕われているらしいしな。モテないけど。
シンシルスは裏オークションについては知っていたようだったが、行ったことはないようだ。
まあ、そこでは身分一切を隠すのが常識らしいしな。
ちょろいシンシルスが、バレずに行けるはずがない。
あいつは別人にでもならない限り、オークションには行けないだろうな……。
確かにそれなりに腕は立つが、ちょろいからな。あいつの将来が不安だ。
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とあるバー。とある日時。とある注文。
これが一見さんの通過儀礼。
私はホルスの仮面を着け、〈変装〉の魔法で、髪を白く長くした。
いつだったか、レイの授業でゲストとして登場した、クスレール・ヴェアンテの容姿だ。
ローブには袖を通さずに羽織ることで、体格を隠す。
もちろん、声色も気の応用で喉仏やらを刺激し、変化させている。微々たる変化でしかないけどな。
ちなみにこのローブ、夏に着ても全然暑くない。
「……ウェルダルの特上酒をロックで。氷は十つ入れてもらおう」
「……かしこまりました。……グラスはいかがなされますか?」
これはお決まりのブラフ……だったか。
これには返事してはいけない。返事をすれば、その通りの品が出てくる。
十秒間、沈黙を貫けば……
「かしこまりました。では、レースグリーンのグラスでおもてなしさせて頂きます」
来た。
これが合図だ。
二重に張られた合図。それだけ、この場所が重大ということだ。
いや、このバーを見つけることを含めると三重か。
知っていればすごくわかりやすいんだがな。知らなければ、酔っ払いが迷い込むレベルでしかない。
今、このバーに私は一人。
入り口はここだけではない。ここは貴族様御用達の入り口。
「いや、それなら、エンプティオの切りガラスで頼む」
「かしこまりました。それでは、こちらへ」
『ウェルダルの特上酒』は、ウーゼンティシス家を。
『ロック』はその家の者でないことを示す。『ストレート』はその家の者であることを示す。
『レースグリーン』は適当。上品な響きの言葉をマスターが並べただけのブラフ。
そこに、それを否定したうえで『エンプティオ』。これが合言葉だ。意味は知らん。
『切りガラス』は、私も会話を自然そうに見せるために適当に口にした言葉だ。
これら幾重の合わせ言葉で、ようやく案内される。
一見さんを若干、お断りしているオークション。通過儀礼クリアだ。
今は人がいないから、すぐに案内されたが……一般客がいた場合はどうなるのだろうか。
……なんて私の疑問は、その後のマスターの行き先で氷解した。
私はマスターの後についてバーを出て、向かいの赤い扉を潜った。
扉から薄く、魔法の気配がした。おそらく、マスターの持つ鍵と連動しているのだろう。
扉の先には、一本の長い階段が地下へ続いていた。
「この先を真っ直ぐ下り、そのまま三番の通路へお進みください。その先でこれをお渡しください」
そう言うと、マスターは懐から、何の変哲もない一本の棒を取り出した。
「それでは、楽しいひと時を」
「感謝する」
マスターはバーへ戻った。
オークション会場は地下か。
そう言えば、どこから仮面着用の義務があったのかわからないな。仮面着用としか言われなかったから最初から着けていたが……。
まあいいか。マスターも気にしていなかったし。
今の私は、架空の人物。レスク・エヴァンテールではない。
▼
長い階段を降りると、通路が四つに分かれていた。
それぞれ、一から四の番号が振られていた。確か、三番と言われたな。
私のような、とある貴族家のお客様用通路。
他には……その貴族の血族用、召使いかそこら用、あとは……侵入者撃退用か?
まあ何でもいい。
言われた通りに進めばいいだけ。暗示はなかったし、聞いていない。
会長のお父さんからは、人を貶めようとするような波長は感じなかった。
貴族は為政者であるため、嘘が上手い場合が多いが……まあいい。
あくまでこれは賭け。ここがダメなら、また別で探すまでの話。